「本当に困ったものだなぁ」
「そう、困ったものなんすよ、師匠」
「僕が言ったのは君の話だよ、鳥口君」
うちは相談所でも託児所でもないのだよ、と言われてしまうと立つ瀬がない。
うへぇ手厳しい、と鳥口は首を竦める。
今日も中禅寺の機嫌は相変わらずで、本の頁を繰る指先まで無愛想だ。
藍染の着物から伸びた腕は今日も細い。
「何ごとかあるとすぐ家に来る」
「いやぁ、込み入った話になると耳が勝手に師匠の話を聞きたくなるといいますか」
「だから師匠じゃないと言うに」
しかも恋愛相談など、いよいよ僕の専門じゃない――――
中禅寺の乾いた声で「恋愛」などと言われると、何故か背筋がぎくりとする。
鳥口はそれを隠しつつ、いつもそうするように話を切り出した。
「そう言わないで助けると思ってお願いしますよ。叶わぬ恋に頭を痛める僕の友人を」
「頭を、ねぇ…」
「僕なんかじゃあもう慰めにもならない。そこで目先を変えまして、師匠のお言葉を頂戴しようかと」
実際鳥口は煮詰まっていた。
お調子者の仮面で、不器用にも想いを隠しこんでいる友人のことだ。
叶わぬ想いと半分諦めた者同士傷を舐め合うようにして、酒を酌み交わしたり枕を交わしたり色々としてきたが、もう限界だと思う。
関係が辛くなった訳ではないが、あまりにも発展性がないのだ。
自分と寝た翌朝、想い人のいる勤め先へふらふらと出掛けていく痩せた背中を見送る度に、鳥口はそう思ってきた。
このままでは互いの、否、彼の為にならない。
されど自分の頭では妙案が思いつく筈もなく、気づけば足はここに向いていたというわけだ。
とはいえ全て明かしてしまうのも大変不味いように思い、虚実織り交ぜながら話を進める。
中禅寺はそのたびに嗚呼とかなんとか返事をしていたが、本を捲る手を休めることはなかった。
「…と、いうわけなんですが」
「成程。偶然にも僕は良く似た話を知っているよ」
「本当ですか、そいつは好都合」
光明が見えた気がして、ぱっと顔を上げる。
中禅寺の鋭角な顎が、笑いを堪えるように震えているのは気のせいだろうか。
「あくまでも僕が知っている話の事だが―――本人達が思う程難しい話じゃないね」
「そうなんすか、これ以上なく難しい話のように見えましたが」
「そこだよ。本人が『難しい話』と思っているのが善くない。難しいと思い込むから難しくなるんだ。その結果簡単なとっかかりを見逃す」
その想い人がどうでもいい者を本当に近くに置きたがるのか、とかね―――言ったところで明らかに中禅寺が噴き出したように見えた。
「君の友人は相当重症なようだ、鳥口君がいくら『難しく考えすぎだ』と言ったところで無理だろう。ここまで来るとどちらかと言うと憑物落としに近い」
「えっまさか、やってくれるんですか、師匠!」
「君がその友人とやらをここに連れてきて、先達の話は全てこいつの事です―――と言ってくれるのなら構わないが」
「うへぇ、そりゃ駄目だ」
前髪を振り乱して泣いて怒る姿が目に浮かぶ。
短く刈り込んだ後頭部をがりがりと掻いていると、中禅寺の眉間の皺が少し深くなった。
「惚れた腫れたの話は当人同士の問題とは言うけれどね、何だかんだで周囲に飛び火して参るよ」
関係ない話だと思っても、つられて浮いたり沈んだりさせられる。
鳥口はうんうんと頷いた。
酔って赤らんだ頬が、一挙手一投足に浮かれていたと思えば、途端に沈み込むのを思い出す。
どうにも出来ないとわかっていても、少しでもその気鬱を軽くしてやりたいと思ってしまう。
その結果、2人揃って出口のない袋小路に迷い込んでしまったのだが。
途切れた会話の隙間を、乾いた紙の音が埋めている。最初に口を開いたのは中禅寺だった。
「…まぁ益田君のことは心配要らないだろう。榎木津も子供じゃないんだ、いつまでも好きな子を苛めて喜ぶようなこともあるまいよ」
「だといいんですけどねぇ」
「ところで鳥口君」
「はい」
「…『友人』の話はもういいのかね?」
「あ」
しまった。
中禅寺は人の悪い笑みを浮かべてこちらを見ている。
「いやその、これはっ…ゲホッ」
急に大声を出したせいか咽てしまった。
苦しむ鳥口を前に、中禅寺はくつくつと笑いを溢す。
本当に託児所めいてきたなぁ、と言いながら立ち上がった。
「お茶を淹れてあげよう。茶菓子はないが」
「は、いいですいいです!胸一杯です」
「それを言うなら腹一杯だろう。そこまで行くともはや芸術だね」
畳の目を滑るように去る背中を勝手に目が追いかける。
確かに喉はカラカラだが、本当に胸が一杯なのだ。
中禅寺からはいつも古書の匂いがする。
古書に囲まれたこの部屋に居ると、全方向から彼の気配を感じ取ってしまうからだ。
こんなのはらしくないと思いながら、鳥口はこの胸苦しさに慣れた自分を感じる。
慣れるほどに此処にいたいと思う。傍にいたいのだと。
あの『友人』も、いつも同じ気持ちでいるのだろうか。
開いたままの障子から吹き込んだ夕暮れの風が、主のない本の頁をパラパラと浚った。
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鳥→敦子と平行して、鳥→秋彦も好き。この状況を表す上手な言葉が思いつかない。
どっちにしても幸せになってほしいので、番外編的に書いてみました。