>林檎様
おかげさまで益田(100)到達致しました。コメントありがとうございます。
これでもまだ益田の幸せに全然たどり着けた気がしないので、カウントリセットのつもりで新たな気持ちで頑張りたいと思ってます。
私も林檎様と同じく鳥口が好きなので、100本目に薔薇十字恋愛部書けて嬉しかったです。
読んでくださってありがとうございました。鳥益でなくてすみません…。
なんとかの一つ覚え的に益田益田云っているブログですが、今度とも宜しくお願い致します。
叩いてくださった方も、ありがとうございました。
塵も積もればと申しますが、なんとかひっそりと益田100本いきました。まだ全然榎益榎はおろか益田本人の良さについて全く説明しつくした気がしないのがあれです。リクエストを頂けて、自分では切り込めないエリアに創作の幅を広げられるのが嬉しくて仕方ありません。抄録本の作業と平行して行っているので更新はゆっくりめですがお付き合い頂けたら幸いです。
ところで、毎週金曜更新の公式のアレ(ぼんやりしすぎ)で、よりによって夏彦先生の記事でBD(ブルーレイディスク)がBLと誤植されていたと聞き嬉々として見に行ったのですがもう直っていて、惜しいことをしたと落胆することしきりです。まぁ先生のことですからもしかしたら誤植じゃないのかもわかりませんが(いつまで言いがかりをつけるのか)京極オンリーも募集拡大したことですし先生も是非………いい加減すみません。
途端に視界が白く煙り、しまったとばかりに身を引いた。金縁のフレームを取り外して確かめれば、案の定嵌め込まれた硝子は真っ白に曇ってしまっていた。ポケットからハンカチーフを取り出し、慣れた所作で拭い取る。霧が晴れるよりも簡単に、僅かな厚みを持つレンズは透明さを取り戻した。
司は事も無げに眼鏡をかけ直し、晴れた視界の向こうに益田の不思議な表情を認めた。薄く開いた程度の口元からは未だ八重歯は見えないが、やや細い吊り気味の眼がやけに興味深げにこちらを見ているのだ。
だから敢えてにこりと笑い、もっと幼い子供にそうするように、身を乗り出して益田に話しかけてやった。
「どうしたの、益田ちゃん」
「司さん、目悪いんですか?」
「んん?」
意外な質問だった。咄嗟に触れた弦は硬質だが、体温で幾分温まっている。
「今更だなぁ、目が良かったらこんなもの掛けてないよう」
「そんな柄モノのシャツ着てる人ですから、アクセサリーで掛けてるのかと思ってたんですけどね。ホラ僕も職業柄良く変装するじゃないすか、だから一本誂えようかと考えてまして」
益田は頭を掻きながら、けけけ、と決まり悪げに笑っている。司も誘われてくつくつと笑った。
臙脂色のタイを白いシャツに合わせた黒髪の男と、白や黄色の仏桑華が袖に身頃に咲き乱れる真っ赤なシャツを着て頭を五厘に刈った男。誰が見てもまともな組み合わせでは無い2人が、同じ鍋を突いている。かなり奇妙な光景だ。
間接的に彼らを繋いだ中間部の男は、今日は此処には来ていない。ふらりと事務所に現れた司が、益田を夕食にと連れ出したのだ。3人でこの店を訪れたりするうち、何時しかそれなりに仲良くなっていた。
榎木津の古い友人である司に、益田の方が気を遣って追従している事もあるのだろう。けれど、呼べばいそいそとついて来る姿はまるで子犬のようで、素直に好感を持った。榎木津はきっと認めたがらないだろう。何せ自分は彼を散々に扱う癖に、他人がちょっと甘い顔を見せるだけで噛み付いてくる男だ。
鬼の居ぬ間の何とやらだ、司は眼鏡を外して弦を折り畳むと、益田の眼前に差し出した。
「掛けてみる?」
「えっ」
益田は目をぱちぱちしながらも、其れを受け取った。橙色の明かりを浴びて、金色が更に艶を帯びる。
