2000年代まで存命している榎木津の話です。
割と捏造妄想を含みます(名前の無いキャラも出ます)ので、そういうのが苦手な方はご注意ください。
割と捏造妄想を含みます(名前の無いキャラも出ます)ので、そういうのが苦手な方はご注意ください。
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―――眠った。
耳の真横で聞こえる呼吸音が深く静かなものになった事を知り、益田はそっと瞼を開く。卑怯者らしく横目で伺うと、其処には榎木津の寝顔が淡い橙色の灯りに照らされて浮かび上がっている。開いたままの口から漏れ聞こえる寝息はあっけらかんとしていて、子供の寝息を思わせた。子供と一緒に眠った事など、益田には無いのだが。
汗ばんだ身体に纏わりつく布団を掻き分けて、恐る恐る爪先を床に下ろす。部屋を満たす夜気は脚にやたらと冷たく、元通り引っ込めてしまいたい欲求に駆られたがどうにか耐えた。履いたままの靴下は残念ながら何の助けにもならない。ベッドの下にぺしゃりと落ちていた下着から拾って順番に身につけていくうち、益田は寝室と事務所を隔てる扉の前に立っていた。ちらりと寝台の上を省みると、自分が横たわっていた場所にはいつの間にか寝返りを打った榎木津の裸の腕が伸びていた。最初から一人しか居なかったように見える。当たり前だ。この寝台は益田が此処に来るずっと前からあって、榎木津が一人で眠るために用意されている物なのだから。
滑り出た事務所は広いだけあって余計に寒々しい。折りたたんである毛布を広げ、例の如く長椅子に横たわる。張られた質の良い革は服越しにでもひたりと張り付いてえらく冷たい。毛布を肩まで被り、膝を丸めて益田は冷えに耐えた。夜は深く静かで、寝入ってしまいさえすれば朝は直ぐに来るだろう。だがこんな窮屈な姿勢では安寧な眠りは期待できそうにも無い。挙句冬は直ぐ傍まで迫っていて、先日など日も昇らぬうちからあまりの寒さに目を覚ましてしまったほどだ。丸めた腰は痛むし、悪夢を見そうだ。
明日こそは家に帰って、誰にも邪魔されずゆっくり寝よう。
爪先までを無理やり毛布に仕舞いこんで、益田はそう誓いながら遅い眠りについた。
■
目が覚めても益田の誓いはなお堅く、訝しがる寅吉に適当な口上を述べ上げつつ退社し、夜8時には自室に着いていた。先程銭湯から戻ったばかりの身体はまだ温かい。何処からか忍び込んでくる冷気すら火照った肌に心地よい程だ。
褪せた畳に布団をばさりと広げた益田は、見慣れた花模様を見下ろしながら一仕事終えた満足感を持ってひとり笑んだ。
「やっぱり一人で寝るにはこれで十分だなぁ、安物だけど」
枕に巻きつけた貰い物の手拭いすら愛おしい。目の前にぶら下がっている紐を引くと、音を立てて明かりが落ちた。曇り硝子から降り注ぐ月明かりすら、草臥れたカーテンで覆ってしまう。益田は掛け布団をめくり上げると、朝まで約束された筈の安寧な眠りに向かい、うきうきと布団に潜り込んだ。枕に詰まったそば殻の音を懐かしいもののように思いながら、目を閉じれば、己を包む綿の感触に沈むように意識がすうっと鎮まっていく。
―――筈だったのだが。
闇の中、黒曜石の瞳が落ち着かない様子で宙を彷徨っている。意識は鎮まるどころか益々はっきりとして、戸惑うばかりだ。
枕が落ち着かないのだろうか。枕を裏返したり表返したり、挙句立ててみたりしたが、違和感は消えない。消えないどころか益々強くなって、益田を苛んだ。綿の詰まった布団は重いだけでなく冷たくて、折角暖めた手足が芯から冷えていくようだ。
「ま、参ったなぁ…そりゃ確かにあの羽布団に寝ちゃったら普通の布団でなんか寝られる気しないけど、あんなの僕の給金じゃ100年経っても買える気が…」
答える者の無い空笑いが狭い部屋に溶けて消える。いたたまれなくなって、益田は頭の天辺まで布団を引き寄せた。
本当は判っている。長椅子に毛布一枚でもどうにか眠れる自分だ。慣れた自分の寝具で眠れない道理が無い。
何故布団がこんなに冷たいのか。一人分しか無い空間が、どうしてこんなにも心許ない。
気が付けばいつもそうするように膝を丸めていた。その姿勢が厭で、今日はわざわざ夕食も断って帰って来たのに。
名前を呼んでしまわないように、寒さに耐えるふりをして唇を噛み締めた。呼んだところで、此処には誰も居ないのだ。居る時には逃げ出して、居ない時には求めるなど、虫が良すぎる。それでも頭の何処かで、今すぐ電車に飛び乗ればまたあの眠りづらい場所に戻れる事も考えている。
愚かと呼ばれても良い。
本当に、今此処に、貴方が居てくれたら。
―――
久々に榎木津のベッドで夜を明かさない益田を書きました。
