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2024/11/23 03:28 |
6.だれを見てるの?
ぬくぬくと日差しが柔らかい午後。それぞれの目的を目指して街中を行く人々も、心なしか浮かれ気味だ。
そんな人の流れを縫うように、益田龍一は歩いていた。ある時は物陰に潜み、ある時は小走りに。
その視線が追うものは、悠々と闊歩する神の背中。


事の起こりは、至って些細な出来事だった。
益田を―――もとい、薔薇十字探偵社を頼ってきた依頼人を、榎木津が追い返してしまったのだ。席に着かせ、茶を出して、依頼内容を聞き出した所だったのに。
探偵直々に叩き出したものを追いかけて引き止める訳にも行かず、益田は扉と、憤然としている榎木津とを見比べて、結局榎木津に抗議した。

「何するんすかぁぁ!あのおじさん泣いてましたよ!」
「自分の嫁も繋いでおけない男なんか泣かせておけ!そんな事位で神に手間をかけさせるな!」
「手間なんかかからないじゃないですかぁ、どうせ僕が全部やるんですから」
「そうそう、マスヤマがしょうもない真似ばっかりしてるからああ云う輩が来るんじゃないか!やめなさい」

『ああ云う輩』の仕事をこなして日々の糧を得ている益田からしてみれば、たまったものではない。特に浮気の証拠探しなどは益田の得意分野であり、主要産業なのに。依頼人の男が出て行った扉を未練がましく見つめていると、榎木津が窓を指差してからからと笑った。

「外を見ろ!こんなに明るくて、暖かい!お前が隠れる場所なんかこの国の何処にも無いんだぞ。コソコソ追いかけて覗き見するなんて絶対に無理なんだ。だからみっともない真似をしない」
「そ、そんな事無いですよ。僕ぁ尾行は得意なんですから。春夏秋冬年中無休でやらせて貰います」
「いーや、無理だ!無駄だ!こんな話をしていることがそもそも無駄だ。下僕を叱っていたら喉が渇いたじゃないか。和寅ー、お茶!」

ひとしきり騒いだ榎木津は、和寅を探してすたすた歩いていってしまった。もやもやと釈然としないものを胸に残した益田を残して。
榎木津に散々罵倒されるのにはもう慣れたものだが、仕事を奪われた上アイデンティティまで否定されては黙っていられない。とはいえ、何を云っても話にならないので、結局黙っているしか無いのだ。
黙っているしか無いのなら、行動で示すのみだ。
益田をちょっとした反抗に走らせたのも、やはりこの気候の所為であろうか。


それから数日を経て、話は此処に至る。
榎木津がぶらりと出かけたのを、さも何事も無かったように見送った益田は、急いで鞄の中から衣装一式を取り出した。せっせと着替える益田を、和寅が冷めた眼差しで見つめている。

「止めておいたほうが良いと思うがねぇ」
「止めないでください和寅さん、これは僕の矜持の問題なんですっ」
「益田君に矜持なんてものがあった事のほうが驚きだよ」

この日のために誂えた春物の外套。日頃の益田の服装と結びつかないうぐいす色のそれは、出社時はおろか、外出時にすら着た事がないおろしたてだ。
長い前髪を撫で付けて、さらに念のため深く帽子を被る。勿論帽子も新品だ。首にはふんわりと膨らんだスカーフを巻いて、不自然でない程度に口元を隠した。

「どうですか、百貨店で買ったんですよ」
「色柄が変わっただけでいつも通りとても怪しいよ」
「おっとこうしちゃいられない、急がなくちゃ」

窓の外を見下ろすと、榎木津がすたすた歩いていくのが見えた。引き返して来る様子は無い。
階段を駆け下りて、ビルヂングから飛び出した。とは言え、出て来た所を見つかったら意味がない。そっと様子を伺い、遠くの榎木津が背中を向けているのを見計らうと、人ごみに紛れ込んだ。見失わない程度に、なおかつちょっと振り向かれた程度では顔が解らない程度の距離を探し、益田は歩調を緩める。春風を含んでなびく栗色の髪は、格好の目印だ。益田はスカーフの下でにやりと笑った。

