2000年代まで存命している榎木津の話です。
割と捏造妄想を含みます(名前の無いキャラも出ます)ので、そういうのが苦手な方はご注意ください。
割と捏造妄想を含みます(名前の無いキャラも出ます)ので、そういうのが苦手な方はご注意ください。
携帯電話を弄りながら歩いていたら、電池が切れてしまった。「充電してください」と無機質なメッセージを残してふっと画面が暗くなり、表情の無い自分の顔が映る。特に大事な電話がかかってくる用事も無いので別に構わないのだが、家に着くまで手持ち無沙汰だ。仕方なく携帯をポケットに仕舞いこみ、耳に詰め込んだイヤホンから流れ出てくる音楽に耳を傾けた。
聞こえてくる歌詞は桜の花だ青空だと軽やかに歌い上げるばかりで、今の季節とは全く合致しない。日が暮れてしまえば、剥き出しの耳が切れるかと思うほど冷え込む。でもこの歌声は好きだ。恋の甘い痺れを口にしつつ、何の憂いも無い声。歌を乗せる愛らしい唇をぼんやりと思い浮かべたところで、突然その声は途切れた。イヤホンのコードが何かに引っかかって、すっぽ抜けたようだ。慌てて省みると、闇夜に浮かぶ白いコードは棒のような何かに絡め取られている。良く見れば杖のようだ。真っ直ぐに伸びた木目を目で追うと、それは一人の老人へと繋がった。
老人とは云うが、一瞬見ただけでは老人とは判らなかった。自動販売機の明かりに照らされた髪が見事な白髪なのでああ若者では無いなと知っただけだ。二本の足でしっかりと立っていて、杖など要らないのではないかと思う。顔立ちも映画俳優か何かかと思うほどくっきりしていて、益々どうして自分と彼がコード一本で繋がっているのか心当たりが無い。ぽかんと口を開けていると、相手も口を開いた。そして吠えた。
「お前を呼んでいるのが判らないのか!」
「えっ」
杖を勢いよく引っ張られ、プレイヤーから引き抜かれたコードが冷たい地面を滑る。拾おうと追いかける前に、彼が目の前に進み出てきた。弱弱しく点滅する外灯の下で、不思議な色の目が自分を見下ろしている。こんな色の目は初めて見た。鳶色とでも云うのだろうか。
「お前、目が良さそうだな」
「ええ? は、はぁ、まぁ。 普通程度だと思います」
「よし、じゃあ上を見ろ。流れ星を探しなさい」
「は、ハァ!?」
なんだこの老人は。年長者が若者に対して無条件に上から物を云うのとは違う、圧倒的な不遜さだ。世間で流行の徘徊老人かと一瞬警戒したものの、大きな瞳は自分のような者にも判るほどはっきりとした意志の力を持っていて、従わざるを得ないような気にさせられる。彼の目が急かすように瞬いたのを見て、慌てて真っ暗な空を見上げた。
曇っているのか何も見えない、と思ったが、じっと見ているうちに目が慣れてきた。ひとつ、またひとつと小さな光が現れてくる。ちらちらと燃えるように瞬いていたひとつが、ふっと一瞬横切って消えた。
「あっ、ありました――また流れた」
そう云えばテレビニュースで聞いた気もする。彗星が齎した残滓が降る夜。今夜は月も無く、流星群観賞には絶好の環境となるでしょう。いつも携帯の画面を眺めながら帰っているので、いつ月が出ているのかも知らない。
首が疲れたので一旦頭を下ろすと、老人は空を見上げていた様子も無く相変わらず自分を見ていた。人に勧める癖に自分は見ようとしないとは、可笑しな事だ。見ないのですかと一応聞いてみると、「もう視た、お前の目は確かに悪くないな」と不思議な事を云った。
杖の先に絡んだままのコードを拾おうとそっと背を屈めると、靴先を杖で小突かれる。
「しゃんとしなさい」
「え、いや、はい」
「下を向いて歩いていると、どこかのバカオロカと間違えるじゃないか」
バカオロカ。
聞かない響きだ。というか、漢字をあてると多分馬鹿と愚かなのだろう。酷すぎる。今日び小学生の喧嘩でも云わない。そんなものと間違われるとは。何とも云い難い気分がして、頭を掻いた。耳に掛けて流していた前髪がばさりと落ちる。
「あいつも、目は良かったからな」
そう呟いた老人の声は、明瞭としていたが何処か寂しそうで、何か声を掛けようと思ったが口ごもっている間に彼は背を向けて歩いていってしまっていた。靴音と杖がアスファルトを打つ音が、遠ざかっていく。コードは手の中ですっかり冷えていて、耳に入れる気にもならずポケットに捻じ込んだ。弱った電灯の明滅に従って見え隠れする後姿が、現れるたびに小さくなっていく。完全に見えなくなってしまうのが何となく厭で、自分のほうから背を向けた。
すっかり闇に慣れた目が、夜に浮かぶいくつもの光を捉える。流れて落ちるものは僅かで、きっと多くの星は明日以降も空に在り続けるのだろう。自分がその姿を見つけるずっとずっと前からそうであったように。
例えばあの老人がもっと若かった頃から。バカオロカなどと呼ばれた誰かが、彼が褒めたその目で空を見上げていた時から。
―――
オリオン座流星群はここ数年見られるようになったものだそうです。
これでも榎益榎だと思います。多分。
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