とはいえ、なんだかんだでほだされかけているようです。
耳の真横で聞こえる呼吸音が深く静かなものになった事を知り、益田はそっと瞼を開く。卑怯者らしく横目で伺うと、其処には榎木津の寝顔が淡い橙色の灯りに照らされて浮かび上がっている。開いたままの口から漏れ聞こえる寝息はあっけらかんとしていて、子供の寝息を思わせた。子供と一緒に眠った事など、益田には無いのだが。
汗ばんだ身体に纏わりつく布団を掻き分けて、恐る恐る爪先を床に下ろす。部屋を満たす夜気は脚にやたらと冷たく、元通り引っ込めてしまいたい欲求に駆られたがどうにか耐えた。履いたままの靴下は残念ながら何の助けにもならない。ベッドの下にぺしゃりと落ちていた下着から拾って順番に身につけていくうち、益田は寝室と事務所を隔てる扉の前に立っていた。ちらりと寝台の上を省みると、自分が横たわっていた場所にはいつの間にか寝返りを打った榎木津の裸の腕が伸びていた。最初から一人しか居なかったように見える。当たり前だ。この寝台は益田が此処に来るずっと前からあって、榎木津が一人で眠るために用意されている物なのだから。
滑り出た事務所は広いだけあって余計に寒々しい。折りたたんである毛布を広げ、例の如く長椅子に横たわる。張られた質の良い革は服越しにでもひたりと張り付いてえらく冷たい。毛布を肩まで被り、膝を丸めて益田は冷えに耐えた。夜は深く静かで、寝入ってしまいさえすれば朝は直ぐに来るだろう。だがこんな窮屈な姿勢では安寧な眠りは期待できそうにも無い。挙句冬は直ぐ傍まで迫っていて、先日など日も昇らぬうちからあまりの寒さに目を覚ましてしまったほどだ。丸めた腰は痛むし、悪夢を見そうだ。
明日こそは家に帰って、誰にも邪魔されずゆっくり寝よう。
爪先までを無理やり毛布に仕舞いこんで、益田はそう誓いながら遅い眠りについた。
■
目が覚めても益田の誓いはなお堅く、訝しがる寅吉に適当な口上を述べ上げつつ退社し、夜8時には自室に着いていた。先程銭湯から戻ったばかりの身体はまだ温かい。何処からか忍び込んでくる冷気すら火照った肌に心地よい程だ。
褪せた畳に布団をばさりと広げた益田は、見慣れた花模様を見下ろしながら一仕事終えた満足感を持ってひとり笑んだ。
「やっぱり一人で寝るにはこれで十分だなぁ、安物だけど」
枕に巻きつけた貰い物の手拭いすら愛おしい。目の前にぶら下がっている紐を引くと、音を立てて明かりが落ちた。曇り硝子から降り注ぐ月明かりすら、草臥れたカーテンで覆ってしまう。益田は掛け布団をめくり上げると、朝まで約束された筈の安寧な眠りに向かい、うきうきと布団に潜り込んだ。枕に詰まったそば殻の音を懐かしいもののように思いながら、目を閉じれば、己を包む綿の感触に沈むように意識がすうっと鎮まっていく。
―――筈だったのだが。
闇の中、黒曜石の瞳が落ち着かない様子で宙を彷徨っている。意識は鎮まるどころか益々はっきりとして、戸惑うばかりだ。
枕が落ち着かないのだろうか。枕を裏返したり表返したり、挙句立ててみたりしたが、違和感は消えない。消えないどころか益々強くなって、益田を苛んだ。綿の詰まった布団は重いだけでなく冷たくて、折角暖めた手足が芯から冷えていくようだ。
「ま、参ったなぁ…そりゃ確かにあの羽布団に寝ちゃったら普通の布団でなんか寝られる気しないけど、あんなの僕の給金じゃ100年経っても買える気が…」
答える者の無い空笑いが狭い部屋に溶けて消える。いたたまれなくなって、益田は頭の天辺まで布団を引き寄せた。
本当は判っている。長椅子に毛布一枚でもどうにか眠れる自分だ。慣れた自分の寝具で眠れない道理が無い。
何故布団がこんなに冷たいのか。一人分しか無い空間が、どうしてこんなにも心許ない。
気が付けばいつもそうするように膝を丸めていた。その姿勢が厭で、今日はわざわざ夕食も断って帰って来たのに。
名前を呼んでしまわないように、寒さに耐えるふりをして唇を噛み締めた。呼んだところで、此処には誰も居ないのだ。居る時には逃げ出して、居ない時には求めるなど、虫が良すぎる。それでも頭の何処かで、今すぐ電車に飛び乗ればまたあの眠りづらい場所に戻れる事も考えている。
愚かと呼ばれても良い。
本当に、今此処に、貴方が居てくれたら。
お題提供:『ペトルーシュカ』様
―――
久々に榎木津のベッドで夜を明かさない益田を書きました。
とはいえ、なんだかんだでほだされかけているようです。
「僕がこんなに立派になれたのも、何もかも榎木津さんのお陰です」
目の前の生き物が聞き慣れた声で喋ったので、榎木津は驚いてしまった。
榎木津ビルヂングを横に倒したのと同じくらい長く大きな龍が居る。
