此処に来る時はいつも作業服だなぁ、と思う。外壁の白も美しいビルヂング内で、扉に据えられた金のノブひとつ取っても瀟洒な造りの事務所だ。我ながらどう見ても浮いており、出入りの水道屋か電気屋にしか見えない。
だが、浮いている位で丁度良いとも思っている。何せ此処は探偵を筆頭に、明らかに「普通」でない人種の集まりなのだ。馴染んでしまったが最後、最早自分が過ごしている愛すべき常識の世界には戻れまい。いくら自分が幾度と無くこのドアを潜っており、勝手知ったる他人の家ならぬ探偵事務所になっているとしてもだ。
からんからんと鳴るベルの音で顔を上げたのは、いつも通り掃除をしていた探偵秘書の男だった。
「おや、お久しぶりですな」
「こんにちは」
「今日はどう云った御用向きで?先生ですか、益田君ですか」
「直接話しますから大丈夫です、益田さんはいらっしゃいますか」
一応室内を見渡してみたが、太陽光を受けて光る三角錐が置かれた机にも、応接セットなのか仕事机なのか最早あやふやなソファにもその姿は無い。尋ねられた寅吉は得心した様子で、箒を持ったまま歩き出した。彼が進んで行く先は、探偵の寝室では無かったろうか。
首を傾げる僕の目の前で、寅吉は拳の裏を使ってコンコンと扉を叩いた。
「益田君起きなさい、益田君や。君にお客さんだよ」
やや間を置いてドアノブが回り、中から黒髪の男が現れた。
ベストもタイも付けておらず、綿のシャツは僅かによれていていかにも寝起きと云った様相だ。客と聞いて起きてきた筈なのに、ふわあぁ、と大欠伸までしている。僕の姿を認めると、涙を浮かべた目を擦りながら、おざなりにお辞儀をしてみせた。
「電気屋さんかと思ったら、本島さんでしたか。どうもおはようございます」
「ど、どうも」
「おはようございますじゃあないよ益田君。全くだらしない。彼だったから良いようなものの、本当のお客様だったらどうするんだい」
矢張り客として認められていない。
益田がどさりとソファに腰掛けたので、つられて自分も座る。クッションに身を預けて、未だ眠たそうな益田に話しかけた。
「事務所改装したんですか?」
「へ、何でですか」
「益田さんが寝てた部屋は、榎木津さんの寝室だった所ですよね」
「そうですよ、と云うより、今もそうです」
意味を量りかねている僕と、細い目をしょぼしょぼさせている益田の目の前に、それぞれ冷たい水が置かれる。
有難く飲んでいると、寅吉がつまらなそうに呟いた。
「最近益田君は、先生の寝床で寝泊りしてるのさ」
含んだ水を噴き出しそうになった。どうにか堪えたものの、変な所に入ってしまい噎せている僕の頭上で、変な会話が続いている。
「いやぁ凄いんですよ実際、榎木津さんの寝台。何て云うんでしょうねぇ、クッションが凄い。その上布団は羽ですよ。綿じゃないんですよ。おまけにシーツはいつも清潔で、良ぉく眠れるんですねこれが」
「私ゃ君を安らかに寝かせるためにシーツを換えてる訳じゃ無いよ、全く。このソファが気に入ったって云ってたのに、贅沢は直ぐ憶えるんだから」
「いやいや確かにこのソファも素晴らしかったですよ、でもやっぱり寝心地が全然違いますねェ。まぁ縮こまって寝てますから実際寝てる面積としたらソファとそんなに変わらないですけど」
益田はさも楽しげにけけけ、と笑っている。僕はようやく気管の水を収めるところに収めたものの、驚きすぎて何の用事で来たのかすっかり忘れてしまった。忘れてしまう程度の事だ、大した用事じゃあ無かったのだろう。恐らく。
聞いたら面倒な事になる、と思った時には、既に僕の口は益田に向けて開かれてしまっていた。
「榎木津さんは何処で寝てるんですか!」
「何処でって、この中ですよ?ベッドの大半取って、すやすやとお休みです」
益田の華奢な指が寝室の扉を示し、頭をがんと殴られたような気持ちになった。変な事務所だとは思っていたが、こういう可笑しさは想定外だ。
馬鹿のように口をぽかんと開けたまま、部屋と益田とを交互に見ている自分に向かって、益田がきゃああと大袈裟な悲鳴を上げた。
「嫌だー本島さんったらいやらしい!何も無いですよう!寝てるだけですって」
「ね、ね、寝てるだけって、榎木津さんと、あの榎木津さんと…ですよね?」
「そうですよ。まぁ寝てる時はあの人も綺麗なもんです。寝言とか云うから寝ててやっと起きてる普通の人くらいですかねぇ」
目覚めて大分口の滑りが良くなってきたらしい益田が、首を傾げたり指先を捏ね回したりしながら説明する。その口調には後ろめたさはおろか、照れのひとつも感じられない。さも当たり前と云った様相ですらある。
「うら若き女性と同衾なんて云ったら流石の僕も丁重にお断りしますけど、相手はいくら美形ってったって30半ばのおじさんですからねぇ」
後頭部を掻きながら更に益田が続けた。それもどうかと思う、とも云えず僕も何となく頷く。
其処に何も云わず自分の職分を果たしていた筈の寅吉が現れ、箒で益田の頭を軽く小突く。
「折角起きたんだ、買い物にでも付き合いたまえよ」
「えええ、和寅さんと買い物に行くと長いんですもん。本島さんと行けばいいじゃないですかぁ」
「彼はお客さんだろう。ゆっくりしていってくださいよ。もし電話がかかってきたら、探偵は不在ですとか云っておいてくれれば大丈夫だから」
普通客は、訪問先で掛かってきた電話には出ない。
僕が何も云わないのを了解と解釈したのか、割烹着を着たままの寅吉と、益田――彼に至ってはいってきまぁすと手まで振って――は出て行ってしまった。
カウベルが鳴り止めば、辺りは静かなものだ。だだっ広いフロアに、たった一人取り残される。
見る物も無いので何となく座り込んでいると、丁度視線の中にあったドアノブが回り、ドアが開いた。中から現れたのは、薔薇十字探偵社の社主であり、探偵であり、最も普通からかけ離れた男。
鳶色の瞳は僕の姿を認めると、先程まで益田が座っていた席に座った。
「武蔵嵐山じゃないか、何故此処に居る?」
「ええと…留守番です」
武蔵嵐山では無いし、そもそも別の用件があって来た筈なのだが、訂正するのも面倒だし、意味が無いので中間を全て省略して現在の状況だけを答えた。どうやら、榎木津の機嫌を損ねずに済んだようだ。