「逃げたり隠れたりだったら、榎木津さんにも負けない気がするなぁ」

強風に煽られ捲れ上がった外套の裾を、慌てて押さえる。長い丈の中はいつも通りの服装なのだ。



榎木津は一度として振り向くことなく、春風を切って歩いている。桜の花びらが顔にかかったのか、ぷるぷると首を振っている事もあった。
悠然と大股で進んでいるので、益田は時折歩を速めて引き離されないようにしなければならなかった。足の長さの違いが恨めしい。
榎木津が角を曲がる時は、益田は少し身を屈め、塵箱などの遮蔽物の影から様子を伺った。無いとは思うが、角の向こうでにやにやしていないとも限らない。身を隠す障害物が少ない通りを歩く時はわざと迂回し、先回りして榎木津が通り過ぎるのを見計らってから合流した。なにせ相手は神なのだ。どんな予想外の行動に出るか解らない。
そうこうするうちに榎木津は、河川敷に辿り着いた。雪解けの清浄な水を含んだ川が、春の日差しを受けて眩しい。水面に浮かぶ桜の花びらが、くるくると回りながら川下へと消えていく。
並木に身を潜める益田の目の前で、榎木津は土手に横になる。若草が萌える地面は柔らかく暖かいだろう。そよそよと揺れる野の花に頬をくすぐられながら、榎木津は大きな欠伸をして目を閉じた。

「昼寝って…」

少しはゆっくり出来そうだが、いつ目を覚ますとも限らない。あまり潜んでいると、榎木津には気づかれないかもしれないが通行人が怪しむ。益田はそっと木陰から出た。さも散歩途中の青年を装って、ゆっくりとした足取りで河原を歩きながら時間を潰す。川辺の花を愛でるふりをしてしゃがみこんだり、鳥口の所作を真似て両手で四角い枠を作り、写真の構図を決める真似をした。その指が、自然に榎木津を中心に切り取る。
薄緑色の絨毯に寝そべる榎木津は、一枚の絵画のように春の景色に溶け込んでいた。道行く女学生の集団が眠る麗人を目ざとく見つけ、きゃあきゃあと歓声を上げる。他人の振りをしながらも、益田ははらはらした。

(あのおじさんは、僕の上司なんですよぅ)

名残惜しそうに去っていく彼女らとすれ違う時、益田は心の中だけで呟いた。一歩引いた所から客観的に見ていると、自分の事でも無いのに妙に気恥ずかしい。ふと見ると、黄色い声に気づいたのか、榎木津が身を起こそうとしている所だった。
慌てて身を隠し、動向を見守る。背中に草や土をつけたまま、榎木津は座り込んで川を眺めていたが、直ぐにふらりと立ち上がった。土手を上ってくる榎木津を見て、益田は慌てる。距離の目測を誤ってしまった。このままではかなり近くを通られてしまう。うずくまって出来るだけ身を小さく固め、帽子を深く被りなおした。
果たして榎木津は手が届きそうなほど近くを通ったが、一瞥もくれる事無く去った。寝ぼけたように半分目を閉じている。帽子の鍔の陰から、榎木津の髪に桜の花びらが付いたままになっているのが見えた。益田は一瞬手を出しかけ、すぐに引っ込めては歯噛みする。

(ああぁもう、いい歳して…)

榎木津の背中が大分小さくなったので、益田は立ち上がりその背を追った。街中に戻っていく。ふわふわと動く茶色い頭を、薄桃色の飾りが彩っている。その頭が建物の中へと消えた。益田も立ち止まり、看板を見上げる。

