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2024/11/23 08:31 |
6.午後のスコール(3)
『6.午後のスコール(2)』の続きです。未読の方はそちらからお願い致します。



―――何故。
薄闇の中、曇りひとつない白磁の肌にじわりと血の気が上るのを明瞭に見ながら、益田龍一は自覚無く思った。鳶色の瞳に宿る光が、天空を走る流星の様で美しい。
―――不謹慎だ。
彼の頬が紅く染まったのも、丸い瞳が流れたのも、全て。益田自身が榎木津の横面を張ったからに違い無いのだから。










「…何で止めたんすか、師匠」

鳥口の声が、低く座敷に響く。古書肆は書物から顔も上げず、声は受け止める者の無いまま空気中に散った。
古書に囲まれた座敷に残った男は、既に2人になっている。僅かに引き上げた口端が酷く不自然な男は、結局仮面を剥ぎ取る事が出来ぬまま此処を去ったのだ。
鳥口は彼を追って立ち上がろうとした。が、結果として鳥口は未だ座布団の上に座り込んで、狩猟用の大型犬を思わせる強い視線で中禅寺を睨み上げている。
益田が口にしなかった生菓子の表面は、乾いて粉を吹き始めていた。

「鳥違いだよ」
「は?」
「鳥口君が行った所で、止まり木は空いていない。君は逃げた鳥では無いのだから」

謎掛けめいた言葉に、鳥口の目に篭った力が一瞬緩む。子供のようにきょとんとしている鳥口の耳に、乾いた頁同士が擦れ合う音が聞こえた。其れを合図にして、中禅寺は更に言葉を紡ぐ。

「君達が来る前に、僕はあいつに会っているんだ」
「あ、いつ?」
「榎木津礼二郎さ」

あいつが来ると埃が立って仕方ない―――と事も無げに店主が云うと、真逆の勢いで鳥口が立ち上がった。俯いたままの中禅寺は露骨に嫌な顔をしたが、構っては居られない。

「大将が、来てたんすか!」
「昼過ぎに突然現れてね。どたばたと座敷まで入ってきて、2、3度見回してまた何処かに行ったよ」
「な、何時頃ですか」
「朝に来ようが昼に来ようがどうでも良い話じゃないか。君たちは結局あいつの影とすら擦れ違う事が無かったんだからね」

ぐ、と言葉を飲み込まされる。出掛かったものを再び胸に収めるのは有形無形を問わず多少の息苦しさを伴うものだ。どさりと鳥口が座り込んだ衝撃で、室温と同じ程度に冷めた茶の水面が波立つ。

「擦れ違ったのは千鶴子とだ。僕は此処で本を読んでいたから知らないが、恐らくどうなすったんですかとか聞いたんだろう。やたらでかい声の方は、この座敷にまで届いた」

中禅寺は此処でやっと目を上げた。憑物を払い落とす、黒衣の陰陽師。今日の彼は黒衣を纏っては居ないが、黒い瞳には同じ魔力が篭っている。

「鳥が逃げた―――と云っていたよ」
「とりが…」

動くものの無い室内で、再び黄味がかった緑に波紋が浮かび上がる。反射的に鳥口は外を見上げた。
晴れ上がっていた空には、いつの間にか重い灰色の雲が垂れ込めている。今にも降り出しそうだ。湿った風が吹き込んで、竹薮がさざめくのと同時にかさかさと紙の音を立てた。











―――何故。
軒下に立つ益田龍一は考える。唐突に降り出した雨は強さを増すばかりで、最早一帯には人影すら無い。雨を避けて逃げ込んだ場所で、薄灰色の鏡となったウインドウを前に、益田は初めて冷静に自分の顔を観た。思わず硝子に手を触れさせると、鏡の益田も同じように掌を這わせてくる。受け月の形に歪んだ口元に、眩しいものをみるように細められた瞼。男が嗤いながら鏡の中に自分を引き込もうとしているようで、益田は額をことりと鏡面に預ける。けれど鏡は彼を呑み込む事は無く、ただ冷えた感触だけがじわじわと脳に沁みた。

「アハ、酷いなぁ…これじゃあまるで」

(道化の面じゃないか)