皺の寄ったシャツとくしゃくしゃの髪が益田とだぶって見えて、つい目を逸らす。その行動が気になったのか、榎木津は僕の頭のあたりをじっと睨んだ。
「益山に会ったのか」
「ああ、はい。丁度そこに座ってて…ちょっと話しました」
「何を聞いた?」
ぎくり、と背筋が強張る。
益田の態度は決して後ろ暗いものでは無かった筈で、榎木津の質問にもきっと他意は無い。なのに悪い事を聞かれたような気になってしまったのは、きっと自分の受け取り方の問題だ。
益田が飲まなかった水を飲んだ榎木津が、僕の答えを待たずに云う。
「マスカマが僕と寝てて、何か不都合があるのか?」
「いや不都合なんて――ただ」
僕だって、近藤の手伝いで徹夜して、部屋に戻る体力も尽きた時等はあの雑然とした部屋で倒れるように眠り、結果あの山賊のような男と雑魚寝の形になってしまう事もままある。勿論申し訳無い気分になる事は一切、無い。相手が近藤で無くても、例えば益田であっても問題は無いだろう。
何故益田が榎木津の寝室から現れた時、僕は動揺してしまったのだろうか。答えなど、解りきっていた。
「彼は、榎木津さんの事が―――好きなんじゃないかな、と思ってましたから」
「なるほど」
榎木津がにやりと笑い、僕は肩を竦める。云ってはいけない事を云った。少なくとも、益田にとっては。
けれど榎木津は至って変わらぬ様子で、手慰みにグラスの縁を指で擦っている。
「そうだよ、ヤツは僕の事が好きだ」
「えぇっ!?」
「自分で云った癖に何を吃驚している、東武竹沢!」
「だ、だって、益田さんは何も無いって」
「一緒に寝たら何かしないといけないのか、顔に似合わずいやらしい男だな東松山は」
一日に2回もいやらしいと云われてしまった。不毛だ。
釈然としない気持ちでグラスの水を舐める僕を無視し、榎木津は更にクッションに深く埋もれる。
「僕だってにゃんこを抱いて寝たりしたい。にゃんこは良いぞーあったかくてやわらかくて。でも僕はにゃんこを撫でることはあっても何かしようなんて思わない。赤ちゃんだってお母さんと一緒に寝るじゃないか」
「はぁ、そうですね」
早苗と梢が手を繋いで、縁側で午睡している光景を思い出した。榎木津にも視えたのか、「かぁわいいなぁ」と喜び、整った顔を崩している。
僕もつられ笑いをしたが、榎木津がグラスを机に叩きつけるように置いたので、驚いた。たぁんという高い音。
顔を上げると、一瞬前とは別人のような顔をした榎木津が居る。
「―――益山が僕と寝なくなったら、僕の勝ちだ」
贅沢は直ぐに憶えてしまうと寅吉は云っていた。
彼が、心地の良い寝床を放棄する時があるとすれば。
想像したくは無かったが、その時既に僕の中には、軽薄な笑みを消し去った益田の顔が浮かんでしまっていた。
―――
少し早いですが、シロさんお誕生日おめでとうございます。
「益田と榎木津が性的な意味でなく一緒に寝てるのが読みたい」との事でしたので書いてみました。
多分こういうことじゃ…榎木津…こんな…なんか…ううん……とにかくおめでとうございます!
だが、浮いている位で丁度良いとも思っている。何せ此処は探偵を筆頭に、明らかに「普通」でない人種の集まりなのだ。馴染んでしまったが最後、最早自分が過ごしている愛すべき常識の世界には戻れまい。いくら自分が幾度と無くこのドアを潜っており、勝手知ったる他人の家ならぬ探偵事務所になっているとしてもだ。
からんからんと鳴るベルの音で顔を上げたのは、いつも通り掃除をしていた探偵秘書の男だった。
「おや、お久しぶりですな」
「こんにちは」
「今日はどう云った御用向きで?先生ですか、益田君ですか」
「直接話しますから大丈夫です、益田さんはいらっしゃいますか」
一応室内を見渡してみたが、太陽光を受けて光る三角錐が置かれた机にも、応接セットなのか仕事机なのか最早あやふやなソファにもその姿は無い。尋ねられた寅吉は得心した様子で、箒を持ったまま歩き出した。彼が進んで行く先は、探偵の寝室では無かったろうか。
首を傾げる僕の目の前で、寅吉は拳の裏を使ってコンコンと扉を叩いた。
「益田君起きなさい、益田君や。君にお客さんだよ」
やや間を置いてドアノブが回り、中から黒髪の男が現れた。
ベストもタイも付けておらず、綿のシャツは僅かによれていていかにも寝起きと云った様相だ。客と聞いて起きてきた筈なのに、ふわあぁ、と大欠伸までしている。僕の姿を認めると、涙を浮かべた目を擦りながら、おざなりにお辞儀をしてみせた。
「電気屋さんかと思ったら、本島さんでしたか。どうもおはようございます」
「ど、どうも」
「おはようございますじゃあないよ益田君。全くだらしない。彼だったから良いようなものの、本当のお客様だったらどうするんだい」
矢張り客として認められていない。
益田がどさりとソファに腰掛けたので、つられて自分も座る。クッションに身を預けて、未だ眠たそうな益田に話しかけた。
「事務所改装したんですか?」
「へ、何でですか」
「益田さんが寝てた部屋は、榎木津さんの寝室だった所ですよね」
「そうですよ、と云うより、今もそうです」
意味を量りかねている僕と、細い目をしょぼしょぼさせている益田の目の前に、それぞれ冷たい水が置かれる。
有難く飲んでいると、寅吉がつまらなそうに呟いた。
「最近益田君は、先生の寝床で寝泊りしてるのさ」
含んだ水を噴き出しそうになった。どうにか堪えたものの、変な所に入ってしまい噎せている僕の頭上で、変な会話が続いている。
「いやぁ凄いんですよ実際、榎木津さんの寝台。何て云うんでしょうねぇ、クッションが凄い。その上布団は羽ですよ。綿じゃないんですよ。おまけにシーツはいつも清潔で、良ぉく眠れるんですねこれが」
「私ゃ君を安らかに寝かせるためにシーツを換えてる訳じゃ無いよ、全く。このソファが気に入ったって云ってたのに、贅沢は直ぐ憶えるんだから」
「いやいや確かにこのソファも素晴らしかったですよ、でもやっぱり寝心地が全然違いますねェ。まぁ縮こまって寝てますから実際寝てる面積としたらソファとそんなに変わらないですけど」
