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2024/11/23 03:59 |
4.チークダンス
どかどかと重く乱暴な足音が、榎木津ビルヂングの階段を踏みしめて行く。薔薇十字探偵社のある3階までは結構な段数を数えるが、日々事件の捜査やら何やらで動き回る木場の健脚はそれをものともしない。ただ絡みつく蒸し暑さが不愉快で、事務所に付いたら先ず一番に冷たい茶のひとつも出させようなどと考えていた。金文字に彩られた、見慣れた摺り硝子の前に立つまさにその瞬間までは。
金色のドアノブに手をかけた瞬間、扉の隙間から聞こえた悲鳴のような声に、木場は手を止めて眉を顰めた。

「…あぁ?」

常人ならば、すわ暴力事件かと室内に飛び込んでいくところであろうが、木場は幾つも修羅場を超えてきた刑事であり、それ以前にこの出鱈目な探偵事務所の常連であった。それゆえに、漏れ聞こえてきた「男の悲鳴」が誰のもので、誰によって成されたものかもしっかり解っている。大方女のように前髪を伸ばした調子乗りの助手を、幼馴染の理不尽探偵が叱るなり苛めるなりしているのであろう。こういう時に入っていくと、益田の方はあからさまに安堵した様子でこちらを見て、榎木津の方は「躾」を中断された不愉快さを一気にその顔に昇らせるのだ。
またそんな光景を見る羽目になるのか、と頭を振った木場の耳に、違った種類の悲鳴が届いた。

「榎木津さぁん、は、早…止めて…」

…んん?
ドアノブを握ったままの木場の手がぎしりと強張った。叱られているのに「早い」「止めて」と云った単語が混ざってくるのはどういうわけだ。おまけにやけに息切れしているようで、正座で怒鳴られている状態ではこんな声は出まい。あるとすれば―――木場の思考を、今度は別の男の声が破った。

「痛ッ!…こら、マスヤマ!」
「す、すみま…」
「下手くそめ…もういいから、焦るな」
「そんなこと、言われて、も…」

立派な造りのビルの癖に、声が思いっきり漏れてきやがるじゃねぇか…木場は見当違いの感想を浮かべた。歴戦の刑事を少なからず混乱させる出来事が、この扉の向こうで起こっているようだ。摺り硝子は白く曇っていて、中の様子は殆ど伺えない。おまけにガタンガタンと何か家具が跳ね上がるような音を聞き、柄にも無く木場の大きな背中がびくつく。
外で訪問者が固まっているのも知らず、中では行為が続いているようだった。

「も…もう無理です、って…え…」
「若い癖に、何を云ってるんだ。これは飾りか!でくの棒か!」
「酷い事、云わないでください…!榎木津さんとは年季が、」
「年季を埋めるためにわざわざ僕が相手してやってるんだ、そら、もっと近くに…」

下か。礼二郎のやつが下なのか。意外だな…ってオイ。そんな事考えてる場合か。
木場の額から汗が吹き出す。長い階段を昇ったくらいではびくともしない体が、一刻も早く此処から離れなければと警鐘を鳴らし続けていた。もう会話は終わったようだが、代わりに切れ切れに益田の泣き声が聞こえるばかりだ。
それにしても仮にも職場で、真昼間からいかがわしい行為に耽るとは。

「あの書生の野郎は何をしてやがんだ?」
「はいはい、私がどうかしましたかね」

独り言に何処かから返事が来て、木場は驚いた。はっとして振り向けば、いつから立っていたのか割烹着姿の和寅が見上げている。腕にぶら下がっている買い物籠からは長ネギが覗いており、探偵秘書にはとても見えない。

「お、お前!この一大事に何処ほっつき歩いてやがった!」
「はぁ?私は夕食の買出しですよ。今日は益田君も出勤してるし、先生もお目覚めでしたから」

事も無げに買い物籠を示す和寅を前に、木場の脳天がくらくらした。

(あいつら、こいつの目ェ盗んで…)

この事務所には榎木津の寝室も備えられているはずなのに、声はすぐ近くから聞こえるということも木場に衝撃を与えた。警察署内でこんな真似をしたら、減俸どころの話では無い。探偵としての職業意識が緩過ぎるとは常々思っていたが、あまりに酷い。探偵助手の方も仮にも元刑事であるのだから、いや元刑事で無かったとしても、上司の無体は止めるべきでは無いのか。いや、あいつから誘ったのか?
恐ろしい形相で立っている大男に怯えた様子を見せつつも、和寅はそっと事務所のノブに手を伸ばした。木場が慌てる。