漆黒に艶めく体表には黒雲母の切片に似た鱗がびっしりと張り付いて、四肢には大きな爪が生えている。
麒麟のような立派な角は輝き、意志を持ってゆらゆらと揺れている長い髭。
ふさりと流れる体毛から見え隠れする瞳に下僕の面影を見て、榎木津はようやっと得心した。
成程――龍、か。
「僕ぁ天に帰ります。その前にお礼をしたいんです。榎木津さん、僕の背に乗ってください」
ぺこりと頭をこちらに下げるだけで、ふわりと空気の流れが起こる。
榎木津が黒い体毛の一片を手綱のように掴んだのを確認して、龍は天へと舞い上がった。
みるみる地上は遠くなり、雑踏はあっと云う間に消えてなくなった。
全身を包み込む爽快な風と、耳元で絶えず鳴り響くごうごうと云う音。榎木津は高らかに笑った。
「うはははは、凄いぞ! お前が此処に来てから一番いい仕事だ!」
「ありがとうございます、あっほらあそこ、眩暈坂です。中禅寺さんの家が見えますよ」
地上を蛇のように這う道が見える。
歩いていると永遠に続くような気すらするあの妙な坂も、一瞬で飛び越えてしまった。
真正面から吹き付ける暴風を感じながら、榎木津はそっと鱗の一枚を撫でた。
榎木津の掌ほどもある其れはとても硬く、触れると冷たい。
「――どうするんだ、こんなに大きくなっちゃって」
風の来る方向に見える龍の頭は、金文字に飾られた扉よりも、硝子窓よりも大きい。
「精々一生懸命仕えて、事務所改築しなさい!
馬鹿でっかいお前でも入れるような大きなドアを作るんだ」
こぉのくらい、と両手を広げた途端、風に呷られて、榎木津の身体が離れる。
あっと思った時には宙に投げ出されていた。自由にならない全身が空中で踊る。
見上げた空は遮蔽物が一切なく、あまりにも広く、黒い龍が横切っていく。
「マス、ヤマ」
もう届かない手を伸ばすと、龍は悠然とこちらを振り向いた。
黒い眼が妙にはっきりと見える。
その瞳からもうあらゆる情が消えうせているのが判り、榎木津は初めて、大きな声で叫んだ。
■
「…人の家で絶叫しないでくれ。それと、僕の本を枕にするのも止めてくれ」
榎木津は呆然と辺りを見渡した。
積み上げられた古書の山、葉ずれの音、憎い相手の死体が生き返った時のように憮然としている主人。
身体の下の畳は温まっている。
「…なんだこりゃ」
頭の下に敷いていた本を拾い上げる。中身も確認せずに適当な山の上に乗せた。
どうせその辺の山の一番上から抜いたのだ。
蛇がのたくったような題字が記された表紙に「古龍」と書かれているのが見える。
恐らく一生読まない類いの本だ。ゆらりと榎木津が立ち上がった。
「帰るのかね」
「うん」
中禅寺は引き止めるでも挨拶するでも無く、元通り活字に視線を落とした。
ふらふらと縁側に出ると、季節と共に透明度を増した秋空が広がっている。
青の中央を横切るのは、刷いたような一条の薄雲。
空の彼方でふつりと途切れる其れを見送って、榎木津はきりと唇を噛んだ。
――――
誰も呼ばないけど益田の下の名前かっこよすぎると思います。
目の前の生き物が聞き慣れた声で喋ったので、榎木津は驚いてしまった。
榎木津ビルヂングを横に倒したのと同じくらい長く大きな龍が居る。
漆黒に艶めく体表には黒雲母の切片に似た鱗がびっしりと張り付いて、四肢には大きな爪が生えている。
麒麟のような立派な角は輝き、意志を持ってゆらゆらと揺れている長い髭。
ふさりと流れる体毛から見え隠れする瞳に下僕の面影を見て、榎木津はようやっと得心した。
成程――龍、か。
「僕ぁ天に帰ります。その前にお礼をしたいんです。榎木津さん、僕の背に乗ってください」
ぺこりと頭をこちらに下げるだけで、ふわりと空気の流れが起こる。
榎木津が黒い体毛の一片を手綱のように掴んだのを確認して、龍は天へと舞い上がった。
みるみる地上は遠くなり、雑踏はあっと云う間に消えてなくなった。
全身を包み込む爽快な風と、耳元で絶えず鳴り響くごうごうと云う音。榎木津は高らかに笑った。
「うはははは、凄いぞ! お前が此処に来てから一番いい仕事だ!」
「ありがとうございます、あっほらあそこ、眩暈坂です。中禅寺さんの家が見えますよ」
地上を蛇のように這う道が見える。
歩いていると永遠に続くような気すらするあの妙な坂も、一瞬で飛び越えてしまった。
真正面から吹き付ける暴風を感じながら、榎木津はそっと鱗の一枚を撫でた。
榎木津の掌ほどもある其れはとても硬く、触れると冷たい。
「――どうするんだ、こんなに大きくなっちゃって」
風の来る方向に見える龍の頭は、金文字に飾られた扉よりも、硝子窓よりも大きい。
「精々一生懸命仕えて、事務所改築しなさい!