益田はさも楽しげにけけけ、と笑っている。僕はようやく気管の水を収めるところに収めたものの、驚きすぎて何の用事で来たのかすっかり忘れてしまった。忘れてしまう程度の事だ、大した用事じゃあ無かったのだろう。恐らく。
聞いたら面倒な事になる、と思った時には、既に僕の口は益田に向けて開かれてしまっていた。
「榎木津さんは何処で寝てるんですか!」
「何処でって、この中ですよ?ベッドの大半取って、すやすやとお休みです」
益田の華奢な指が寝室の扉を示し、頭をがんと殴られたような気持ちになった。変な事務所だとは思っていたが、こういう可笑しさは想定外だ。
馬鹿のように口をぽかんと開けたまま、部屋と益田とを交互に見ている自分に向かって、益田がきゃああと大袈裟な悲鳴を上げた。
「嫌だー本島さんったらいやらしい!何も無いですよう!寝てるだけですって」
「ね、ね、寝てるだけって、榎木津さんと、あの榎木津さんと…ですよね?」
「そうですよ。まぁ寝てる時はあの人も綺麗なもんです。寝言とか云うから寝ててやっと起きてる普通の人くらいですかねぇ」
目覚めて大分口の滑りが良くなってきたらしい益田が、首を傾げたり指先を捏ね回したりしながら説明する。その口調には後ろめたさはおろか、照れのひとつも感じられない。さも当たり前と云った様相ですらある。
「うら若き女性と同衾なんて云ったら流石の僕も丁重にお断りしますけど、相手はいくら美形ってったって30半ばのおじさんですからねぇ」
後頭部を掻きながら更に益田が続けた。それもどうかと思う、とも云えず僕も何となく頷く。
其処に何も云わず自分の職分を果たしていた筈の寅吉が現れ、箒で益田の頭を軽く小突く。
「折角起きたんだ、買い物にでも付き合いたまえよ」
「えええ、和寅さんと買い物に行くと長いんですもん。本島さんと行けばいいじゃないですかぁ」
「彼はお客さんだろう。ゆっくりしていってくださいよ。もし電話がかかってきたら、探偵は不在ですとか云っておいてくれれば大丈夫だから」
普通客は、訪問先で掛かってきた電話には出ない。
僕が何も云わないのを了解と解釈したのか、割烹着を着たままの寅吉と、益田――彼に至ってはいってきまぁすと手まで振って――は出て行ってしまった。
カウベルが鳴り止めば、辺りは静かなものだ。だだっ広いフロアに、たった一人取り残される。
見る物も無いので何となく座り込んでいると、丁度視線の中にあったドアノブが回り、ドアが開いた。中から現れたのは、薔薇十字探偵社の社主であり、探偵であり、最も普通からかけ離れた男。
鳶色の瞳は僕の姿を認めると、先程まで益田が座っていた席に座った。
「武蔵嵐山じゃないか、何故此処に居る?」
「ええと…留守番です」
武蔵嵐山では無いし、そもそも別の用件があって来た筈なのだが、訂正するのも面倒だし、意味が無いので中間を全て省略して現在の状況だけを答えた。どうやら、榎木津の機嫌を損ねずに済んだようだ。
皺の寄ったシャツとくしゃくしゃの髪が益田とだぶって見えて、つい目を逸らす。その行動が気になったのか、榎木津は僕の頭のあたりをじっと睨んだ。
「益山に会ったのか」
「ああ、はい。丁度そこに座ってて…ちょっと話しました」
「何を聞いた?」
ぎくり、と背筋が強張る。
益田の態度は決して後ろ暗いものでは無かった筈で、榎木津の質問にもきっと他意は無い。なのに悪い事を聞かれたような気になってしまったのは、きっと自分の受け取り方の問題だ。
益田が飲まなかった水を飲んだ榎木津が、僕の答えを待たずに云う。
「マスカマが僕と寝てて、何か不都合があるのか?」
「いや不都合なんて――ただ」
僕だって、近藤の手伝いで徹夜して、部屋に戻る体力も尽きた時等はあの雑然とした部屋で倒れるように眠り、結果あの山賊のような男と雑魚寝の形になってしまう事もままある。勿論申し訳無い気分になる事は一切、無い。相手が近藤で無くても、例えば益田であっても問題は無いだろう。
何故益田が榎木津の寝室から現れた時、僕は動揺してしまったのだろうか。答えなど、解りきっていた。
「彼は、榎木津さんの事が―――好きなんじゃないかな、と思ってましたから」
「なるほど」
榎木津がにやりと笑い、僕は肩を竦める。云ってはいけない事を云った。少なくとも、益田にとっては。
けれど榎木津は至って変わらぬ様子で、手慰みにグラスの縁を指で擦っている。
「そうだよ、ヤツは僕の事が好きだ」
「えぇっ!?」
「自分で云った癖に何を吃驚している、東武竹沢!」
「だ、だって、益田さんは何も無いって」
「一緒に寝たら何かしないといけないのか、顔に似合わずいやらしい男だな東松山は」
一日に2回もいやらしいと云われてしまった。不毛だ。
釈然としない気持ちでグラスの水を舐める僕を無視し、榎木津は更にクッションに深く埋もれる。
「僕だってにゃんこを抱いて寝たりしたい。にゃんこは良いぞーあったかくてやわらかくて。でも僕はにゃんこを撫でることはあっても何かしようなんて思わない。赤ちゃんだってお母さんと一緒に寝るじゃないか」
「はぁ、そうですね」
早苗と梢が手を繋いで、縁側で午睡している光景を思い出した。榎木津にも視えたのか、「かぁわいいなぁ」と喜び、整った顔を崩している。
僕もつられ笑いをしたが、榎木津がグラスを机に叩きつけるように置いたので、驚いた。たぁんという高い音。
顔を上げると、一瞬前とは別人のような顔をした榎木津が居る。
「―――益山が僕と寝なくなったら、僕の勝ちだ」
贅沢は直ぐに憶えてしまうと寅吉は云っていた。
彼が、心地の良い寝床を放棄する時があるとすれば。
想像したくは無かったが、その時既に僕の中には、軽薄な笑みを消し去った益田の顔が浮かんでしまっていた。
お題提供:『BALDWIN』様
―――
少し早いですが、シロさんお誕生日おめでとうございます。
「益田と榎木津が性的な意味でなく一緒に寝てるのが読みたい」との事でしたので書いてみました。
多分こういうことじゃ…榎木津…こんな…なんか…ううん……とにかくおめでとうございます!