「おい!開けるのか!?」
「? そりゃ開けますよ、早く冷蔵庫に入れないと魚が悪くなってしまいますし。木場の旦那も先生に御用があっていらしたんじゃないですか?」
「んなこたぁどうでも良いんだよ、いいからお前、もう一回買い物行け!」
「へ?もう買い物無いですよ、変な事云いますな、先生じゃああるまいし…」

和寅を押し留める木場の背中で、今度は大きな物音がした。恐らく目隠し用の衝立が倒れたのだ。益田の力の抜けた悲鳴も聞こえ、和寅が再び扉に手をかける。

「また先生が暴れている…誰が片付けると思っているんだか」

ガチャリ、と音を立ててノブが弾み、木の扉がゆっくりと開いていく。
木場も覚悟を決めた。こうなりゃあやぶれかぶれだ。何にしてもあの2人は、強制猥褻でしょっぴかれても文句は云えまい。
ドアが完全に開ききり、カウベルがからんからんと音を立てた。その向こうでは―――

衝立は倒れ、応接セットは部屋の端に移動させられている。
ぜぇぜぇと息を切らし、目を潤ませた益田がこちらを見ている。
僅かに頬を紅潮させた榎木津は、行為が中断した事を知って眉をすがめながらも、やはりこちらを見ている。
2人は手を、指をしっかりと絡ませ合って―――

フロアの中央に、着衣を乱す事無く立っていた。







和寅が持ってきた冷たい珈琲を、奪い取るようにして一気に飲み干した木場は、呆れたように云う。

「ダンスの練習、だぁ?」
「今朝本家から電話がありまして、今度舞踏会をやるから先生に帰ってくるようにって云われたそうなんですわ。先生だったら断るんでしょうが生憎電話に出たのが益田君で」
「ホイホイ引き受けちまったっつー事か」
「そう、それで彼は朝から責任を取らされているんです」

片付けられたソファに座る木場と和寅の横では、榎木津と益田がいつもより広くなった空間を引き続き縦横無尽に踊り回っている。
踊っている、と云うよりは「走っている」と云ったほうが正確であろう。膝から下がもはやふらふらになった益田が、泣き声を上げた。

「榎木津さぁん、もう無理です!休ませてくださぁい!」
「五月蝿い!マスヤマがダンスを全く知らないのがいけないのだ!3倍早く覚える為には、3倍早く踊るしか無いんだぞ!」
「だって、これはもう、踊りじゃ」

ステップについていけない益田の革靴が榎木津の足を踏んでしまい、奇声とともに榎木津の平手が飛ぶ。
外に聞こえてきたのは、このやりとりだったのか―――ぼんやりと眺める木場の目の前で、前屈みになって苦しそうに息を弾ませる益田の背を、榎木津が無理やり立たせた。

「姿勢から復習するぞ、しゃんと立て!」

繋いだ手を握りなおし、ふらふらしている益田の腰を、榎木津がぐいと引き寄せる。益田がおずおずと榎木津の腰を抱いたのを確かめ、榎木津の腕が益田の首を絡め取った。
頬を添わせ、抱き合うような仕草。グラスの中で溶けた氷が、からんと音を立てる。

「………やっぱりいかがわしいじゃねぇか!」
「何を云うか下駄男、今日はマスヤマがはじめてだと云うからたまたま僕が女役をやっているだけで普段なら」
「もう止めろバカヤロウ!」

ついに切れた木場が殴りかかり、榎木津も楽しげに応戦する。やっとのことで手が離れた益田は、弱った蝶のようにおぼつない動きでどうとソファに倒れこんだ。

「か、和寅さん…僕にも冷たい飲み物、ください…」
「はいはい」

木場は幾つもの修羅場を超えた、歴戦の刑事である。榎木津との付き合いも、この中では一番長い。
そんな彼でもまだ計り知れないものがある。それがこの世のどの探偵事務所よりも出鱈目で如何わしい、ここ薔薇十字探偵社なのだった。



お題提供:『BALDWIN』様

――――
一度はこういう叙述トリック(違うと思う)ものを書きたかったんです。
でもタイトルでネタバレ。



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2009/06/10 22:53 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

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