馬鹿でっかいお前でも入れるような大きなドアを作るんだ」
こぉのくらい、と両手を広げた途端、風に呷られて、榎木津の身体が離れる。
あっと思った時には宙に投げ出されていた。自由にならない全身が空中で踊る。
見上げた空は遮蔽物が一切なく、あまりにも広く、黒い龍が横切っていく。
「マス、ヤマ」
もう届かない手を伸ばすと、龍は悠然とこちらを振り向いた。
黒い眼が妙にはっきりと見える。
その瞳からもうあらゆる情が消えうせているのが判り、榎木津は初めて、大きな声で叫んだ。
■
「…人の家で絶叫しないでくれ。それと、僕の本を枕にするのも止めてくれ」
榎木津は呆然と辺りを見渡した。
積み上げられた古書の山、葉ずれの音、憎い相手の死体が生き返った時のように憮然としている主人。
身体の下の畳は温まっている。
「…なんだこりゃ」
頭の下に敷いていた本を拾い上げる。中身も確認せずに適当な山の上に乗せた。
どうせその辺の山の一番上から抜いたのだ。
蛇がのたくったような題字が記された表紙に「古龍」と書かれているのが見える。
恐らく一生読まない類いの本だ。ゆらりと榎木津が立ち上がった。
「帰るのかね」
「うん」
中禅寺は引き止めるでも挨拶するでも無く、元通り活字に視線を落とした。
ふらふらと縁側に出ると、季節と共に透明度を増した秋空が広がっている。
青の中央を横切るのは、刷いたような一条の薄雲。
空の彼方でふつりと途切れる其れを見送って、榎木津はきりと唇を噛んだ。
――――
誰も呼ばないけど益田の下の名前かっこよすぎると思います。
まずい事になった。
駅に向かう人波を掻き分けるようにして、益田は急いでいる。向かい側から歩いてくる人間を避けるのに精一杯で、脇の小道から飛び出してきた男にも気が付かなかった。結果二人は衝突し、跳ね飛ばされた益田は街路樹にぶつかって転倒を免れたものの、ぶつかって来た方の人物はもんどりうって派手に転んだ。
はっとして見下ろせば、路上にひっくり返っているのは見知った顔。
「鳥口君!」
「そういう君は益田君じゃないすか。いやはや、どうも…痛ってて」
腰を擦りながら立ち上がった鳥口は、益田と目が合うや否や不安げな顔をしてみせた。恐らく益田も同様だろう。何せ彼らは本来この時間、『こんな処に居てはならない』のだ。
「見た所益田君も大分お急ぎで」
「そうなんですよもう、妾宅で本妻さんと二号さんが依頼人交えて大騒ぎで、そういう鳥口君も」
「取材先から直帰のつもりだったんで道に迷っちゃ世話ないです、ってことは、うへぇ」
「と、とにかく急がないと!」
全力疾走で縺れる足を叱咤し、息を切らせて走り抜ける。
駅前に辿り着いた時にはもう日はとっぷりと落ちて、点った街灯の下はそれぞれの行き先に向かう者達で満ちていた。二人はようやく立ち止まり、きょろきょろと辺りを見渡す。直ぐに鳥口があっと声を上げた。
「良かった、まだ居た!」
「いやぁ良かぁないでしょう、ありゃかなり怒ってますよ…」
ロータリーの中央、約束の時刻を二周りも過ぎた文字盤の下に、無表情で突っ立っている若い刑事の姿があった。
*
長く伸びた影に添って、おずおずと声をかける。
「ど、どうも青木さん…お待たせしました…」
「お腹空きましたよね。なんて、空いてないわけないか…」
青木はちらりと黒い瞳を二人に向けたが、またふいと駅舎へと視線を戻した。表情は全く変わらず、平素ならこけしに似ていると云って笑ってやるところだが全くそんな雰囲気では無い。辺りは仕事を終えた人々が放つ開放感に満ちているというのに、三人の周りだけやたらと空気が重いのだ。
「あ、あのう青木さん、こんな所で立ってるのもなんですし、行きません?」
益田がへらりと調子良く笑うと、ようやく青木の首が二人の方向を向いた。――だが。
「すみません、貴方達はどなたですか」
「…へぇ!?」
「生憎僕は友人二人を待っているところですので」
きっぱりとそう云うと、フィルムを巻き戻すようにして青木は姿勢を元に戻してしまった。鳥口と益田はぽかんと口を開けて、その横顔を見ているしかない。
一足先に我に返った鳥口が、未だ呆然としている益田の脇腹を小突いた。
「益田君、益田君」
「あ――ああはい、ど、どうしましょう」
「どうもニッケルも無いでしょう、うへぇ、申し訳無い事したなぁ」