PR
Web拍手お返事です。ありがとうございます。
>林檎様
拍手ありがとうございます。
師匠はよせと云うに(@中禅寺)身に余る高評価に緊張しております。
リクエスト確かに承りました。司は2回くらいしか書いた事が無いのでどうなることやら、と云った感じですが
ご期待に沿えるよう鋭意努力致します。
更新のご報告もありがとうございました。大丈夫、すでに読んでおります(何が大丈夫なのか)
新しい味の世界が広がっていて、榎益の可能性に思いを馳せさせて頂きました。
林檎さん宅の益田はいい思いしてますね。汁気の無い当方でもあやかりたいです。
今後のご活躍も楽しみにしております。
>6月14日 0:52の方
リクエストありがとうございます。新しい視点での榎木津と益田が書けそうで、嬉しいです。
募集期間終了後、順番に手をつけて参りますのでもう暫くお待ちください。ありがとうございました。
>6月14日 1:35の方
リクエストありがとうございます。
邪魅文庫版出ましたし、山下の台詞は加筆が多くて凄いなぁと思っていたところでした。
ありがとうございました。
>6月14日 2:28の方
リクエスト了解致しました。出来る限り力を尽くさせていただきます。
ありがとうございました。
>蒼月様
おはようございます。猫を撫でていたら思いっきり噛まれて手が歯型にへこんだハム星です。
最近は更新が減りがちで、「ああ…」と自分で自分にガッカリする毎日ですが
そう云って頂けると救われる心地です。お言葉に甘えて、マイペースで頑張ります。
また、今回もリクエストを頂けて嬉しいです。ありがとうございます。
また可愛いご指定で、今から力が入ります。
今回は募集期間が長いため、お待たせする時間も長くなってしまい申し訳ございません。
ありがとうございました。
叩いてくださった方も、ありがとうございました。
レス不要の方もありがとうございます。まだ100題には行ってないです!これからです!すみません!が、頑張ります。
昨夜は真宏さん宅の益田チャット~月に一度は益田をかわいいかわいい云ったり榎木津と結婚しろと云う日があってもいいじゃないかパーティー~にお邪魔してきました。副題は今勝手につけました。すみません。大変に楽しかったです!またこんな機会があったらとても嬉しいです。来月などに(…)
邪魅の加筆修正は、今のところ山下の台詞などに多く手が入っているなぁという印象で、666ページ周辺はほとんど一緒だったのですが、私的に「先生ありがとう!」だったのは「改めて真正面から『顔を』見たことなどない」なんですよ。榎木津と会話する際は、俯いて手や膝を見たりしていた益田の所在なげな様子が目に浮かぶようです。わずか2文字の加筆に夢が詰まってると思いませんか?
>林檎様
拍手ありがとうございます。
師匠はよせと云うに(@中禅寺)身に余る高評価に緊張しております。
リクエスト確かに承りました。司は2回くらいしか書いた事が無いのでどうなることやら、と云った感じですが
ご期待に沿えるよう鋭意努力致します。
更新のご報告もありがとうございました。大丈夫、すでに読んでおります(何が大丈夫なのか)
新しい味の世界が広がっていて、榎益の可能性に思いを馳せさせて頂きました。
林檎さん宅の益田はいい思いしてますね。汁気の無い当方でもあやかりたいです。
今後のご活躍も楽しみにしております。
>6月14日 0:52の方
リクエストありがとうございます。新しい視点での榎木津と益田が書けそうで、嬉しいです。
募集期間終了後、順番に手をつけて参りますのでもう暫くお待ちください。ありがとうございました。
>6月14日 1:35の方
リクエストありがとうございます。
邪魅文庫版出ましたし、山下の台詞は加筆が多くて凄いなぁと思っていたところでした。
ありがとうございました。
>6月14日 2:28の方
リクエスト了解致しました。出来る限り力を尽くさせていただきます。
ありがとうございました。
>蒼月様
おはようございます。猫を撫でていたら思いっきり噛まれて手が歯型にへこんだハム星です。
最近は更新が減りがちで、「ああ…」と自分で自分にガッカリする毎日ですが
そう云って頂けると救われる心地です。お言葉に甘えて、マイペースで頑張ります。
また、今回もリクエストを頂けて嬉しいです。ありがとうございます。
また可愛いご指定で、今から力が入ります。
今回は募集期間が長いため、お待たせする時間も長くなってしまい申し訳ございません。
ありがとうございました。
叩いてくださった方も、ありがとうございました。
レス不要の方もありがとうございます。まだ100題には行ってないです!これからです!すみません!が、頑張ります。
昨夜は真宏さん宅の益田チャット~月に一度は益田をかわいいかわいい云ったり榎木津と結婚しろと云う日があってもいいじゃないかパーティー~にお邪魔してきました。副題は今勝手につけました。すみません。大変に楽しかったです!またこんな機会があったらとても嬉しいです。来月などに(…)
邪魅の加筆修正は、今のところ山下の台詞などに多く手が入っているなぁという印象で、666ページ周辺はほとんど一緒だったのですが、私的に「先生ありがとう!」だったのは「改めて真正面から『顔を』見たことなどない」なんですよ。榎木津と会話する際は、俯いて手や膝を見たりしていた益田の所在なげな様子が目に浮かぶようです。わずか2文字の加筆に夢が詰まってると思いませんか?
