『3.できちゃった!?』の続きです。未読の方はそちらからお願い致します。
謹啓 緑も深い青葉の頃となりましたが
いかがお過ごしでしょうか
このたび榎木津礼二郎・益田龍一両名は結婚することと相成りました
つきましては皆様にお集まり頂き
披露かたがた宴を開催したいと存じます。
敬白
―――という招待状が本当に出回ったものか定かでは無いが、ともかく木々に新しい葉が青々と芽生える頃、青空を見上げる榎木津ビルヂングには、榎木津と益田それぞれの知り合いが集められた。開放された屋上には、どうやって運び込んだものか白い布をかけられた丸テーブルと其れらを取り囲む椅子がずらりと並んでいる。
なんやかんやで本日の主役の片割れである益田はといえば、屋上に通じる扉の隙間から、招待客の様子を恐る恐る伺っていた。背中を丸めて関口と話している女性は、光の加減で良く見えないが細君だろうか。更に遠くで喋っている人の群れの中に見つけた後姿は、警察時代の上司に間違い無い。久々の再会がこんな場所とは、目出度いのか目出度くないのか解らなくなり、がくりと頭を落とす。客の一人――敦子がそんな益田に気づき、笑顔でひらひらと手を振ってくれた。頭に花など飾って、益田などより余程華やかだ。
益田も力無く笑って手を振り返しながら、「なんでこんな事になっているんだろう」と、もう一人の主役が聞いたら叩き落されそうな事を思った。会場は探偵社の窓よりまだ高い。落下したら確実に木っ端微塵だ。
「益田君、邪魔邪魔!」
階段の下から声をかけてきたのは、捧げ持った盆一杯にグラスを載せた和寅だ。普段通りの書生らしい格好に加え、アクセントとなっているのは蝶ネクタイだ。道を譲った益田には目もくれずに扉をすり抜ける。こまごまと各テーブルに配膳する後姿を見て、益田は幾度目かの溜息を吐いた。
俯きついでに着ている衣装をも見下ろせば、借り物のタキシードがいかにも浮いていて益々恥ずかしい。墨で染めたが如く黒い上下は新品同様に糊が利いてパリッとしてはいたが、その慣れない感触がさらに益田を戸惑わせた。スーツ位持っているから結構だと榎木津に泣き付いたのだが、やはり一蹴された事を思い出す。磨き上げられた靴の先を見ながら、益田は榎木津が果たしてどんな格好で登場するかを考えた。紋付袴ならまだ良い、まかりまちがってウェディングドレスなど着ていようものなら、蹴り落とされるまでもなく自ら今生に幕を引いてしまいそうだった。
「――何処の葬儀屋が立っているかと思ったら、マスヤマじゃないか!」
振り向けば、礼服に身を包んだ麗人が其処に居た。益田の衣服とは対照的な、一点の染みすらない純白の上下を纏い、威風堂々と立っている。普段はふわふわと遊んでいる栗毛が櫛を通して撫で付けてあり、一瞬益田は狼狽した。改めて観ると、どうしても美しい。右腕でとんとんと肩を叩いているので覗きこんでみれば、衣装と同じく純白にまとめられた丸い花束がばさばさと踊っていた。
色素が薄い瞳が上から下までじろじろと益田を検分し、何も持っていない方の手でぐいと痩せた肩を突き飛ばした。
「黒!黒!黒!目出度い席に黒なんて絶対止めろと云ったじゃあないか、ロイヤルバカオロカ!」
「外国人じゃないんですから白い衣装なんて着られません!僕がこれを借りに行くのだってどんなにか恥ずかしかったか…コッソリ行ったのに其の日の夕方には下宿中に知れてて、やれお相手はどんな方だとかやれ一緒に住むのに此処は狭すぎやしないかだとか」
口八丁手八丁で何とか誤魔化した。益田がドアに張り付いて頭数を数えていたのはその所為もある。結婚式で隣に立っているのが上司で男と知れたら、益田はその足で下宿を引き払わねばならないからだ。
そんな小市民の心中など全く省みもせず、榎木津はブーケの中から一輪の白薔薇を抜き取った。
「あげよう」
ぐい、と胸ポケットにねじ込まれる。闇色の布地にぱっと花が咲いた。益田が大輪の花弁を見下ろしていると、
その手をぐいと引っ張られる。腕では無く、手で手を取られた。掌から直接伝わる体温が心地よい。開きかけた扉の隙間から入り込む光が純白に反射して、益田は思わず目を細める。
「では行くぞ!本日の主役のご登場だ!」