舞台の中心に居ながら、態と転げたり失敗をしたり。そうして人々の笑いを浴びながら、自分も哂って見せるのだ。まるで自分の人生そのものでは無いか―――どうしようも無く可笑しく思えて、益田は一人肩を震わせた。
窓の中の男も笑っている。くつくつと込み上げる笑い声に、打ち震える体。表情だけが、其処だけ違う絵を貼り付けたように全くちぐはぐだ。益田は硝子を拳で打った。

「面白いじゃない…どうしたんだよ、もっと笑えよ!」

益田の叫びは、激しさを増す雨音にかき消される。足元にまで、跳ね返った雨水が迫っていた。
水の弾丸が降り注ぐ通りを挟んで、ぼんやりと白亜の建物が浮かび上がっている。榎木津ビルヂング。彼の神の居室。
あの日榎木津の寝室から、榎木津から逃げ出した益田は、紫色の明け方に同じ景色を見ていた。

―――何故、何故、何故。

今もはっきりと思い出せる。じわりと熱を帯びた掌と、廃油が煮立つが如くぐらぐらと揺れる頭の中。許されざる想いの露見――榎木津の体温の快さ――涙――重ねた罪――あらゆる事象が沈んでは浮かび上がる。幾度目かの循環で、益田はあるひとつの仮説に辿り着いた。

―――泣いていたからだ。
未練がましく、泣いて、泣いて、それでも好きで、泣き疲れて寝入ってしまったから、榎木津に取り押さえられたのだ。
彼の云う通り、全て自分の愚かさに起因すると云うのに、力を持つ者の無遠慮さで内側が暴かれていくのに、対抗する術を持たない益田は、かっと遡った憤りのままに榎木津を打った。窮鼠が猫を噛んだ格好だ。猫どころか、獅子を噛んでしまった。
感情を発露させても、全く碌な事は無い。正直に生きるには、其れだけの力が必要なのだ。非力な自分だからこそ、理不尽な暴力や柵から逃れるために、策を弄したのでは無かったか。
調子に乗って、へらへらと笑っていれば良いのだと。上っ面だけで諦めさせて、暴く価値も無いものだと思わせて、自分を殺せば、其れで良いのだと―――

「―――バカオロカ!!」

雨音を裂いて、豪雨の向こうから声が届く。
あの日の景色に無かったもの―――ビルヂングの窓から、榎木津がこちらを見ていた。








冷め切った湯飲みは、白い手によって湯気を立てるものに取り替えられた。
鳥口が顔を上げると、千鶴子が美しく微笑んでいる。

「酷く降って来ましたねぇ」
「そうですなぁ。こいつぁ暫く止みそうに無い」
「ゆっくりしていらして下さいな。お風邪でもひいたら大変ですもの」
「うへぇ有難い。そうさせて貰います」

人懐っこい鳥口の態度に、千鶴子はにこりと笑って座敷を出て行った。障子は閉められて、雨音が僅かに遠ざかる。中禅寺がぱたりと本を閉じた。

「師匠」
「何かね」
「雨、凄いっすね」
「ああ、知っている」
「こんな雨の中で、鳥は、飛べるんですかねぇ」

障子紙の向こうをぼんやりと見つめながら、鳥口はしみじみと呟きを漏らす。しかし中禅寺が盛大に噴き出したのを聞いて、不服げに唇を尖らせた。

「笑わんでくださいよ、恥ずかしいじゃないすか、うへぇ…」
「中々に見立て癖が凄いな君は。そんな調子で、雑誌記者が務まるのかね」
「だって大将が云ってた『逃げた鳥』って益田君の事なんでしょう」
「さっきも似たような事を云ったが、鳥口君には彼が鳥に見えるのか?僕の見立てでは、あれでも歴とした人間だ」

湯気の立つ茶を、2人して啜る。喉を通って胃に温もりが落ちるようだ。ほう、と溜息が漏れた。

「…益田君が、此処を出る時なんと云ったか、聞いていなかったのかな」
「いや、どうだったか。僕ぁ師匠に止められた事で吃驚して聞こえて無かったかも知れないすねぇ」

屋根を、縁側を、強い雨が打つ。
四方八方を覆い尽くす打音の中で、中禅寺の言葉はすうと鳥口の胸に吸い込まれた。

「―――事務所に『帰る』と云っていたよ―――」

其れは何故か、ここ一昼夜見られない、益田のいつもの笑顔と重なる。

お題提供:『BALDWIN』様
 
―――
間が空いてしまってすみません。続きます。ダブルですみません。


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2009/05/26 17:57 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

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