榎益榎腐女子なので、ノベルス版666P周辺から洗うという邪道極まりない真似をしておりますが
見つけたところをちょろちょろっと覚え書きしていきます。
参考にどうぞ。また、見落としている箇所がありましたら教えていただけると幸いです。
※改行の増減等は含みません。
見つけたところをちょろちょろっと覚え書きしていきます。
参考にどうぞ。また、見落としている箇所がありましたら教えていただけると幸いです。
※改行の増減等は含みません。
界隈で最も背の高いビルヂング、その中で最も高い場所。
薄暗い階段と屋上とを隔てる鉄の扉を、益田は痩せた肩でそっと押し開けた。キィとでも軋まぬよう、そおっとそおっと潜り抜ける。勿論ノブが降りる音が立たぬよう、そっと扉を閉じる事も忘れない。
ごぉと吹き抜ける風で舞い上がる前髪を持て余しながら、益田は辺りを見渡す。外壁と同じく乾いたような質感の白い床面には、落ちる人影すら無い。となると―――見上げた先は、最も高い場所より更に高い、貯水タンクの上だ。
梯子状の鉄管に足をかける。靴音が鳴ってしまいそうで、一段目にかけた爪先にぐっと力を入れて背伸びをした。
―――居た。
日光を集めて温もったタンクに胡坐をかいて、座り込む探偵の背中が見える。
益田は音を立てぬよう、一段飛ばしで梯子を上がって、曲面に指先を引っ掛けた。不恰好によじ昇り、上半身をようやく天面に押し上げる。そよそよと靡く栗色の髪は、振り向く気配すら無い。
飛びたたんとする小鳥を狙う猫のような姿勢―――と呼ぶには、余りに身軽さと柔軟さに欠けてはいたが、益田は飛び跳ねるようにして榎木津の腰にしがみ付いた。
「―――つっかまえた!」
「なんだマスヤマ、お前が来たのか」
榎木津は胡坐を崩さぬまま、益田を見下ろしている。益田はと云うと、腰から下をぶら下げたまま、ぜぇぜぇと息を荒げて鳶色の瞳を見上げていた。
「なんだじゃあないですよぅ、何居なくなってるんですか。今は、和寅さんが繋いでくれてますけど…早く行かないと」
「居なくなったとは何だ。僕は行きたい時に行きたい所に行くんだ!」
益田はがくりと頭を落とし、大きな溜息をつく。
捕まえた男は捕まったという意識も無く、今にも飛び立ってしまいそうだ。そして益田は、その考えが榎木津の大きな瞳が遠くを見ている事から来ているのに気づいた。
「何、見てるんですか?」
「何も見てないよ」
益田も榎木津の顔から視線を外し、彼の目が向いている方向を見た。
未だ開発の手が帝都程には伸びていないこの街では、榎木津ビルヂングの他は概ね2階建てが精々だ。
探偵社の窓ならまだしも、屋上の、それも貯水タンクにまで昇ってしまえば視界を遮るものは殆ど存在しない。道路や民家や並木が、遠くへ行くに従って輪郭を失って灰色の塊になってしまうのに対し、頭上に広がる薄青い空は何処まで行っても空のままだ。
急な風に前髪を吹き上げられて、思わず目を閉じた益田の耳に柔らかな声が届く。
「何も視えないんだ」
益田はまた、榎木津を見上げた。いつも濡れているような輝きを帯びる色素の薄い瞳は、太陽を飲み込んで益々眩しく光る。
(そうか、此処には、誰も居ないから―――…)
益田などは想像だにした事も無い、不思議な景色。人の記憶が「視え」て、其処に絶えず浮かんでいるという情景。
人ごみに降りて辺りを見回せば、人の数だけそれが視えてしまうのだ。どの程度の実体感を伴って浮かび上がるものか、益田は知らない。ただ榎木津は常に視えたままのものを仔細に渡って並べあげては益田をからかうので、矢張り良く視えているのだと思う。
遮るものの無いこの場所で、榎木津が見る事の適わぬ「普通の景色」を求めているとしたら―――
益田は絡めた腕の力をそっと緩めた。
「榎木津さん、僕和寅さんに云ってきます。お客さんには上手い事云って誤魔化しときますから」
しかし榎木津はカラカラと高らかに笑い、離した筈の両腕を奪って元通り腹の前で組み合わせる。
くるりと振り向いて、眉を八の字に歪めたままぽかんと自分を見上げる益田を見た。
「お前は本当に単純なヤツだなぁ」
「な、なんですよ。折角人が気を遣って」
「神妙な顔しちゃって、単純バカオロカだな。そんなんだから浮気相手の女の人に泣きつかれて、どっちの味方して良いか解んなくなっちゃったりするんだ」
「なっ!み、視ましたね!」
暴れた益田の足先がタンクを蹴飛ばして、ガンと鈍い音が響いた。
胴に絡む細い腕に、白い指が這わされる。
「なぁマスヤマ」
「なんですか」
「いつもいつも逃げてばっかのお前が僕を追いかけてくるから、此処に居たって云ったらどうする?」
「…!」
益田は答えなかった。
日暮れはまだまだ遠いはずの青空の下で、その頬に一気に朱が上るのを見て、榎木津はまたゲラゲラと楽しげに笑った。
――――
榎木津が益田を追い詰める話ばっかり書いているので、たまには益田にも捕まえてもらいました。
薄暗い階段と屋上とを隔てる鉄の扉を、益田は痩せた肩でそっと押し開けた。キィとでも軋まぬよう、そおっとそおっと潜り抜ける。勿論ノブが降りる音が立たぬよう、そっと扉を閉じる事も忘れない。
ごぉと吹き抜ける風で舞い上がる前髪を持て余しながら、益田は辺りを見渡す。外壁と同じく乾いたような質感の白い床面には、落ちる人影すら無い。となると―――見上げた先は、最も高い場所より更に高い、貯水タンクの上だ。
梯子状の鉄管に足をかける。靴音が鳴ってしまいそうで、一段目にかけた爪先にぐっと力を入れて背伸びをした。
―――居た。
日光を集めて温もったタンクに胡坐をかいて、座り込む探偵の背中が見える。
益田は音を立てぬよう、一段飛ばしで梯子を上がって、曲面に指先を引っ掛けた。不恰好によじ昇り、上半身をようやく天面に押し上げる。そよそよと靡く栗色の髪は、振り向く気配すら無い。
飛びたたんとする小鳥を狙う猫のような姿勢―――と呼ぶには、余りに身軽さと柔軟さに欠けてはいたが、益田は飛び跳ねるようにして榎木津の腰にしがみ付いた。
「―――つっかまえた!」
「なんだマスヤマ、お前が来たのか」
榎木津は胡坐を崩さぬまま、益田を見下ろしている。益田はと云うと、腰から下をぶら下げたまま、ぜぇぜぇと息を荒げて鳶色の瞳を見上げていた。
「なんだじゃあないですよぅ、何居なくなってるんですか。今は、和寅さんが繋いでくれてますけど…早く行かないと」
「居なくなったとは何だ。僕は行きたい時に行きたい所に行くんだ!」
益田はがくりと頭を落とし、大きな溜息をつく。
捕まえた男は捕まったという意識も無く、今にも飛び立ってしまいそうだ。そして益田は、その考えが榎木津の大きな瞳が遠くを見ている事から来ているのに気づいた。