云われるがまま、不慣れな仕草でそっと其れを装着した途端、頭を殴られでもしたように大袈裟に仰け反って見せた。
「うわぁ、何だこれ。ぐらぐらします」
駄目だ駄目だと云いながらも、きょろきょろと周囲を見回しては視界の齟齬を楽しんでいる様子だ。壁に掛かった時計の文字板、卓の端に立て掛けられた品書き。司も頬杖を突いて、彼の様子を見ていた。補正を失った視力では益田の顔立ちまで判断する事は出来なかったが。
やがて益田は窓硝子に、いや、窓硝子に映る自分の姿に目を止める。冷たい硝子板に鼻先が触れそうなほど近づいて、見慣れた筈の顔を初対面の相手に会うように眺め、「似合いませんねぇ」と笑った。
芽生えたばかりの若枝に似た華奢な金縁は、日焼けした男の肌には堅気の商売では無いと思わせる独特の雰囲気を匂わせるに違いないが、黙っていれば真面目極まる青年の顔にはいささか派手過ぎるきらいがあると思う。もし彼が将来的に視力を落とし、眼鏡を求めるようになるとしたら、金メッキでギラギラしたものよりもシンプルな丸眼鏡が似合うかもしれない。柔和な印象で、益田が希望する人好きする探偵に―――
「―――司さん?」
益田はいつの間にか窓から視線を外していた。
「あぁ御免御免、どうしたの」
「どうも有難うございました、眼鏡返します」
「嗚呼そう、どう?良く見えた?」
「いやぁ僕には眼鏡要らないみたいです。物の輪郭がぼやけちゃって、頭痛くなってきました」
似合わない眼鏡を掛けたままで、ふらふらと頭を揺らした。それから、ふと気付いたように卓を超えて、しげしげと司の顔を覗き込む。不躾とも思える距離に司は思わず目を丸くしたが、焦点がずれている益田はそんな簡単な事にすら気付かない。
「このくらい近づかないと、人の顔も判らないんですねぇ」
誰よりも人との距離を気にする筈の男が、たかがレンズ1枚で。
何やら達成感めいた感情が身の内から湧き上がるのを感じたが、司はそれを隠して、益田の尖った輪郭から眼鏡をすっと外した。
「はい、おしまい。あんまり君の記憶がぐらぐらしてたら、エヅが心配するものね」
正常な視界で物凄く近くに見えるつるりとした顔に驚いたのか、益田は跳ねるように席に戻った。木の椅子が揺れてがたがたと不平を申し立てる。司が元通り眼鏡を掛けると、何やら面映げに茶を啜っている裸眼の益田がはっきりと見えた。
「眼鏡は便利だよ?これがあると益田ちゃんの可愛い顔が良ぉく見えるし」
「からかわないでくださいよぅ。あっ顔で思い出した、眼鏡ひとつで随分顔立ちって違って見えますね。やっぱり僕も一つ作ろうかなぁ」
「作るんだったら馴染みの店紹介しようか。益田って子が来たら伊達眼鏡見せてあげてって云っておくよ」
適当な紙の裏に店の住所を書いてやりながら、司が云う。
「でも眼鏡なんか掛けてないほうが、黒い目がよく見えて可愛いよ?」
日に日に上達する上滑った演技など看破する、表情豊かな黒曜石を、司はなかなかに気に入っている。彼の若者らしいこんな愛らしさも、榎木津は決して認めたがらないだろう。
―――
林檎様リクエスト「司×益田」でした。ありがとうございました。
折角なので眼鏡属性を活かしたく思い、「司の眼鏡は度入り」でひとつ。
この赤い屋根はさっきも見たな―――胸の前に写真機をぶら下げた鳥口は、ぼんやりと見た屋根から目を逸らして歩き出した。
やはり地図を借りてくるべきだったと、頭を掻きながら反省する。何故そうしなかったのかと云えば、職場で言いつけられた取材先の住所に見覚えがあったのだ。榎木津ビルヂングの所在地とほぼ相似した其処に、番地が違うだけでこうも辿り着けないとは。
「一丁目の次は二丁目の筈なのになぁ」
木の電柱に打ち付けられている錆の浮いた鉄板を所在無げに撫でている鳥口の指先に、ぽつりと水滴が落ちてくる。