うっかりすると幼くすら見える青木の輪郭が、明らかな拒絶の意志を持って夜の町に浮かび上がっている。
行き交う人々は三人の事を見もしないが、見たとしても、人待ちの様子で遠くを見ている男とその傍らで突っ立っている二人が結びつく事は無いだろう。その位深くて長い溝が、地面を這う影に溶け込んだまま口を開けているように思える。
こういう空気が誰よりも苦手なのは、益田だ。
「どうしたんですよ青木さん!凄く遅れたのは申し訳無いんですが、これには訳がありまして」
「貴方の事情を伺ってる程暇じゃないんですよ僕は」
見もしない。益田はがっくりと肩を落とした。
まぁまぁ、と間に入るようにして鳥口が口を開く。
「まぁ聞いてくださいよ、お互い急ぎすぎて僕と益田君、其処でぶつかったんです。下僕も歩けば僕に当たるとはまさにこのことですよ」
「寒い」
切り捨てられた。鳥口はうへぇ、と悲しげにつぶやいて、それきり黙ってしまう。飼い主に叱られた犬の其れだ。
代わって益田が青木の横に立ち、妙に甘えたような口調で縋りつく。
「ねっ、青木さんお腹空きません?今日は奢りますからパーっと飲んでお怒りを鎮めてくださいよぅ。僕良いお店知ってるんです。生うにお好きじゃないですか?」
「あぁ良いですねぇ、美味しそうじゃないですか。最近寒くなってきたし、熱燗をきゅっといきたい所ですよねぇ」
「鳥口君もこう云ってますし、行きましょうよ青木さん。お店閉まっちゃいますよ」
時計に凭れている青木は、もう返事すらしない。本当に他人の会話を聞いているような態度だ。
溝どころか高い壁を感じる。青木さん、と小さな声で名を呼ぶのが精一杯だ。皆誰かと楽しげに歩き、或いは自分を待つ誰かの元へ行こうとしている中、ひとりで佇んでいた青木を見つけてからどれ程の時間が経っただろう。
呼びかける事も出来なくなった二人に目もくれず、呼吸をひとつ落とした青木が、後頭部をことりと支柱に預けた。
「――僕の友人はね、謝りもしないで奢りなんかで済まそうなんて云う薄情な連中じゃあないんですよ」
天を振り仰いだ横顔は、やはり誰かを、何かを待っているようで。
そして――酷く寂しそうなものだ。
鳥口と益田はその表情を見つめ、二人で顔を見合わせ、口々に叫んだ。
「…青木さぁぁん!ごめんなさぁぁい!」
「本当にごめんなさい!僕達が、いや!僕が馬鹿でした!つまんない事云ってうやむやにしようとして、僕ぁ最低だ」
「いや馬鹿なのは僕もです!そうですよ何より最初に頭を下げなきゃいけなかったんだ!本当に申し訳ない!僕ぁ榎木津さんの云う通り、馬鹿で愚かなカマ野郎なんですよぅぅ!」
「いやカマは関係無くない!?」
「………………くくっ」
はたと口を噤んだ二人の目の前で、青木が口に手を当てて笑っている。間隔は狭いが人懐っこい瞳と切れ長の黒い目がぶつかって、それから満面の笑みに変わった。
「やったー青木さんが笑ったー!やったー!」
「笑ってくれました!良かった!本当に良かった!」
通行人の中には、まだ酔っ払いが出るには早い時間帯でありながら路上で万歳三唱している男二人を訝しげに見る者も居る。
青木にばんと背中を叩かれて、二人は両手を高々と挙げたままで振り向いた。
「もう解ったよ。僕も大人げ無かったです、すみませんね」
「じゃあ皆ごめんなさいって事で、丸く収まったって事で良いでしょうか!」
「これにて一件着陸。いやァ良かった良かった」
ようやく時計の下を離れた青木が、悪戯っぽくにやりと笑う。
「奢ってくれるんでしょう」
「結局聞いてるんじゃないですか、参ったなァ」
「まぁ此処は僕等の割り勘って事でいいじゃないすか、ね」
約束の時間を遅れる事二時間半、三人は辿るべき道程に足を進めた。
もう彼等が他人で無い事を疑う者など、何処にも居ない。
―――
今日も仲良し薔薇十字。
駅に向かう人波を掻き分けるようにして、益田は急いでいる。向かい側から歩いてくる人間を避けるのに精一杯で、脇の小道から飛び出してきた男にも気が付かなかった。結果二人は衝突し、跳ね飛ばされた益田は街路樹にぶつかって転倒を免れたものの、ぶつかって来た方の人物はもんどりうって派手に転んだ。
はっとして見下ろせば、路上にひっくり返っているのは見知った顔。
「鳥口君!」
「そういう君は益田君じゃないすか。いやはや、どうも…痛ってて」