「えっちょっ、まだ心の準備が、わぁ」
バーン!と思い切りドアが開かれ、2人は拍手で迎えられた。皆が笑っている。手を引かれるままに進む益田は何処を見ていいのか解らず、おろおろと辺りを見回してしまう。指笛を吹いて囃し立てているのは鳥口で、コケシめいた表情に薄い笑みを湛えたまま両手を打ち鳴らしているのは青木だ。ぱっと光ったマグネシウムが眩しくて目を背けた先では、かつての上司山下が「お前どうなってんだこれ」とでも言いたげな表情で口をぱくぱくさせていた。
打ちっぱなしのコンクリに延べられた赤い絨毯の先には、祭壇のつもりか一段高く作られたひな壇が続く。その上には仏頂面の中禅寺が待ち構えていた。バージンロードに黒服の祓い屋。和洋折衷。神父どころか新婦も居ない。もう滅茶苦茶である。「誰もやる者が居なかった」という理由で中禅寺が担ぎ出されたということを、益田は全てが終わった後に知った。
榎木津がぴょんと祭壇に飛び乗り、益田もおずおずとそれに続いた。拍手の波が引いていくのを確認した中禅寺が厳かに――単に不機嫌だっただけかも知れないが――重々しく、口を開いた。
「白い方の新郎――榎木津が飽きてしまうので、略式の略式の略式のそのまた略式で、適当に執り行いたいと思います」
早いのは良いことだ、と榎木津が何故か胸を張った。この点については益田も同感だと思ったが、「適当」とはどういうことだ。
中禅寺は参列者をぐるりと見通してから、ひたりと2人の新郎に目を向けた。
「―――では、誓いの接吻を」
「ちょっとーーーーーーーーーー!」
掴みかからんばかりに異議を唱えた益田は、慌てて神官に詰め寄った。進行を中断され、中禅寺は露骨に嫌そうな顔をする。
「何だね黒い方の新郎。僕ぁ早く終わらせて食事にしたいんだよ」
確かに今日は和寅が腕を奮ったこともあってなかなか良い料理が供されているが、だからと云ってこれは無い。
「折角中禅寺さんが来てるんですから、ここは三々九度の杯とか、ありますでしょう!」
「仰々しい式がお好みかね?榎木津が飽きてしまうと云っただろう。会場もどうも基督教式を意識しているようだし、僕なりにエンタテイメントに富んだ演出にしてみたのだが」
確かにエンタテイメント性は十分で、益田らの背後では参列者達がそれぞれに囃し立てている。和寅が酒を配るのが、早すぎたのではないだろうか。視界の端で鳥口が写真機を構えているのを見咎めて、手振りで其れを降ろさせる。
此れでは愛を誓うどころではない、とんだ見世物、どちらかと云えば酒の肴に近い。益田が背を丸めると、糊で固まった上衣の肩口が引き攣った。
「はしょりすぎですよう、中禅寺さんらしくも無い。せめてもうちょっと前振りがあっても良いのに」
「前振り、ねぇ…。ならばひとつ、誓いの言葉でも云って貰うとするか」
中禅寺が手を翳し、2人の新郎の眼前をゆうるりと滑らせる。痩せた手首から甲にかけて、ご丁寧にいつもの手甲が嵌められており、憑物落としでも始まりそうな雰囲気だ。益田は背をしゃんと伸ばし、榎木津は片足に重心を乗せて気楽そうに立っている。青空の下、会場がしんと静まり返った。
「…貴殿らは、互いを生涯の伴侶と定め、健やかなる時も病める時も互いを愛し、互いを助け、支え、生涯変わらず身を保つことを神に誓うかね?」
今更ながら、益田の心臓がばくりと跳ねた。冷や汗が滲む。背後から期待を含んで見守る幾つもの視線と、眼前に突きつけられた黒い目の威圧感で足が引けそうになった。と、袖口をぐいと引く力を感じる。ちらりと見やれば其処には、空と益田を映して煌く2つの瞳。
長い睫が瞬いて、益田は覚悟の形を思い出した。
「ち、誓い、ます…」
おお、とさざ波のようなどよめきを背中で聞き、益田の全身から力が抜ける。ところが直ぐに、緊張がほぐれた背中めがけて榎木津の平手が飛んできた。
「痛ったぁ!」
「声が小さぁい!」
その顔が浮かべているのは、悪戯っぽい微笑み。
「誓います!」
「まだまだ!」
「もう、誓いまぁす!!」
何だか裏返ったような益田の叫びに呼応して、わっと拍手があがる。神秘性も何もあったもんではない、体育会系の誓いになってしまった。ぜぇぜぇと胸で息をする益田を見下ろす中禅寺は、宜しいとだけ言うと、榎木津に目を向けた。