おやと思い見上げた空はいつの間にか厚い雲に覆われて、見計らったように雨が降り始めた。咄嗟に背を丸めて、写真機を庇う。ぬるい雨は強さを増し始め、店舗や軒先には雨を避ける通行人が次々と飛び込んでいく。鳥口も足を速めた。
幸いにして、彼が目印にしていた白亜のビルはすぐ其処だった。建物内に飛び込んで足を止めた途端、浴びてしまった雨は冷えて彼の体温を奪い始める。大袈裟なくしゃみの後、鼻を啜り上げた鳥口は階上を見上げた。次いで、薄暗い廊下に足音が響く。馴染みの探偵事務所で少々雨宿りをさせて貰い、ついでに暖かい茶の一杯も馳走して頂こうという魂胆だった。
誰にも会う事無く、鳥口の足は重厚な扉の前に立った。ノブに手をかけて元気良く開こうとしたところで、鳥口は僅かに逡巡する。来客が居るかも知れないからだ。金文字の入った曇り硝子が邪魔で、中の様子は解らない。
そこで彼は、音がしないようにそっとドアを薄く開けた。室内は、鳥口が立つ廊下に劣らず薄暗い。話し声も聞こえないし、足音も無い。ただ留守では無いようで、人の気配を確かに感じる。鳥口はほっと安堵し、扉の隙間からするりと入り込んだ。そしていつも通り元気良く挨拶をしようとしたが、口から出かけた「どうもどうも」という声は言葉にならず、ただ言い淀んだ吐息だけが、酷い湿気を帯びた空気に溶けた。
ベルの音も止み雨音だけが支配する室内で、ドアノブから手を離す事もせずにぽかんと立ち竦む鳥口の目は、一点に釘付けになっていた。鳥口を出迎えたのは気の回る探偵秘書でも軽薄な探偵助手でも無く、ソファの背から生えたようにすっと伸びる白い背中―――背中というより、首だ。
絹の如くしっとりとした輝きを帯びる黒髪を割って、一点のくすみも無い首筋が見える。置き忘れられたかのように数本の細い髪が絡んでいるのが何とも云えない。僅かに俯いた首から続く肩は何も纏っていない。しばし呆けた後、鳥口はようやくはっと気がついた。ごし、という衣擦れに似た音がする。目の前で無防備に座っている人物―――鳥口は女性だと思った―――が、濡れた体を拭いているのだと遅まきながら理解したのだ。
自分の目的はおろか此処が何処だったかも忘れ、鳥口は慌てて背を向けた。
「どうもお邪魔しました!」
入ってきた時と裏腹に、どたばたと忙しない様子で飛び出した。カウベルの音がそれを追いかける。ひえぇ、とばつ悪げに声をあげる鳥口だったが、腕を誰かに捕まえられて更に驚いた。そちらを見ないように目を硬く閉じて、ただぺこぺこと頭を下げる。そのたびに髪の先から雫が散った。
「いや相すみません、まさか湯上りの女性が居るとは思いませんで!」
「…どうしたんですか、鳥口君」
雨の音と共に耳に届いたのは、自分を糾弾する甲高い声では無く、ただ疑問を浮かべた気安い口調であったので、鳥口は逸らしていた目をゆっくりと開いた。
濡れたシャツごと腕を掴む手は筋が浮き、不思議そうに自分を見上げてくる黒い瞳は紛れも無く。
「―――益田君?」
見慣れた男の其れであった。
■
事の顛末を聞いた益田がげらげら笑いながら適当に淹れた茶は、適当に淹れたなりの味がしたが、濡れた体を温めるという目的だけはとりあえず果たされた。鳥口の前に座っている益田は、相変わらず裸の上半身にタオルだけぶら下げた格好だ。客前ならば許されない。
ひとしきり笑って落ち着いた益田は、いつも通りけけけと硬質な笑いを零しつつ鳥口に話しかける。その口調はいかにも楽しげで、今は居ない探偵にも似ている。日頃の意趣返しとも思える。
「間違えちゃったんですか?僕を?女性と?鳥口君ともあろう男が?」
「うへぇ、もう勘弁してくださいよ。肩から上しか見えなかったし、やけに髪長く見えたんですもん。ていうか探偵事務所にいきなり半裸の男が居るなんて思いませんから」
「半裸の女性が居る方が有り得ないでしょうよ。榎木津さんまだ寝てますし。髪が長く見えたのは濡れてたからかなぁ。肌の色が抜けてたのは寒かったからでしょ」
衝立には湿ったシャツとネクタイが引っ掛けてある。干しているつもりのようだ。
鳥口と同じく突然の雨に見舞われた益田は探偵と秘書の留守を良い事に、濡れた服を思い切り脱いで体を拭いていたらしい。客が来たらどうするのだと鳥口が問うと、電気も点いていないのに入ってくる無法者など鳥口位のものだと一蹴された。
頭を拭いていたタオルを落とし、鳥口は妙にしみじみと益田を見つめる。気楽そうに足を組む姿はいつも通りの確かに彼に違いない。立ち上がってソファの後ろに回りこみ、まだ湿り気を残した益田の後ろ髪を割った。再び現れた首筋は、体毛の薄さも手伝って清らかな百合の茎のような印象すら与えている。
「うーん益田君と思って見るとそれ程でも無いけど、やっぱり綺麗な首だなぁ」
「何気に失礼な事云われた気がするなぁ…男の首が華奢でもしょうがなくない?」
「いや何かの役に立てましょうよ、こうやってちょっと俯いて項だけ晒してれば、益田君天下取れます!」
天下って、と云ってまたけけけと笑う。そんな益田を神妙な面持ちで見下ろしていた鳥口は、さも名案を思いついたようにぽんと両手を打った。
「そうだ、大将に見せましょう!」
今度驚いたのは益田の方だ。体ごとぐるりと振り向いた勢いで、髪が元通りに項を隠す。
「見せましょうって…見せてどうするんですか」
「大将はさぞ目が肥えてるでしょうから、あの人の目に適えば間違い無い。天下もすぐそこですな」
「だから何なの天下って!」
「首で事件を解決する敏腕助手とか幾らだってあるじゃないすか、腕によりをかけて提灯記事書いちゃいます。繁盛間違いなし」
「ろくろっ首じゃないんだから…」
がくりと脱力したことで、益田の首が強調される。鳥口は嬉々として更に首筋を曝け出した。後れ毛の一本にまで気を遣いながら、彼なりに最大限色気が出るよう努力したようだ。
そのままでお願いしますよ、と言い残し、無理やり項垂れた益田をソファに座らせたまま鳥口は榎木津の寝室のドアを拳で叩いた。どんどんどん、と大きな音が立つ。
「大将ー!起きてくださーい!!」
「ちょっ、鳥口君」
「益田君はそのまま!大将ー!あーさですよー!」
歌うような大声を上げながら、リズミカルに扉を叩く。ひっきりなしに響くどかどかという打音は、益田をひやひやさせた。俯いた額に冷や汗が滲む。益田の背後で聞こえていた幾度目かの「たーいしょー」に続き、寝室の内鍵が乱暴に開く音が聞こえた。これだけでも解る、相当機嫌が悪い。普通の人間でもこんな起こし方をされたら不快に違いないのに、熟睡していた榎木津の機嫌はいかばかりのものか、想像するのも気が滅入る。
地獄の釜が開くようにゆっくりと扉が開き、半分だけ開いた扉から怒っているとも寝ぼけているともつかぬ顔をした榎木津が現れた。
「五月蝿い」
「やっこりゃどうも大将、おはようございます」
「神の眠りを妨げるとは、焼き鳥になる覚悟あっての事だろうな」
「まぁ夕食の献立は後にして、ちょいと大将に見て頂きたいものがあるんですわ」
さっこちらへ、という声と共に、2人分の足音が益田の背後から迫る。ぴたりと止んだ其れから伝わってくるのは静かではあるが紛れも無く怒気で、益田は膝の上で拳を固めた。首で支える自分の頭がやけに重い。
鳥口はと云えば、榎木津を促して白い首を示したところだった。
「どうでしょう、これ」
しん、と静かな室内に、雨音がざぁざぁと篭る。榎木津は何も云わない。立ったまま眠っているのかと2人が不安になった頃、ようやく榎木津が口を開いた。
「こんなもんのために、僕を起こしたのか」