腰を擦りながら立ち上がった鳥口は、益田と目が合うや否や不安げな顔をしてみせた。恐らく益田も同様だろう。何せ彼らは本来この時間、『こんな処に居てはならない』のだ。
「見た所益田君も大分お急ぎで」
「そうなんですよもう、妾宅で本妻さんと二号さんが依頼人交えて大騒ぎで、そういう鳥口君も」
「取材先から直帰のつもりだったんで道に迷っちゃ世話ないです、ってことは、うへぇ」
「と、とにかく急がないと!」
全力疾走で縺れる足を叱咤し、息を切らせて走り抜ける。
駅前に辿り着いた時にはもう日はとっぷりと落ちて、点った街灯の下はそれぞれの行き先に向かう者達で満ちていた。二人はようやく立ち止まり、きょろきょろと辺りを見渡す。直ぐに鳥口があっと声を上げた。
「良かった、まだ居た!」
「いやぁ良かぁないでしょう、ありゃかなり怒ってますよ…」
ロータリーの中央、約束の時刻を二周りも過ぎた文字盤の下に、無表情で突っ立っている若い刑事の姿があった。
*
長く伸びた影に添って、おずおずと声をかける。
「ど、どうも青木さん…お待たせしました…」
「お腹空きましたよね。なんて、空いてないわけないか…」
青木はちらりと黒い瞳を二人に向けたが、またふいと駅舎へと視線を戻した。表情は全く変わらず、平素ならこけしに似ていると云って笑ってやるところだが全くそんな雰囲気では無い。辺りは仕事を終えた人々が放つ開放感に満ちているというのに、三人の周りだけやたらと空気が重いのだ。
「あ、あのう青木さん、こんな所で立ってるのもなんですし、行きません?」
益田がへらりと調子良く笑うと、ようやく青木の首が二人の方向を向いた。――だが。
「すみません、貴方達はどなたですか」
「…へぇ!?」
「生憎僕は友人二人を待っているところですので」
きっぱりとそう云うと、フィルムを巻き戻すようにして青木は姿勢を元に戻してしまった。鳥口と益田はぽかんと口を開けて、その横顔を見ているしかない。
一足先に我に返った鳥口が、未だ呆然としている益田の脇腹を小突いた。
「益田君、益田君」
「あ――ああはい、ど、どうしましょう」
「どうもニッケルも無いでしょう、うへぇ、申し訳無い事したなぁ」
うっかりすると幼くすら見える青木の輪郭が、明らかな拒絶の意志を持って夜の町に浮かび上がっている。
行き交う人々は三人の事を見もしないが、見たとしても、人待ちの様子で遠くを見ている男とその傍らで突っ立っている二人が結びつく事は無いだろう。その位深くて長い溝が、地面を這う影に溶け込んだまま口を開けているように思える。
こういう空気が誰よりも苦手なのは、益田だ。
「どうしたんですよ青木さん!凄く遅れたのは申し訳無いんですが、これには訳がありまして」
「貴方の事情を伺ってる程暇じゃないんですよ僕は」
見もしない。益田はがっくりと肩を落とした。
まぁまぁ、と間に入るようにして鳥口が口を開く。
「まぁ聞いてくださいよ、お互い急ぎすぎて僕と益田君、其処でぶつかったんです。下僕も歩けば僕に当たるとはまさにこのことですよ」
「寒い」
切り捨てられた。鳥口はうへぇ、と悲しげにつぶやいて、それきり黙ってしまう。飼い主に叱られた犬の其れだ。
代わって益田が青木の横に立ち、妙に甘えたような口調で縋りつく。
「ねっ、青木さんお腹空きません?今日は奢りますからパーっと飲んでお怒りを鎮めてくださいよぅ。僕良いお店知ってるんです。生うにお好きじゃないですか?」
「あぁ良いですねぇ、美味しそうじゃないですか。最近寒くなってきたし、熱燗をきゅっといきたい所ですよねぇ」
「鳥口君もこう云ってますし、行きましょうよ青木さん。お店閉まっちゃいますよ」
時計に凭れている青木は、もう返事すらしない。本当に他人の会話を聞いているような態度だ。
溝どころか高い壁を感じる。青木さん、と小さな声で名を呼ぶのが精一杯だ。皆誰かと楽しげに歩き、或いは自分を待つ誰かの元へ行こうとしている中、ひとりで佇んでいた青木を見つけてからどれ程の時間が経っただろう。
呼びかける事も出来なくなった二人に目もくれず、呼吸をひとつ落とした青木が、後頭部をことりと支柱に預けた。
「――僕の友人はね、謝りもしないで奢りなんかで済まそうなんて云う薄情な連中じゃあないんですよ」
天を振り仰いだ横顔は、やはり誰かを、何かを待っているようで。
そして――酷く寂しそうなものだ。