「甘味処かぁ」

幸いにも、彼は窓から見える席に座ってくれた。実際見栄えが良いせいか、飲食店などでは窓側の席で客寄せに使われる事が多い事を益田は知っている。美貌を花びらで飾った奇異な男に、道行く人が足を止めてくれるので益田としても隠れやすかった。
榎木津が注文したものは桜餅だった。繊細そうに見える白い手がつやつやの餅肌をわしと掴み、一口で食べてしまう所すら益田からは丸見えだ。頬を一杯に膨らませてもむもむと餡を噛んでいるのが、美しい造型と相まって通常以上に滑稽である。榎木津をはじめて見たに違いない野次馬が唖然としているのを見て、益田はスカーフの下で笑いを必死に堪えた。この場で、あの美しい男があんな表情をするなんて事を知っているのは自分一人なのだ。黙っていれば綺麗な男だという感想を、益田は訂正した。黙っていて、桜餅を食べていなければ綺麗な男だ。
店を出てきた榎木津は、当初と同じ足取りで進んでいく。この通りは、榎木津ビルヂングに繋がる道だ。益田は榎木津の背中を追うのを止めて、横道に入って駆け出した。調査終了。あとは尾行対象より先に事務所に戻って、何事も無かったような顔でお出迎えすれば良い。報告書を書くまでも無い、調査の証拠は全部自分の頭の中にあるのだ。
真っ赤な顔で駆け込んできた益田に、和寅がやはり冷めた目つきで水を渡してくれた。外套を脱ぎ捨て、帽子とスカーフと一緒に鞄に突っ込むと同時に、カウベルががらがらと鳴った。

「ただいまぁ」
「どうも先生、今日はどちらまで」
「うん、ちょっと」

ちょっと、だって。益田は噴き出しそうになる。
込み上げて来る笑いを噛み殺しながら立ち上がり、榎木津の前ににじり寄った。榎木津は眉を顰め、不審そうな顔をしている。それすらも快感だ。

「なんだカマ、にやにやして。気持ち悪い」
「うふふぅ、榎木津さぁん。頭に花びらついてますよッ」

いつに無く気安い手つきで、髪に落ちた花を落としてやった。その指先で、得意げに自分の頭上を指す。榎木津が記憶を視る際に視線を送る辺り。榎木津の行動は全てしっかりと記録されているのだ。それを視てこの男は何と云うか、益田は楽しみで仕方が無い。「コソコソ着いてくるなんてなんというオロカ!」と拗ねるだろうか、「勝手についてくるなッ!」と怒るだろうか。どちらにしても、この点については自分の勝ちだ。
しかし榎木津は大きく目を見開いたままで、益田に小さな紙袋を手渡した。

「ふぅん、まぁいいや、これ土産」
「はぁどうも、ありがとうございます」

記憶を視られた様子は無い。益田は釈然としないながらも、袋を開けてみた。中から現れたのは、ピンク色の餅米と塩漬けの葉の緑が眩しい和菓子。

「あ、桜餅…」
「食べたそうにしてただろう」
「そうですか?じゃあ頂きます…って、アレ?」

少し間が空いて、益田は榎木津に詰め寄った。

「…って、僕が居る事知ってたんじゃないですか!」
「知らないと思ってたのか!さすがオロカ、察しが悪いな!」
「そんな馬鹿な、えっ何時から!?」
「カマがカマらしく服の裾押さえてるところから」
「嘘ォ!」

それはすなわち、最初からという事である。
榎木津は自分がいることを承知の上で、あっちこっち歩き回っていたというのか。けれど益田の見る限り、榎木津の視線が一瞬でも自分が居る辺りを捉えたことなど無かったし、誰かが「尾行者が居ますよ」と口添えした様子も無かったのに。

「でもでも、絶対に榎木津さんこっち見ませんでしたよ!今日は僕の尾行人生に残るいい仕事の自信もあったんですよぉ!?」
「だから止めておけと云ったのに…諦めたまえよ益田君。君の負けだ」

益田はソファにへたりこんで、うわぁんと泣き声を上げた。榎木津はようやく益田の記憶を覗き込む。白いシャツの背中を常に追いかける像が視える。だから彼は気づかなかった。榎木津の2つの瞳を避ける過程で、数十、数百の瞳に曝されていたということに。
春風に沿って歩く通行人の記憶、河原で遊びまわる子どもの記憶、甘味処のウインドウに張り付く人々の記憶、その全てに映り込んでいる、うぐいす色の外套。
幾ら尾行に自信があるか知らないが、街行く全ての人間の目、ひいては神の目から逃れる事など出来はしないのだ。
桜餅を掌に乗せ、うじうじしている益田に榎木津の声がかかる。何処までも律儀に着いてきた彼に、今日一日ずっと云いたかった言葉だ。


「お前あの外套似合ってないぞ。一緒に歩いてて、とっても恥ずかしい」



 
――――
縦列デート。(@江古田ちゃん)な、長っ…。
 


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2009/03/19 17:06 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

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