「へぇ?」
「マスヤマの生っ白い首なんか見せるために僕を起こしたのかって聞いているんだッ!」
ソファの座面をがつんと下から蹴り上げられて、益田は飛び上がった。ソファごと引っ繰り返りそうになり、ほうほうの態で逃げ出しかける。勿論許される筈も無く、革のベルトを捕まえられて、益田は床に四つん這いの格好で倒れこんだ。反射的にお手上げのポーズをとった鳥口も、そのまま隣に並べられる。
「だ、だから嫌だって云ったのに…」
「云ってないですよ、見せてどうするんですかとは云ってましたけど」
「ゴチャゴチャ五月蝿いぞ下僕ども!」
榎木津が吼える。本当に眠っていたようで、湿気で膨らんだ栗色の髪はあちらこちらに跳ねている。滑稽であるはずが、怒りで毛が逆立っているようにも見えて益々若者2名――特に益田――を脅えさせた。
「丁度良いから首を刎ねてやる」
「止めてくださぁい!仏蘭西革命じゃないんですから!」
「そ、そうです。僕らぁ単純に益田君の首を評価して頂きたかっただけで」
いつの間にか「僕ら」になっていることに益田が異議を唱える前に、榎木津が眉を顰めた。
「首ぃ?」
「なかなかに色気があると思いませんかね。立てば凡夫座れば下僕ですが、俯く姿は百合の花とは良く云ったものです」
榎木津の手が猫の子にするように益田の首を引っ掴んだかと思うと、ぐいと引き立てる。最早抵抗も諦めた益田は、後ろ首を掴まれたまま情けない様子で立っていた。
「女の人の首は僕も嫌いじゃない。日本髪結った時なんか悪くないね。女学生がおさげしてる後姿も良い、かわいい」
「ひええ」
「だがこれは女学生どころか女の人ですら無い、カマだぞ!牛肉が無いからって牛革の靴に醤油かけて食べるようなものじゃないか。血迷ったかトリ頭!」
「ですから僕ぁカマじゃないですってぇ」
「うーん、血迷った…そうですかねぇ…。普段隠れてるから良く見えたのかなぁ…」
鳥口は顎に手を当てて悩んだ素振りを見せている。榎木津は鳥口の返事を待たず、今度は益田の薄い体を裏返して自分に向けた。面食らっている益田の前髪を掴み上げて、後頭部に流す。
「普段隠れてるのが良いっていうなら、これでどうだ!」
薄い眉から生え際まで、なだらかな稜線を描く額が露になる。突然額を見せられた鳥口と、突然額を全開にさせられた益田。2人は同じように呆然としていたが、先に動いたのは益田だった。借りてきた猫のように無抵抗だった男が、突如として抵抗を始めたのだ。
「は、離してください榎木津さん」
「嫌だ離さない。罰を受けろ!」
「わかりました、離さなくていいですからせめてもう少し離れてください!」
顔が近いぃ、と泣き声を漏らす益田の顔がみるみる朱を帯びていくのを勝ち誇った顔で見下ろしていた榎木津は、思い出したように鳥口に向き直った。
「後ろ首なんかじゃこうはいかない、まだまだ素人だな鳥ちゃんは」
「成程、勉強になります。流石大将年季が違いますな」
「何の勉強ですかぁ!」
ふっと半分目を閉じた榎木津は、ひとつの住所を述べ上げた。この事務所と似てはいるが、末尾が僅かに違うそれを聞き、鳥口は今日の本来の目的を思い出した。自分の一部のようになっていた写真機が、ようやく存在感を取り戻す。
榎木津の踵がくるりと返り、寝室の扉に手をかける。もう片方の手で、益田の頭をボールのように掴んだままで。
「というわけで僕はもう一回寝る。今度起こしたら照り焼きにしてやるぞ」
「ハイどうもお世話になりました」
「ちょ、なんで僕まで寝室行きなんですかぁ!僕ぁ関係無いじゃないですか、離」
バタン、と扉が閉まり、鳥口は広々とした事務所に一人になる。ふっと窓の外を見上げればいつの間にか雲は晴れており、絶好の取材日和になりそうだった。
ちらりと閉て切られた扉を見て、「うへえ」と一声だけ呟いて、事務所を後にする。外に出れば、コンクリートが僅かに濡れているのが通り雨の事を思い出させるだけだ。やがてこれも渇き、雨の事が記憶の外に消えるように、取材先を探し始めた鳥口も、寝室に投げ込まれた益田がこれからどんな仕打ちを受けるのかなど、全く想像すらしなかった。
お題提供:『BALDWIN』様
―――
いろいろ考えましたが結局こんな話です…。もったいない。
益田の首も良いけどやはり額が好きです。額露出型の羞恥プレイが読みたい
そんな男が何をしているのかと云えば、奇妙な侵入者を見上げる澄んだ緑色の瞳を、同じく透明な鳶色の瞳で覗き込んでいた。飽きもせず。
薄汚れた毛並みに埋もれた口が開いて一声高く鳴いたので、男の目は喜びでさらにきらきらと輝く。整った歯並びの奥から人ならざる声が上がった。
自分とは似ても似つかない姿の何者かが話しかけてきた事に驚いたのか、緑の瞳は怪訝そうに細められ、また鳴く。その発音を態と真似た奇妙な声との応酬が街の片隅で始まった。
「ニャーン」
「にゃあん」
「ニャアン」
「にゃーん?」
「何やってるんですか、榎木津さん…」
名を呼ばれ、男はちらりとそちらを向いたが、直ぐに視線を元に戻した。興味など無いのだろう。彼の名を呼んだもう一人の男ががくりと項垂れると、長い前髪が揺れて吊り気味の眦が隠れる。携えた籐の籠もまた揺れて、中に整然と詰め込められた食品やら何やらが僅かにその位置をずらす。
栗毛越しにひょいと見れば、灰色の毛並みをした猫もふっと頭を上げて、またにゃあと鳴いた。
「ニャア」
「やっぱりまた猫ですか、お好きですねぇ。愛でるのも結構ですけど程々にして帰らないと、和寅さんがまたぼやきますよぅ、主に僕に。夕食の支度が遅れるとか云って…」
「ニャア!」
「うわっ、ちょっ!」
男が叱る様に「鳴いた」かと思うと何の前触れも無く白い手が籠の中に突っ込まれて、黒髪の男は慌てた。止める間も無く、手は一匹の鯵を掴み出す。ぴかぴか輝く鱗を持つそれを、男は何のためらいも無く猫の前に置いた。
下僕を一喝した時とはうってかわった優しい様子で、緑の目に促す。
「ニャー」
恐らく、「食べなさい」と云ったのであろうと黒髪の男は思った。勿論猫の言葉――しかも物真似に過ぎない――など知る由も無いが、実際灰色の猫は新鮮そのものの身に飛びついて歯を立てたのだから。奪われまいとするように鱗に爪を立てる姿は、やはり野生を思わせる。
がつがつと音がしそうな程食いつく姿を見て男は満足したのか、すくりと立ち上がった。くるりと身を翻し、狭い通路を塞いでいるもう1人の男の脛のあたりを軽く蹴る。
「ニャッ」
「解りましたって、退きますから蹴らないでくださいよう」
追い立てられるように路地から抜け出して表通りに出れば、夕暮れのぬるい空気が首のあたりに絡む。目にかかった前髪に透かすようにして、人数分より一尾減ってしまった夕食の材料を未練がましく見ていると、夕日に透けて金色めいた髪を靡かせる男がするりと彼を追い越していった。
地に長く伸びた影は余計に四肢の長さを引き立たせ、作り物めいた身体バランスを強調している。黒髪の男のそんな感想を裏切って、前を行く神は人形にはとても出来ないしなやかな動作で振り向いた。ともすると雑踏に紛れてしまうほど所在無げに佇む人間を見て、目を細める。
「―――いつまで呆けているのだ、帰るぞ」
なんだか久々に人としての言葉を聞いた気がして、男は前髪を払って相手を見つめた。
赤く燃える夕焼けを背に、誘惑するかのような蟲惑を唇に乗せる主人は呆れるほどに美しいが、ほんの時々、或いは猫が人に化けているのではと思うのだ。
―――
なんでしょうねこの榎木津は…。
猫に飼われる人間=益田萌えの話でした。