鳥口と益田はその表情を見つめ、二人で顔を見合わせ、口々に叫んだ。
「…青木さぁぁん!ごめんなさぁぁい!」
「本当にごめんなさい!僕達が、いや!僕が馬鹿でした!つまんない事云ってうやむやにしようとして、僕ぁ最低だ」
「いや馬鹿なのは僕もです!そうですよ何より最初に頭を下げなきゃいけなかったんだ!本当に申し訳ない!僕ぁ榎木津さんの云う通り、馬鹿で愚かなカマ野郎なんですよぅぅ!」
「いやカマは関係無くない!?」
「………………くくっ」
はたと口を噤んだ二人の目の前で、青木が口に手を当てて笑っている。間隔は狭いが人懐っこい瞳と切れ長の黒い目がぶつかって、それから満面の笑みに変わった。
「やったー青木さんが笑ったー!やったー!」
「笑ってくれました!良かった!本当に良かった!」
通行人の中には、まだ酔っ払いが出るには早い時間帯でありながら路上で万歳三唱している男二人を訝しげに見る者も居る。
青木にばんと背中を叩かれて、二人は両手を高々と挙げたままで振り向いた。
「もう解ったよ。僕も大人げ無かったです、すみませんね」
「じゃあ皆ごめんなさいって事で、丸く収まったって事で良いでしょうか!」
「これにて一件着陸。いやァ良かった良かった」
ようやく時計の下を離れた青木が、悪戯っぽくにやりと笑う。
「奢ってくれるんでしょう」
「結局聞いてるんじゃないですか、参ったなァ」
「まぁ此処は僕等の割り勘って事でいいじゃないすか、ね」
約束の時間を遅れる事二時間半、三人は辿るべき道程に足を進めた。
もう彼等が他人で無い事を疑う者など、何処にも居ない。
―――
今日も仲良し薔薇十字。
――いちばんぼし、みぃつけた。
右手を母の暖かな手に握られ、左手で布のバッグをぶら下げて帰り道を歩いている。華奢な身体には少し大きすぎるバッグには、使い込んだノートと今日貰ったばかりの新しい譜面が入っているのだ。すれ違った石を蹴る子どもの群れは自分と同じ年頃で、つい名残惜しく思い振り返る。
母に名を呼ばれ、顔を上げた。大好きな細面の背景には、晴れ渡った薄紫の空が広がっている。民家の屋根に点々と乗っている黒い影は、きっと鴉だろうと思った。
ふと瞬きをした。高い空の一点にぽつりと光るものを見つけたからだ。まだ残光の残る一帯に、一際明るい輝き。母の手を引いてその事を知らせると、彼女は優しく笑んでこう言った。
「良かったわね。お願い事をしないとね」
「どうして?」
「一番星には神様が住んでいるの。最初に見つけた子のお願いを叶えてくれるのよ」
頷いて、また空を見上げる。日は落ちて、益々紺を増した空には幾つもの星が浮かびだした。けれどさっき見つけた一番星は一際明るく、間違えようも無い。白い光があまりにも綺麗なので、お願いの事よりも、どんな神様が住んでいるのかの方が気になった。どの星より早く現れて、一番先に見つける子どもは誰かと見下ろしている神様。
あんな眩い星に住んでいるのだから、きっと綺麗な人なのだろう。あの光と同じくらい肌が白くて、世界中全部見渡せるくらい大きな目をしてて、それで、まぶしい。
周りの大人は、程度の違いはあれど皆黒い髪をしている。でも神様は金とも茶ともつかない髪をふわふわ靡かせていて、誰が見ても神様だと直ぐに解るように造られている。案の定大きな瞳は薄く透き通った琥珀のような色で、星を抱いてきらきらしているのだ。
そうだ、きっとこんな感じだな。
(――一番星、)
目の前に居る神様に手を伸ばす。嬉しくて嬉しくて、自然と口元が緩んだ。
「…見ぃつけた…」
「――何を見つけたって?」
「…え?」
益田は目を開けた。視界は少し明るくなっただけなので、もう既に開けていたのかも知れない。見慣れた事務所の景色が横に傾いていることで、ようやく横になっているのは自分だという事に気がついた。長椅子に使われている革が、頬にしっとりと張り付いている。さらには何故か榎木津がしゃがみこんでいて、目の高さが揃っている。
「あれ、僕ぁ寝てましたか」
「知るものか。誰がいちいち下僕の挙動に気を配る!マスヤマなんか蜥蜴みたいにソファと同化してるんだから」
ぶらりと腕を引き上げられた。
「掴まれなかったら素通りしていたぞ」
見れば自分の手が、榎木津の手を握りこんでいる。
それがどういうことなのか今一つ理解が及ばず、無言のままに時が流れたが、やがて益田は本当に目を覚まし奇声を上げて飛び起きた。
「……うわぁぁあ!? 何すんですかああ!」
「こっちの台詞だ!」
「そんな、だって僕ぁ、一番星が、あれ? あれ?」
しどろもどろになっている益田を、鳶色の瞳がじっと見ている。
手を離そうとした時にはすでに榎木津のもう片方の手ごと握りこまれていて、振り払うのもままならない。
泣きそうな顔で見た榎木津の表情は意外にも穏やかで、益田は目を瞬かせる。
「――下僕の癖に出し惜しみとは、生意気だぞ」
「え?」
握った手に、僅かに力が込められる。
その貌かたちは夢に見た神様とそっくりだ。恐らくは魂の形までもそうなのだろう。
誰よりも早く、眩しい。
「あんな風にも笑えるんじゃないか」
―――
益田の素の笑顔待ち。
油断すると寝てる話が続くブログです。
右手を母の暖かな手に握られ、左手で布のバッグをぶら下げて帰り道を歩いている。華奢な身体には少し大きすぎるバッグには、使い込んだノートと今日貰ったばかりの新しい譜面が入っているのだ。すれ違った石を蹴る子どもの群れは自分と同じ年頃で、つい名残惜しく思い振り返る。
母に名を呼ばれ、顔を上げた。大好きな細面の背景には、晴れ渡った薄紫の空が広がっている。民家の屋根に点々と乗っている黒い影は、きっと鴉だろうと思った。
ふと瞬きをした。高い空の一点にぽつりと光るものを見つけたからだ。まだ残光の残る一帯に、一際明るい輝き。母の手を引いてその事を知らせると、彼女は優しく笑んでこう言った。
「良かったわね。お願い事をしないとね」
「どうして?」
「一番星には神様が住んでいるの。最初に見つけた子のお願いを叶えてくれるのよ」
頷いて、また空を見上げる。日は落ちて、益々紺を増した空には幾つもの星が浮かびだした。けれどさっき見つけた一番星は一際明るく、間違えようも無い。白い光があまりにも綺麗なので、お願いの事よりも、どんな神様が住んでいるのかの方が気になった。どの星より早く現れて、一番先に見つける子どもは誰かと見下ろしている神様。
あんな眩い星に住んでいるのだから、きっと綺麗な人なのだろう。あの光と同じくらい肌が白くて、世界中全部見渡せるくらい大きな目をしてて、それで、まぶしい。
周りの大人は、程度の違いはあれど皆黒い髪をしている。でも神様は金とも茶ともつかない髪をふわふわ靡かせていて、誰が見ても神様だと直ぐに解るように造られている。案の定大きな瞳は薄く透き通った琥珀のような色で、星を抱いてきらきらしているのだ。
そうだ、きっとこんな感じだな。
(――一番星、)
目の前に居る神様に手を伸ばす。嬉しくて嬉しくて、自然と口元が緩んだ。
「…見ぃつけた…」
「――何を見つけたって?」
「…え?」
益田は目を開けた。視界は少し明るくなっただけなので、もう既に開けていたのかも知れない。見慣れた事務所の景色が横に傾いていることで、ようやく横になっているのは自分だという事に気がついた。長椅子に使われている革が、頬にしっとりと張り付いている。さらには何故か榎木津がしゃがみこんでいて、目の高さが揃っている。
「あれ、僕ぁ寝てましたか」
「知るものか。誰がいちいち下僕の挙動に気を配る!マスヤマなんか蜥蜴みたいにソファと同化してるんだから」
ぶらりと腕を引き上げられた。
「掴まれなかったら素通りしていたぞ」
見れば自分の手が、榎木津の手を握りこんでいる。
それがどういうことなのか今一つ理解が及ばず、無言のままに時が流れたが、やがて益田は本当に目を覚まし奇声を上げて飛び起きた。
「……うわぁぁあ!? 何すんですかああ!」
「こっちの台詞だ!」
「そんな、だって僕ぁ、一番星が、あれ? あれ?」
しどろもどろになっている益田を、鳶色の瞳がじっと見ている。
手を離そうとした時にはすでに榎木津のもう片方の手ごと握りこまれていて、振り払うのもままならない。
泣きそうな顔で見た榎木津の表情は意外にも穏やかで、益田は目を瞬かせる。
「――下僕の癖に出し惜しみとは、生意気だぞ」
「え?」
握った手に、僅かに力が込められる。
その貌かたちは夢に見た神様とそっくりだ。恐らくは魂の形までもそうなのだろう。
誰よりも早く、眩しい。
「あんな風にも笑えるんじゃないか」
お題提供:『ペトルーシュカ』様
―――
益田の素の笑顔待ち。
油断すると寝てる話が続くブログです。