「何、見てるんですか?」
「何も見てないよ」
益田も榎木津の顔から視線を外し、彼の目が向いている方向を見た。
未だ開発の手が帝都程には伸びていないこの街では、榎木津ビルヂングの他は概ね2階建てが精々だ。
探偵社の窓ならまだしも、屋上の、それも貯水タンクにまで昇ってしまえば視界を遮るものは殆ど存在しない。道路や民家や並木が、遠くへ行くに従って輪郭を失って灰色の塊になってしまうのに対し、頭上に広がる薄青い空は何処まで行っても空のままだ。
急な風に前髪を吹き上げられて、思わず目を閉じた益田の耳に柔らかな声が届く。
「何も視えないんだ」
益田はまた、榎木津を見上げた。いつも濡れているような輝きを帯びる色素の薄い瞳は、太陽を飲み込んで益々眩しく光る。
(そうか、此処には、誰も居ないから―――…)
益田などは想像だにした事も無い、不思議な景色。人の記憶が「視え」て、其処に絶えず浮かんでいるという情景。
人ごみに降りて辺りを見回せば、人の数だけそれが視えてしまうのだ。どの程度の実体感を伴って浮かび上がるものか、益田は知らない。ただ榎木津は常に視えたままのものを仔細に渡って並べあげては益田をからかうので、矢張り良く視えているのだと思う。
遮るものの無いこの場所で、榎木津が見る事の適わぬ「普通の景色」を求めているとしたら―――
益田は絡めた腕の力をそっと緩めた。
「榎木津さん、僕和寅さんに云ってきます。お客さんには上手い事云って誤魔化しときますから」
しかし榎木津はカラカラと高らかに笑い、離した筈の両腕を奪って元通り腹の前で組み合わせる。
くるりと振り向いて、眉を八の字に歪めたままぽかんと自分を見上げる益田を見た。
「お前は本当に単純なヤツだなぁ」
「な、なんですよ。折角人が気を遣って」
「神妙な顔しちゃって、単純バカオロカだな。そんなんだから浮気相手の女の人に泣きつかれて、どっちの味方して良いか解んなくなっちゃったりするんだ」
「なっ!み、視ましたね!」
暴れた益田の足先がタンクを蹴飛ばして、ガンと鈍い音が響いた。
胴に絡む細い腕に、白い指が這わされる。
「なぁマスヤマ」
「なんですか」
「いつもいつも逃げてばっかのお前が僕を追いかけてくるから、此処に居たって云ったらどうする?」
「…!」
益田は答えなかった。
日暮れはまだまだ遠いはずの青空の下で、その頬に一気に朱が上るのを見て、榎木津はまたゲラゲラと楽しげに笑った。
お題提供:『BALDWIN』様
――――
榎木津が益田を追い詰める話ばっかり書いているので、たまには益田にも捕まえてもらいました。
どかどかと重く乱暴な足音が、榎木津ビルヂングの階段を踏みしめて行く。薔薇十字探偵社のある3階までは結構な段数を数えるが、日々事件の捜査やら何やらで動き回る木場の健脚はそれをものともしない。ただ絡みつく蒸し暑さが不愉快で、事務所に付いたら先ず一番に冷たい茶のひとつも出させようなどと考えていた。金文字に彩られた、見慣れた摺り硝子の前に立つまさにその瞬間までは。
金色のドアノブに手をかけた瞬間、扉の隙間から聞こえた悲鳴のような声に、木場は手を止めて眉を顰めた。
「…あぁ?」
常人ならば、すわ暴力事件かと室内に飛び込んでいくところであろうが、木場は幾つも修羅場を超えてきた刑事であり、それ以前にこの出鱈目な探偵事務所の常連であった。それゆえに、漏れ聞こえてきた「男の悲鳴」が誰のもので、誰によって成されたものかもしっかり解っている。大方女のように前髪を伸ばした調子乗りの助手を、幼馴染の理不尽探偵が叱るなり苛めるなりしているのであろう。こういう時に入っていくと、益田の方はあからさまに安堵した様子でこちらを見て、榎木津の方は「躾」を中断された不愉快さを一気にその顔に昇らせるのだ。
またそんな光景を見る羽目になるのか、と頭を振った木場の耳に、違った種類の悲鳴が届いた。
「榎木津さぁん、は、早…止めて…」
…んん?
ドアノブを握ったままの木場の手がぎしりと強張った。叱られているのに「早い」「止めて」と云った単語が混ざってくるのはどういうわけだ。おまけにやけに息切れしているようで、正座で怒鳴られている状態ではこんな声は出まい。あるとすれば―――木場の思考を、今度は別の男の声が破った。
「痛ッ!…こら、マスヤマ!」
「す、すみま…」
「下手くそめ…もういいから、焦るな」
「そんなこと、言われて、も…」
立派な造りのビルの癖に、声が思いっきり漏れてきやがるじゃねぇか…木場は見当違いの感想を浮かべた。歴戦の刑事を少なからず混乱させる出来事が、この扉の向こうで起こっているようだ。摺り硝子は白く曇っていて、中の様子は殆ど伺えない。おまけにガタンガタンと何か家具が跳ね上がるような音を聞き、柄にも無く木場の大きな背中がびくつく。
外で訪問者が固まっているのも知らず、中では行為が続いているようだった。
「も…もう無理です、って…え…」
「若い癖に、何を云ってるんだ。これは飾りか!でくの棒か!」
「酷い事、云わないでください…!榎木津さんとは年季が、」
「年季を埋めるためにわざわざ僕が相手してやってるんだ、そら、もっと近くに…」
下か。礼二郎のやつが下なのか。意外だな…ってオイ。そんな事考えてる場合か。
木場の額から汗が吹き出す。長い階段を昇ったくらいではびくともしない体が、一刻も早く此処から離れなければと警鐘を鳴らし続けていた。もう会話は終わったようだが、代わりに切れ切れに益田の泣き声が聞こえるばかりだ。
それにしても仮にも職場で、真昼間からいかがわしい行為に耽るとは。
「あの書生の野郎は何をしてやがんだ?」
「はいはい、私がどうかしましたかね」
独り言に何処かから返事が来て、木場は驚いた。はっとして振り向けば、いつから立っていたのか割烹着姿の和寅が見上げている。腕にぶら下がっている買い物籠からは長ネギが覗いており、探偵秘書にはとても見えない。
「お、お前!この一大事に何処ほっつき歩いてやがった!」
「はぁ?私は夕食の買出しですよ。今日は益田君も出勤してるし、先生もお目覚めでしたから」
事も無げに買い物籠を示す和寅を前に、木場の脳天がくらくらした。
(あいつら、こいつの目ェ盗んで…)
この事務所には榎木津の寝室も備えられているはずなのに、声はすぐ近くから聞こえるということも木場に衝撃を与えた。警察署内でこんな真似をしたら、減俸どころの話では無い。探偵としての職業意識が緩過ぎるとは常々思っていたが、あまりに酷い。探偵助手の方も仮にも元刑事であるのだから、いや元刑事で無かったとしても、上司の無体は止めるべきでは無いのか。いや、あいつから誘ったのか?
