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2024/11/23 08:41 |
3.未来をも変える
白黒の弦を飛び回る指先が視え、それが同じ形をしていたので。



「惜しいことをしたな」

大きな机から声がして、益田は顔を上げた。眠そうに半分目を閉じた榎木津が、三角錐の先端を白い指でつついている。

「惜しい、って何がでしょう」
「ジャズバンドに入るつもりだったんだろ」

ああ、と益田は納得した。確かに最初に此処に来た時、そんな事を云った気がする。
なんだかんだ云って無事に探偵助手―――見習い―――下僕―――になってからは生活ががらりと変わってしまい、そんな事を思い出す暇も無かった。
榎木津は三角錐から指を離して、空中でひらひらと振った。鍵盤をかき鳴らす仕草を模しているらしい。せわしなく動く指の隙間から暖かい日差しが差し込んで、綺麗だと思う。
音は聴いたことはないが、とぽつりと呟き、鳶色の瞳が益田を見た。

「手つきは悪くなかったぞ」

そう云われて、益田もつられて両手を構える。少し指先を丸めた、慣れた形。中指を軽く弾ませると、爪の先が木に当たってこつりと鳴った。この指は、しばらく鍵盤に触れていないことを思い出す。乗馬鞭の質感に慣れた手には、今は白弦が少し重く感じるかもしれない。かつて演奏前にしていたように、両手を軽く結んでは開いた。

「それで、何が惜しいんです?」

眼下に広がる町並みを見下ろしていた榎木津は、椅子ごとぐるんと回転して再び益田の方に向き直った。その目は相変わらず半分閉じられているが、少しだけ笑みの形をしている。

「お得意になってやったかもしれないのに」
「お得意に、ですかあ…」

榎木津自身ジャズクラブでギターを弾いていたこともあるくらいだから、演奏を聴きに行くこともあるのだろう。
薄暗いステージの上で、鍵盤の前に座り込む自分を想像した。グランドピアノでも、エレクトーンでも良い。スポットライトに照らされながら2色の弦を奏でる。一心不乱に、テーブルについた客たちを見ることもなく。
拍手と共に人々がくれる歓喜の視線に、愛しい飴色が含まれるのかすらも知らない。
益田はゆっくりと頭を振った。

「弟子が、いいです」

ふぅん、とだけ云った榎木津は、うとうとと目を閉じている。
窓から吹き込む風は、懐かしい春の匂い。


これが、あの日の僕が選んだ未来の形だ。




――――
益田が探偵助手になったのが3月だと思い出したので、忘れないうちに書いてみた。



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2009/03/11 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

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