「では榎木津」
「決まってる、僕は誓わない」
歓声の中、その声をしっかり拾ってしまった益田は、自分の血が下がるざぁっという音を聞いた。何かの間違いではと振り向けば、胸を張ってブーケをぽんぽんと放って遊んでいる榎木津の姿がある。
「だってそうだろう、僕を誰だと思ってるんだ?探偵で神の榎木津礼二郎だ!何処の何か解らないような神じゃなくて、僕は僕に誓ってやろう!」
呆れ顔の中禅寺に対してにっと笑ったかと思うと、純白の装束に身を包んだ「神」は、益田のタイを引き上げた。
丁度ヴェールを払うような手つきで長い前髪を取り除ければ、涙を浮かべた益田の顔が顕わになる。
「お前も僕に誓いなさい。いいね?」
「は、はい。誓います」
「よろしい―――」
形の良い唇が「本当の名」を紡いだかと思うと、次の瞬間には食むようにして口付けられていた。
神が呟いた耳慣れない響きに陶然となる間も無く、無数の祝福の声が上がる。中には悲鳴やシャッター音も交じっているようだが、其れを確かめる術はなかった。今益田の視界を埋めているのは、今は閉じられた榎木津の瞼の美しさばかりだ。
益田はそんな風にただ呆然としていたので、榎木津に荷物の如く担ぎ上げられ、何でも無いかのような軽やかな足取りが階段を駆け下り、抵抗する間もなく何か乗り物のシートに投げ込まれていた。
益田を柔らかく受け止めたものがビルの下に止められていた榎木津の車の助手席であったと気づいたのは、ビルヂングが遠くバックミラーの向こうに消えていこうとしていた頃で。
なので益田は、その後式場がどうなったか、榎木津が携えていたブーケが誰の手に渡ったかを知らない。けれどあの状況下で参加者ひとりひとりに挨拶回りなど出来よう筈もなく、その点では益田は榎木津に感謝せざるを得なかった。
なにせ隣でハンドルを繰っている、伴侶の横顔すらも見られないのだ。窓硝子にうすぼんやりと映る顔すら赤い自分を榎木津が見ないでいてくれることを、益田は切に願うばかりだった。
――――
…ハハッ(乾いた笑い)
いかがお過ごしでしょうか
このたび榎木津礼二郎・益田龍一両名は結婚することと相成りました
つきましては皆様にお集まり頂き
披露かたがた宴を開催したいと存じます。
敬白
―――という招待状が本当に出回ったものか定かでは無いが、ともかく木々に新しい葉が青々と芽生える頃、青空を見上げる榎木津ビルヂングには、榎木津と益田それぞれの知り合いが集められた。開放された屋上には、どうやって運び込んだものか白い布をかけられた丸テーブルと其れらを取り囲む椅子がずらりと並んでいる。
なんやかんやで本日の主役の片割れである益田はといえば、屋上に通じる扉の隙間から、招待客の様子を恐る恐る伺っていた。背中を丸めて関口と話している女性は、光の加減で良く見えないが細君だろうか。更に遠くで喋っている人の群れの中に見つけた後姿は、警察時代の上司に間違い無い。久々の再会がこんな場所とは、目出度いのか目出度くないのか解らなくなり、がくりと頭を落とす。客の一人――敦子がそんな益田に気づき、笑顔でひらひらと手を振ってくれた。頭に花など飾って、益田などより余程華やかだ。
益田も力無く笑って手を振り返しながら、「なんでこんな事になっているんだろう」と、もう一人の主役が聞いたら叩き落されそうな事を思った。会場は探偵社の窓よりまだ高い。落下したら確実に木っ端微塵だ。
「益田君、邪魔邪魔!」
階段の下から声をかけてきたのは、捧げ持った盆一杯にグラスを載せた和寅だ。普段通りの書生らしい格好に加え、アクセントとなっているのは蝶ネクタイだ。道を譲った益田には目もくれずに扉をすり抜ける。こまごまと各テーブルに配膳する後姿を見て、益田は幾度目かの溜息を吐いた。
俯きついでに着ている衣装をも見下ろせば、借り物のタキシードがいかにも浮いていて益々恥ずかしい。墨で染めたが如く黒い上下は新品同様に糊が利いてパリッとしてはいたが、その慣れない感触がさらに益田を戸惑わせた。スーツ位持っているから結構だと榎木津に泣き付いたのだが、やはり一蹴された事を思い出す。磨き上げられた靴の先を見ながら、益田は榎木津が果たしてどんな格好で登場するかを考えた。紋付袴ならまだ良い、まかりまちがってウェディングドレスなど着ていようものなら、蹴り落とされるまでもなく自ら今生に幕を引いてしまいそうだった。
