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2024/11/23 08:24 |
6.午後のスコール(5)
『6.午後のスコール(4)』の続きです。未読の方はそちらからお願い致します。



目が合ったのは一瞬だった。
雨を逃れる軒は無く、天空と益田を隔てるものはもはや何も無い。無数の矢となった雨粒が益田を容赦無く叩き、目も開けていられない程だ。益田は反射的に背を丸めた。轟音と共に波打つ水面に、榎木津の靴が見える
。天に向かって真っ直ぐに立つ彼は、やはり神であるのだと思った。
雨が地を、建造物を、並木を、自分の身体を打つ音が酷く五月蝿い。

「―――な」
「え?」

雨音に混じって、微かに榎木津の声がした。見上げた益田の顔にも、更に雨が襲う。けれど、顔に力が入らない。ぎゅっと力を入れて、庇う事すらままならない。
翻弄される益田の頬に、大きな手が触れた。包み込まれたかと思うと、次の瞬間には頬の肉をぎゅうと摘まれる。鳥口と中禅寺がそうしたように。

「また泣いていたな、と云ったのだ」
「―――な、泣いてなんか」

泣いてなどいない。
榎木津の親指に水は一瞬だけ拭われたが、直ぐに新たな冷たさに覆われる。水で滑る筈の指からは、確かな力ばかりが伝わってきた。

「泣いているじゃないか。目もほっぺたもびしょびしょだ」
「何云ってるんですか、これは、雨で…」
「ずっと泣きそうな顔してるんだから、泣いたも同然だろう」

ウインドウに写ったのは、目を細め、口端をゆるく引き上げた、物言いたげな表情。強張った笑みに自嘲の気配を纏わせて、益田は榎木津を見た。

「泣いたりなんか、してませんよう。僕ぁこうして笑ってますもの。鳥口君や、中禅寺さんに聞いて貰ったら解ります。心配しないでください、僕はこれからずっと、笑っていますから」
「笑っていますから?」
「え」
「お前が笑ってるから何だって云うんだ。お前がそうやってにやにや薄ら笑って、僕に何か得があると云うなら云ってみロ!」

落雷に打たれたように、益田の肩が竦んだ。一瞬白くなった意識を、雨音が支配する。
がくりと折れた膝が、水が流れる石畳に落ちる。榎木津に見下ろされながら、益田はへたり込んでしまった。
俯いた横顔に、べたりと黒髪が張り付いている。引き攣った唇が薄く開き、呟きが漏れた。

「…泣いても迷惑、笑っても…」
「マスヤマ」
「だったら僕に出来る事は無いじゃないですか。どうやったって榎木津さんを怒らせる。僕ぁ卑怯ですから、内側見られない為に頑張ってたのに。僕のやる事は、馬鹿で、浅慮で、愚かなばっかりで」
「マスヤマ」

両の掌が水に浸かっている。
そこから自分の罪と想いが流れ出て行ってくれることを益田は望んだが、そうはならない事も知っていた。
こんな雨如きに洗われるならば、何の苦労も無い。
女々しく顔を覆って泣いたあの夜に、涙ですら拭う事が出来なかったのだから。

「最初から駄目だったんだ僕ぁ、何もかも―――泣くし、笑うし、神様殴るし、逃げるし、」

そう、最初から駄目だったんだ。肩を震わせて益田は哂う。こんな雨の中、うずくまって笑っているなど、狂人に思えるかもしれない。だが、頭の芯は冷えている。益田の中心にあるものは、すべてのはじまり。
それは叫びに姿を変えて、雨霧の中ではじけた。

「―――貴方を好きになった事が!」




ぱん。




益田の頬で響いた音は、すべての雨音をかき消した。流れ落ちる冷たい雨は変わらないのに、左の頬がじんじんと熱い。
呆然とする益田の目の前で、榎木津が膝をついた。跳ね返った水音で、益田ははっと我に帰る。益田と同じく顔に髪を張り付かせて、それでも彼は笑っている。

「どうだマスヤマ、痛かったか」
「は、はい」
「叩いたんだから当たり前だ。僕もそこそこ痛かった」
「うう、すみません」
「で、お前は僕にはたかれて、僕の事を嫌いになったか?」

益田は一瞬ぽかんとして、直ぐに首を横に振った。相変わらず頬は熱いが、その程度の事だ。これくらいで変わる想いならば、もっと楽に生きられたであろうとすら思う。
濡れ髪をかき上げて、榎木津が歯を見せて笑った。

「お前は僕を好きなだけじゃない、嫌えないんだ。もうずうっとそうなんだ。自分の気持ちも自由に出来ないバカオロカなのだ。諦めて認めてしまえ!」
「そんな」
「こんなヘラヘラした面なんて気持ち悪いぞ!どんなにお面を被ったって、目のところには穴が開いてる。全部隠すなんて出来っこ無い」

榎木津の手が、再び益田の頬にかかる。
力一杯引き伸ばされて、益田はもがいた。

「いたたたた!痛いです!」
「そぅら泣け!泣いてしまえナキヤマめ!うはははははは!」
「いた、痛いです、もう、う、うああああ」

全身を流れ落ちる冷たい雫の中に、新しくひとすじの流れが加わった。
透明なそれは雨と見分けがつかないが、確かな温度だけは間違えようが無い。

「うわ、ああああ、ごめんなさぁぁい、わあああ」
「とんでもない泣き声だな!これなら何処に居ても聞こえる」

榎木津の指が離れても、その手が濡れた背に触れても、益田の涙は止まらなかった。
神の胸の中という天蓋に守られて、雨を逃れた事にも気づかず、益田は泣き続けた。
やがてそれが啜り泣きに変わり、しゃっくりひとつを残して終わった時には、雨も終わって。
ゆっくりと顔を上げた益田の頬に残った最後の一滴を、榎木津の指先が拭う。

「見たまえマスヤマよ、夕日がまっかっかだ!」

びしょ濡れの益田は、妙に晴れやかな気分でその景色を見た。
同じく全身濡れそぼった榎木津ごと、橙色に染まる街。
この色彩の美しさが、鳶色の不思議な瞳を通して、彼にも伝われば良いと思った。



お題提供:『BALDWIN』様


――――
号泣する益田はアリなのかと言うことを考えてたら間が空いてしまった罠。
ともあれ次で最後です。



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2009/06/02 14:35 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

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