恐ろしい形相で立っている大男に怯えた様子を見せつつも、和寅はそっと事務所のノブに手を伸ばした。木場が慌てる。
「おい!開けるのか!?」
「? そりゃ開けますよ、早く冷蔵庫に入れないと魚が悪くなってしまいますし。木場の旦那も先生に御用があっていらしたんじゃないですか?」
「んなこたぁどうでも良いんだよ、いいからお前、もう一回買い物行け!」
「へ?もう買い物無いですよ、変な事云いますな、先生じゃああるまいし…」
和寅を押し留める木場の背中で、今度は大きな物音がした。恐らく目隠し用の衝立が倒れたのだ。益田の力の抜けた悲鳴も聞こえ、和寅が再び扉に手をかける。
「また先生が暴れている…誰が片付けると思っているんだか」
ガチャリ、と音を立ててノブが弾み、木の扉がゆっくりと開いていく。
木場も覚悟を決めた。こうなりゃあやぶれかぶれだ。何にしてもあの2人は、強制猥褻でしょっぴかれても文句は云えまい。
ドアが完全に開ききり、カウベルがからんからんと音を立てた。その向こうでは―――
衝立は倒れ、応接セットは部屋の端に移動させられている。
ぜぇぜぇと息を切らし、目を潤ませた益田がこちらを見ている。
僅かに頬を紅潮させた榎木津は、行為が中断した事を知って眉をすがめながらも、やはりこちらを見ている。
2人は手を、指をしっかりと絡ませ合って―――
フロアの中央に、着衣を乱す事無く立っていた。
和寅が持ってきた冷たい珈琲を、奪い取るようにして一気に飲み干した木場は、呆れたように云う。
「ダンスの練習、だぁ?」
「今朝本家から電話がありまして、今度舞踏会をやるから先生に帰ってくるようにって云われたそうなんですわ。先生だったら断るんでしょうが生憎電話に出たのが益田君で」
「ホイホイ引き受けちまったっつー事か」
「そう、それで彼は朝から責任を取らされているんです」
片付けられたソファに座る木場と和寅の横では、榎木津と益田がいつもより広くなった空間を引き続き縦横無尽に踊り回っている。
踊っている、と云うよりは「走っている」と云ったほうが正確であろう。膝から下がもはやふらふらになった益田が、泣き声を上げた。
「榎木津さぁん、もう無理です!休ませてくださぁい!」
「五月蝿い!マスヤマがダンスを全く知らないのがいけないのだ!3倍早く覚える為には、3倍早く踊るしか無いんだぞ!」
「だって、これはもう、踊りじゃ」
ステップについていけない益田の革靴が榎木津の足を踏んでしまい、奇声とともに榎木津の平手が飛ぶ。
外に聞こえてきたのは、このやりとりだったのか―――ぼんやりと眺める木場の目の前で、前屈みになって苦しそうに息を弾ませる益田の背を、榎木津が無理やり立たせた。
「姿勢から復習するぞ、しゃんと立て!」
繋いだ手を握りなおし、ふらふらしている益田の腰を、榎木津がぐいと引き寄せる。益田がおずおずと榎木津の腰を抱いたのを確かめ、榎木津の腕が益田の首を絡め取った。
頬を添わせ、抱き合うような仕草。グラスの中で溶けた氷が、からんと音を立てる。
「………やっぱりいかがわしいじゃねぇか!」
「何を云うか下駄男、今日はマスヤマがはじめてだと云うからたまたま僕が女役をやっているだけで普段なら」
「もう止めろバカヤロウ!」
ついに切れた木場が殴りかかり、榎木津も楽しげに応戦する。やっとのことで手が離れた益田は、弱った蝶のようにおぼつない動きでどうとソファに倒れこんだ。
「か、和寅さん…僕にも冷たい飲み物、ください…」
「はいはい」
木場は幾つもの修羅場を超えた、歴戦の刑事である。榎木津との付き合いも、この中では一番長い。
そんな彼でもまだ計り知れないものがある。それがこの世のどの探偵事務所よりも出鱈目で如何わしい、ここ薔薇十字探偵社なのだった。
――――
一度はこういう叙述トリック(違うと思う)ものを書きたかったんです。
でもタイトルでネタバレ。
金色のドアノブに手をかけた瞬間、扉の隙間から聞こえた悲鳴のような声に、木場は手を止めて眉を顰めた。
「…あぁ?」
常人ならば、すわ暴力事件かと室内に飛び込んでいくところであろうが、木場は幾つも修羅場を超えてきた刑事であり、それ以前にこの出鱈目な探偵事務所の常連であった。それゆえに、漏れ聞こえてきた「男の悲鳴」が誰のもので、誰によって成されたものかもしっかり解っている。大方女のように前髪を伸ばした調子乗りの助手を、幼馴染の理不尽探偵が叱るなり苛めるなりしているのであろう。こういう時に入っていくと、益田の方はあからさまに安堵した様子でこちらを見て、榎木津の方は「躾」を中断された不愉快さを一気にその顔に昇らせるのだ。
またそんな光景を見る羽目になるのか、と頭を振った木場の耳に、違った種類の悲鳴が届いた。
「榎木津さぁん、は、早…止めて…」
…んん?
ドアノブを握ったままの木場の手がぎしりと強張った。叱られているのに「早い」「止めて」と云った単語が混ざってくるのはどういうわけだ。おまけにやけに息切れしているようで、正座で怒鳴られている状態ではこんな声は出まい。あるとすれば―――木場の思考を、今度は別の男の声が破った。
「痛ッ!…こら、マスヤマ!」
「す、すみま…」
「下手くそめ…もういいから、焦るな」
「そんなこと、言われて、も…」
立派な造りのビルの癖に、声が思いっきり漏れてきやがるじゃねぇか…木場は見当違いの感想を浮かべた。歴戦の刑事を少なからず混乱させる出来事が、この扉の向こうで起こっているようだ。摺り硝子は白く曇っていて、中の様子は殆ど伺えない。おまけにガタンガタンと何か家具が跳ね上がるような音を聞き、柄にも無く木場の大きな背中がびくつく。
外で訪問者が固まっているのも知らず、中では行為が続いているようだった。
「も…もう無理です、って…え…」
「若い癖に、何を云ってるんだ。これは飾りか!でくの棒か!」
「酷い事、云わないでください…!榎木津さんとは年季が、」
「年季を埋めるためにわざわざ僕が相手してやってるんだ、そら、もっと近くに…」
下か。礼二郎のやつが下なのか。意外だな…ってオイ。そんな事考えてる場合か。
木場の額から汗が吹き出す。長い階段を昇ったくらいではびくともしない体が、一刻も早く此処から離れなければと警鐘を鳴らし続けていた。もう会話は終わったようだが、代わりに切れ切れに益田の泣き声が聞こえるばかりだ。
それにしても仮にも職場で、真昼間からいかがわしい行為に耽るとは。
「あの書生の野郎は何をしてやがんだ?」
「はいはい、私がどうかしましたかね」
独り言に何処かから返事が来て、木場は驚いた。はっとして振り向けば、いつから立っていたのか割烹着姿の和寅が見上げている。腕にぶら下がっている買い物籠からは長ネギが覗いており、探偵秘書にはとても見えない。
「お、お前!この一大事に何処ほっつき歩いてやがった!」
「はぁ?私は夕食の買出しですよ。今日は益田君も出勤してるし、先生もお目覚めでしたから」
事も無げに買い物籠を示す和寅を前に、木場の脳天がくらくらした。
(あいつら、こいつの目ェ盗んで…)
この事務所には榎木津の寝室も備えられているはずなのに、声はすぐ近くから聞こえるということも木場に衝撃を与えた。警察署内でこんな真似をしたら、減俸どころの話では無い。探偵としての職業意識が緩過ぎるとは常々思っていたが、あまりに酷い。探偵助手の方も仮にも元刑事であるのだから、いや元刑事で無かったとしても、上司の無体は止めるべきでは無いのか。いや、あいつから誘ったのか?
恐ろしい形相で立っている大男に怯えた様子を見せつつも、和寅はそっと事務所のノブに手を伸ばした。木場が慌てる。
「おい!開けるのか!?」
「? そりゃ開けますよ、早く冷蔵庫に入れないと魚が悪くなってしまいますし。木場の旦那も先生に御用があっていらしたんじゃないですか?」
「んなこたぁどうでも良いんだよ、いいからお前、もう一回買い物行け!」
「へ?もう買い物無いですよ、変な事云いますな、先生じゃああるまいし…」
和寅を押し留める木場の背中で、今度は大きな物音がした。恐らく目隠し用の衝立が倒れたのだ。益田の力の抜けた悲鳴も聞こえ、和寅が再び扉に手をかける。
「また先生が暴れている…誰が片付けると思っているんだか」
ガチャリ、と音を立ててノブが弾み、木の扉がゆっくりと開いていく。
木場も覚悟を決めた。こうなりゃあやぶれかぶれだ。何にしてもあの2人は、強制猥褻でしょっぴかれても文句は云えまい。
ドアが完全に開ききり、カウベルがからんからんと音を立てた。その向こうでは―――
衝立は倒れ、応接セットは部屋の端に移動させられている。
ぜぇぜぇと息を切らし、目を潤ませた益田がこちらを見ている。
僅かに頬を紅潮させた榎木津は、行為が中断した事を知って眉をすがめながらも、やはりこちらを見ている。
2人は手を、指をしっかりと絡ませ合って―――
フロアの中央に、着衣を乱す事無く立っていた。
和寅が持ってきた冷たい珈琲を、奪い取るようにして一気に飲み干した木場は、呆れたように云う。
「ダンスの練習、だぁ?」
「今朝本家から電話がありまして、今度舞踏会をやるから先生に帰ってくるようにって云われたそうなんですわ。先生だったら断るんでしょうが生憎電話に出たのが益田君で」
「ホイホイ引き受けちまったっつー事か」
「そう、それで彼は朝から責任を取らされているんです」
片付けられたソファに座る木場と和寅の横では、榎木津と益田がいつもより広くなった空間を引き続き縦横無尽に踊り回っている。
踊っている、と云うよりは「走っている」と云ったほうが正確であろう。膝から下がもはやふらふらになった益田が、泣き声を上げた。
「榎木津さぁん、もう無理です!休ませてくださぁい!」
「五月蝿い!マスヤマがダンスを全く知らないのがいけないのだ!3倍早く覚える為には、3倍早く踊るしか無いんだぞ!」
「だって、これはもう、踊りじゃ」
ステップについていけない益田の革靴が榎木津の足を踏んでしまい、奇声とともに榎木津の平手が飛ぶ。
外に聞こえてきたのは、このやりとりだったのか―――ぼんやりと眺める木場の目の前で、前屈みになって苦しそうに息を弾ませる益田の背を、榎木津が無理やり立たせた。
「姿勢から復習するぞ、しゃんと立て!」
繋いだ手を握りなおし、ふらふらしている益田の腰を、榎木津がぐいと引き寄せる。益田がおずおずと榎木津の腰を抱いたのを確かめ、榎木津の腕が益田の首を絡め取った。
頬を添わせ、抱き合うような仕草。グラスの中で溶けた氷が、からんと音を立てる。
「………やっぱりいかがわしいじゃねぇか!」
「何を云うか下駄男、今日はマスヤマがはじめてだと云うからたまたま僕が女役をやっているだけで普段なら」
「もう止めろバカヤロウ!」
ついに切れた木場が殴りかかり、榎木津も楽しげに応戦する。やっとのことで手が離れた益田は、弱った蝶のようにおぼつない動きでどうとソファに倒れこんだ。
「か、和寅さん…僕にも冷たい飲み物、ください…」
「はいはい」
木場は幾つもの修羅場を超えた、歴戦の刑事である。榎木津との付き合いも、この中では一番長い。
そんな彼でもまだ計り知れないものがある。それがこの世のどの探偵事務所よりも出鱈目で如何わしい、ここ薔薇十字探偵社なのだった。
お題提供:『BALDWIN』様
――――
一度はこういう叙述トリック(違うと思う)ものを書きたかったんです。
でもタイトルでネタバレ。