「――何処の葬儀屋が立っているかと思ったら、マスヤマじゃないか!」
振り向けば、礼服に身を包んだ麗人が其処に居た。益田の衣服とは対照的な、一点の染みすらない純白の上下を纏い、威風堂々と立っている。普段はふわふわと遊んでいる栗毛が櫛を通して撫で付けてあり、一瞬益田は狼狽した。改めて観ると、どうしても美しい。右腕でとんとんと肩を叩いているので覗きこんでみれば、衣装と同じく純白にまとめられた丸い花束がばさばさと踊っていた。
色素が薄い瞳が上から下までじろじろと益田を検分し、何も持っていない方の手でぐいと痩せた肩を突き飛ばした。
「黒!黒!黒!目出度い席に黒なんて絶対止めろと云ったじゃあないか、ロイヤルバカオロカ!」
「外国人じゃないんですから白い衣装なんて着られません!僕がこれを借りに行くのだってどんなにか恥ずかしかったか…コッソリ行ったのに其の日の夕方には下宿中に知れてて、やれお相手はどんな方だとかやれ一緒に住むのに此処は狭すぎやしないかだとか」
口八丁手八丁で何とか誤魔化した。益田がドアに張り付いて頭数を数えていたのはその所為もある。結婚式で隣に立っているのが上司で男と知れたら、益田はその足で下宿を引き払わねばならないからだ。
そんな小市民の心中など全く省みもせず、榎木津はブーケの中から一輪の白薔薇を抜き取った。
「あげよう」
ぐい、と胸ポケットにねじ込まれる。闇色の布地にぱっと花が咲いた。益田が大輪の花弁を見下ろしていると、
その手をぐいと引っ張られる。腕では無く、手で手を取られた。掌から直接伝わる体温が心地よい。開きかけた扉の隙間から入り込む光が純白に反射して、益田は思わず目を細める。
「では行くぞ!本日の主役のご登場だ!」
「えっちょっ、まだ心の準備が、わぁ」
バーン!と思い切りドアが開かれ、2人は拍手で迎えられた。皆が笑っている。手を引かれるままに進む益田は何処を見ていいのか解らず、おろおろと辺りを見回してしまう。指笛を吹いて囃し立てているのは鳥口で、コケシめいた表情に薄い笑みを湛えたまま両手を打ち鳴らしているのは青木だ。ぱっと光ったマグネシウムが眩しくて目を背けた先では、かつての上司山下が「お前どうなってんだこれ」とでも言いたげな表情で口をぱくぱくさせていた。
打ちっぱなしのコンクリに延べられた赤い絨毯の先には、祭壇のつもりか一段高く作られたひな壇が続く。その上には仏頂面の中禅寺が待ち構えていた。バージンロードに黒服の祓い屋。和洋折衷。神父どころか新婦も居ない。もう滅茶苦茶である。「誰もやる者が居なかった」という理由で中禅寺が担ぎ出されたということを、益田は全てが終わった後に知った。
榎木津がぴょんと祭壇に飛び乗り、益田もおずおずとそれに続いた。拍手の波が引いていくのを確認した中禅寺が厳かに――単に不機嫌だっただけかも知れないが――重々しく、口を開いた。
「白い方の新郎――榎木津が飽きてしまうので、略式の略式の略式のそのまた略式で、適当に執り行いたいと思います」
早いのは良いことだ、と榎木津が何故か胸を張った。この点については益田も同感だと思ったが、「適当」とはどういうことだ。
中禅寺は参列者をぐるりと見通してから、ひたりと2人の新郎に目を向けた。
「―――では、誓いの接吻を」
「ちょっとーーーーーーーーーー!」
掴みかからんばかりに異議を唱えた益田は、慌てて神官に詰め寄った。進行を中断され、中禅寺は露骨に嫌そうな顔をする。
「何だね黒い方の新郎。僕ぁ早く終わらせて食事にしたいんだよ」
確かに今日は和寅が腕を奮ったこともあってなかなか良い料理が供されているが、だからと云ってこれは無い。
「折角中禅寺さんが来てるんですから、ここは三々九度の杯とか、ありますでしょう!」
「仰々しい式がお好みかね?榎木津が飽きてしまうと云っただろう。会場もどうも基督教式を意識しているようだし、僕なりにエンタテイメントに富んだ演出にしてみたのだが」
