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2024/11/23 03:35 |
2.口唇の魔術
男か女か良く解らないやつがいるなぁと思っていたのだ。
夜の街に生きる者らしく不自然に白い腕が闇の中から伸びてきて自分の腕を捕らえたかと思えば、色に濁った熱っぽい声で「もう帰っちゃうの?」と囁かれた。もう片方の掌は、何故か尻に添えられている。
其れだけで、気づけば榎木津はその男を殴っていた。蹴ったかもしれないし、或いは両方やったかもしれない。過程はともかく、実際に少年めいた体は軽々と吹っ飛んで、派手な音を立てて飲み屋の看板を薙ぎ倒した。きゃああ、と甲高い悲鳴がネオン街にこだまする。

「…あーあー、やっちゃったよエヅ公」
「五月蝿いっ!あー吃驚した、すごぉく吃驚した!」

いやに耳に絡む粘性の声も、熱の篭った吐息も、男であるのに妙に白粉臭いのも、我慢ならなかった。
その陰間の顔はもう忘れてしまったが、あからさまに邪な期待を込めた誘い文句と、司がげらげら笑っていた事は憶えている。
そんな事もあってか、榎木津は今に至ってもカマが嫌いだ。本人は決して認めないが、トラウマと云っても良いかも知れなかった。




幾らか伸びた陽もいつしか沈み、夜空に丸い月がぽかりと浮かんでいる。
榎木津は珍しく益田を伴って出かけていた。伴って、と云うよりは引き摺って、と云ったほうが大分正しい。朝から京極堂やら関口邸、果ては赤井書房まで用も無く冷やかしに回った。我ながらあちこち行き倒したものだ。

「お腹空いたなぁ」
「お腹空いたどころか喉もカラカラですし、はぁ、僕ぁもう限界です」

乗馬鞭を揺らしながら、ふらふらとした足取りで益田が付いてくる。ようやっと、と云った風情。彼の動きはいつだって妙に芝居がかっていて真剣味に欠けるので、榎木津としても本気で益田が一歩も歩けないなどと思っている訳では無い。けれどもうこれ以上行く場所が無いのも事実だ。丁度目の前に駅も見えている。榎木津はひとつ伸びをした。

「さーて、帰るか」
「えっ」

益田がふと見上げてきたのを感じ、榎木津もつられて、首だけで振り向く。黒い瞳が、僅かに所在なげにゆらめいた。

「もう帰っちゃうんですか?」

(―――もう帰っちゃうの?)

視られない筈の自分の記憶と、目の前に立つ益田の輪郭が僅かに被ったような気がした。異物を追い出すかのようにぱちぱちとしきりに瞼を開閉する榎木津を、薄く口を開けたままの益田が見ている。

「榎木津さん?」
「ん、なんでもない。それより」

踵を軸に、ぐるりと体ごと翻る。背にした駅舎から、神保町に帰る為の電車が出て行った。

「まだ夜はこれからだぞマスカマ、先ずはご飯を食べるのだ!うははは、それから何処に行こうかな!」
「えええ、まだ何処か行くんですか!」

大股で先を行く榎木津の背を追って、下僕の足音が続く。吹き降ろされる夜風が髪を弄り、耳元を擽った。

「吃驚したなぁ、すごぉく吃驚したゾッ」
「吃驚するのはこっちですよもう」

榎木津は未だにカマが嫌いだ。
同じ夜、同じ言葉。違うものは、果たして何か?



お題提供:『BALDWIN』様

――――
榎益は欲目カプだということなので、欲目全開で。
そう云えばなんとなく司初出でした。


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2009/05/13 02:37 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

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