確かにエンタテイメント性は十分で、益田らの背後では参列者達がそれぞれに囃し立てている。和寅が酒を配るのが、早すぎたのではないだろうか。視界の端で鳥口が写真機を構えているのを見咎めて、手振りで其れを降ろさせる。
此れでは愛を誓うどころではない、とんだ見世物、どちらかと云えば酒の肴に近い。益田が背を丸めると、糊で固まった上衣の肩口が引き攣った。
「はしょりすぎですよう、中禅寺さんらしくも無い。せめてもうちょっと前振りがあっても良いのに」
「前振り、ねぇ…。ならばひとつ、誓いの言葉でも云って貰うとするか」
中禅寺が手を翳し、2人の新郎の眼前をゆうるりと滑らせる。痩せた手首から甲にかけて、ご丁寧にいつもの手甲が嵌められており、憑物落としでも始まりそうな雰囲気だ。益田は背をしゃんと伸ばし、榎木津は片足に重心を乗せて気楽そうに立っている。青空の下、会場がしんと静まり返った。
「…貴殿らは、互いを生涯の伴侶と定め、健やかなる時も病める時も互いを愛し、互いを助け、支え、生涯変わらず身を保つことを神に誓うかね?」
今更ながら、益田の心臓がばくりと跳ねた。冷や汗が滲む。背後から期待を含んで見守る幾つもの視線と、眼前に突きつけられた黒い目の威圧感で足が引けそうになった。と、袖口をぐいと引く力を感じる。ちらりと見やれば其処には、空と益田を映して煌く2つの瞳。
長い睫が瞬いて、益田は覚悟の形を思い出した。
「ち、誓い、ます…」
おお、とさざ波のようなどよめきを背中で聞き、益田の全身から力が抜ける。ところが直ぐに、緊張がほぐれた背中めがけて榎木津の平手が飛んできた。
「痛ったぁ!」
「声が小さぁい!」
その顔が浮かべているのは、悪戯っぽい微笑み。
「誓います!」
「まだまだ!」
「もう、誓いまぁす!!」
何だか裏返ったような益田の叫びに呼応して、わっと拍手があがる。神秘性も何もあったもんではない、体育会系の誓いになってしまった。ぜぇぜぇと胸で息をする益田を見下ろす中禅寺は、宜しいとだけ言うと、榎木津に目を向けた。
「では榎木津」
「決まってる、僕は誓わない」
歓声の中、その声をしっかり拾ってしまった益田は、自分の血が下がるざぁっという音を聞いた。何かの間違いではと振り向けば、胸を張ってブーケをぽんぽんと放って遊んでいる榎木津の姿がある。
「だってそうだろう、僕を誰だと思ってるんだ?探偵で神の榎木津礼二郎だ!何処の何か解らないような神じゃなくて、僕は僕に誓ってやろう!」
呆れ顔の中禅寺に対してにっと笑ったかと思うと、純白の装束に身を包んだ「神」は、益田のタイを引き上げた。
丁度ヴェールを払うような手つきで長い前髪を取り除ければ、涙を浮かべた益田の顔が顕わになる。
「お前も僕に誓いなさい。いいね?」
「は、はい。誓います」
「よろしい―――」
形の良い唇が「本当の名」を紡いだかと思うと、次の瞬間には食むようにして口付けられていた。
神が呟いた耳慣れない響きに陶然となる間も無く、無数の祝福の声が上がる。中には悲鳴やシャッター音も交じっているようだが、其れを確かめる術はなかった。今益田の視界を埋めているのは、今は閉じられた榎木津の瞼の美しさばかりだ。
益田はそんな風にただ呆然としていたので、榎木津に荷物の如く担ぎ上げられ、何でも無いかのような軽やかな足取りが階段を駆け下り、抵抗する間もなく何か乗り物のシートに投げ込まれていた。
益田を柔らかく受け止めたものがビルの下に止められていた榎木津の車の助手席であったと気づいたのは、ビルヂングが遠くバックミラーの向こうに消えていこうとしていた頃で。
なので益田は、その後式場がどうなったか、榎木津が携えていたブーケが誰の手に渡ったかを知らない。けれどあの状況下で参加者ひとりひとりに挨拶回りなど出来よう筈もなく、その点では益田は榎木津に感謝せざるを得なかった。
なにせ隣でハンドルを繰っている、伴侶の横顔すらも見られないのだ。窓硝子にうすぼんやりと映る顔すら赤い自分を榎木津が見ないでいてくれることを、益田は切に願うばかりだった。
お題提供:『BLUE TEARS』様
――――
…ハハッ(乾いた笑い)
PR
トラックバック
トラックバックURL: