『4.誓いの言葉』の続きです。未読の方はそちらからお願い致します。
「その日ですかぁ、空いてますよう」
まぁ明日と言わず明日も明後日もずーーーっと空いてるんですけどねー。そう云う益田の上体は飲み屋のテーブルに突っ伏していて、顔は全く見えないがシャツ越しの骨ばった肩が小刻みに跳ね上がっているので、多分笑っているのだろう。黒髪の隙間から覗く耳の裏が血の色に透けているのを見て、青木と鳥口は顔を見合わせた。
「…ていうか益田君は誘ってないしね」
「僕らも新婚さんしょっちゅう連れまわすほど無粋じゃないすよ」
「シンコンもレンコンもないですよう!」
がばりと飛び起きた益田は、顔と云わず首と云わず、見えている部分の肌は見ていて不安になるほど赤い。じとりと伏せられた瞼から見える白目にすらうっすらと血管が走り、鳥口は「うへぇ、こりゃとんだトラだ」と肩を竦めた。
益田は一息にグラスを煽ると、空になった其れをだぁんと天板に叩きつける。ただでさえ大きくない目が据わっていて糸の様だが、瞳に帯びた色が正気を失いつつあることは容易に見てとれた。
「盛大な結婚式だったじゃない、益田君を浚って会場を走り去る大将の姿なんか活劇みたいでしたよ、憧れるなぁ」
「車に乗って走り去っちゃってね。そのまま新婚旅行に行ったとばかり思ってたよ」
「そんな良いもんじゃありませんでしたよ。大体あんな格好で何処に行こうっていうんですか」
結婚式場ではまだ映えていた2人の新郎も、会場を飛び出してしまえば単に浮かれた格好の2人組に過ぎない。手品師か、もっと悪ければ漫才師だ。貸し衣装屋に返しに行かねばならない借り物の服を着ている益田と違い、ぱりっと盛装した榎木津は文字通り白鷺の如く凛として、かつ矢鱈と目立っていた。信号待ちの度に往来を行く通行人が足を止めてウインドウを覗き込むのだ。憧れると云うなら代わって欲しい。
結婚式を終えてからも、これと云って両者の関係が変わることも無く。所帯を持つわけでもなく益田は依然通い勤めの身だし――下宿の皆には余興の衣装だったと云って誤魔化した――当然苗字もそのままだ。実際益田の苗字が田中になろうと佐藤になろうと、榎木津にとっては何の意味も無いに違いない。
榎木津が胸に挿してくれた白薔薇は、帰って直ぐに水に浸けたが日を置かずに萎れてしまった。衣装も返した。結局のところ、何も変わっていないのだ。最近では、あの宴は夢だったのでは無いかと思う事すらある。
そうして悶々と思い悩んでしまうのが、一夜の夢でない何よりの証拠であった。
益田は目にじわりと涙を浮かべたかと思うと、ぐらりと座敷に倒れ付してしまう。鳥口が慌てて水を含ませてやると、飲み込んだ分だけ両の瞳からぼろぼろと零れ落ちた。
「ううう…榎木津さんのひとでなし…僕ぁもう実家に帰りますよう…」
「あーあ、駄目だこりゃ」
「なんだかんだ云って結構乗り気だったんじゃないですか、ねぇ」
本人にも呑む気はもはや無さそうだが、今夜はもう諦めた方が良さそうだ。肉付きが薄いとは云えぐったりとしている益田はそれなりに重い。鳥口と青木のふたりで、腕を其々の肩に回して引き摺るように店から連れ出した。革靴の先が土に擦れて歪な足跡を残している。
「どうしますか青木さん」
「そうだなぁ、保護した酔っ払いって事にして警察に泊めようか」
物騒な話になり始めても、益田はぼやく所か返事すらしない。項垂れた首の前で、ばらけた前髪が歩く度にゆらゆらと揺れている。
すれ違い、追い越されていく人波を縫ううちに、2人は足を止めた。街灯の下に誰か立っている。ただ突っ立っているのでは無く、立ちはだかっているのだ。その人物を認めた青木はあぁと声を上げ、鳥口はぴょこりと頭を下げた。
温い風を頬に感じ、ようやく益田は目を開けた。ぼやけた景色の中から、白い光の輪が浮かび上がってくる。自分の横にひたりと付いてくる其れを、益田は暫く眺めてからやっと、満月であると認めた。酔いすぎたのか、足元がふらふらとして落ち着かない。未だしょぼしょぼして明瞭としない眼を擦ろうとして、益田はあっと気がついた。足が床に付いていない、というか、自分の足で歩いていない。目の前で柔らかく月光を跳ね返す其れは、慣れた栗色。
「榎木津さん?」
「遅いぞバカオロカ」
「あれ?青木さんと…鳥口君は」
きょろ、と見渡したが辺りには誰も居ない。自分の其れよりいくらか早い足音が、静かな夜の街にすたすたと響いているのを聞いて、益田は榎木津に背負われている事を自覚した。
「うわぁ…申し訳無い」
「引き摺って歩くよりよっぽど簡単だからな」
砂埃で汚れた靴先が揺れるのが見える。益田は酔いに任せて、一旦上げた頭を再び榎木津の肩口に埋めた。どちらにしても弛緩した身体には、無駄な抵抗をするだけの余分な力など残っていない。せめてずり落ちないように、両腕を首元に絡めた。
(誰かに背負って貰うなんて何時ぶりかなぁ)
こっそりと額を擦り付けると、一旦立ち止まった榎木津が、背から下がりかけた益田を背負い直した。下僕を背負って進む榎木津は何も云わない。弱った電球が明滅する度に立てる、奇妙なからからと云う音すらもよく響く程に静かな夜。
益田はさらりとした綿のシャツ越しに、榎木津の鼓動を聞いた。こんなにも近く、こんなにも勿体無い真似をしているのに、不思議と穏やかな心持ちだ。それなのに、耳の奥でか頭の中でか、或いは胸の裡でなのか、ちりちりと焦げるような音がする。回した腕に、知らず力が篭った。
(そうか、これが)
遅ればせながら自覚した恋情ごと捧げる相手が、海の向こうに居なくて良かった。この人で良かった。
目を閉じた益田の薬指で、月を宿す銀の輪が光る。
――――
結婚週間は終わりましたが榎木津と益田の結婚生活はこれからだ!
長らくのお付き合いありがとうございました!(打ち切り漫画風)
まぁ明日と言わず明日も明後日もずーーーっと空いてるんですけどねー。そう云う益田の上体は飲み屋のテーブルに突っ伏していて、顔は全く見えないがシャツ越しの骨ばった肩が小刻みに跳ね上がっているので、多分笑っているのだろう。黒髪の隙間から覗く耳の裏が血の色に透けているのを見て、青木と鳥口は顔を見合わせた。
「…ていうか益田君は誘ってないしね」
「僕らも新婚さんしょっちゅう連れまわすほど無粋じゃないすよ」
「シンコンもレンコンもないですよう!」
がばりと飛び起きた益田は、顔と云わず首と云わず、見えている部分の肌は見ていて不安になるほど赤い。じとりと伏せられた瞼から見える白目にすらうっすらと血管が走り、鳥口は「うへぇ、こりゃとんだトラだ」と肩を竦めた。
益田は一息にグラスを煽ると、空になった其れをだぁんと天板に叩きつける。ただでさえ大きくない目が据わっていて糸の様だが、瞳に帯びた色が正気を失いつつあることは容易に見てとれた。
「盛大な結婚式だったじゃない、益田君を浚って会場を走り去る大将の姿なんか活劇みたいでしたよ、憧れるなぁ」
「車に乗って走り去っちゃってね。そのまま新婚旅行に行ったとばかり思ってたよ」
「そんな良いもんじゃありませんでしたよ。大体あんな格好で何処に行こうっていうんですか」
結婚式場ではまだ映えていた2人の新郎も、会場を飛び出してしまえば単に浮かれた格好の2人組に過ぎない。手品師か、もっと悪ければ漫才師だ。貸し衣装屋に返しに行かねばならない借り物の服を着ている益田と違い、ぱりっと盛装した榎木津は文字通り白鷺の如く凛として、かつ矢鱈と目立っていた。信号待ちの度に往来を行く通行人が足を止めてウインドウを覗き込むのだ。憧れると云うなら代わって欲しい。
結婚式を終えてからも、これと云って両者の関係が変わることも無く。所帯を持つわけでもなく益田は依然通い勤めの身だし――下宿の皆には余興の衣装だったと云って誤魔化した――当然苗字もそのままだ。実際益田の苗字が田中になろうと佐藤になろうと、榎木津にとっては何の意味も無いに違いない。
榎木津が胸に挿してくれた白薔薇は、帰って直ぐに水に浸けたが日を置かずに萎れてしまった。衣装も返した。結局のところ、何も変わっていないのだ。最近では、あの宴は夢だったのでは無いかと思う事すらある。
そうして悶々と思い悩んでしまうのが、一夜の夢でない何よりの証拠であった。
益田は目にじわりと涙を浮かべたかと思うと、ぐらりと座敷に倒れ付してしまう。鳥口が慌てて水を含ませてやると、飲み込んだ分だけ両の瞳からぼろぼろと零れ落ちた。
「ううう…榎木津さんのひとでなし…僕ぁもう実家に帰りますよう…」
「あーあ、駄目だこりゃ」
「なんだかんだ云って結構乗り気だったんじゃないですか、ねぇ」
本人にも呑む気はもはや無さそうだが、今夜はもう諦めた方が良さそうだ。肉付きが薄いとは云えぐったりとしている益田はそれなりに重い。鳥口と青木のふたりで、腕を其々の肩に回して引き摺るように店から連れ出した。革靴の先が土に擦れて歪な足跡を残している。
「どうしますか青木さん」
「そうだなぁ、保護した酔っ払いって事にして警察に泊めようか」
物騒な話になり始めても、益田はぼやく所か返事すらしない。項垂れた首の前で、ばらけた前髪が歩く度にゆらゆらと揺れている。
すれ違い、追い越されていく人波を縫ううちに、2人は足を止めた。街灯の下に誰か立っている。ただ突っ立っているのでは無く、立ちはだかっているのだ。その人物を認めた青木はあぁと声を上げ、鳥口はぴょこりと頭を下げた。
温い風を頬に感じ、ようやく益田は目を開けた。ぼやけた景色の中から、白い光の輪が浮かび上がってくる。自分の横にひたりと付いてくる其れを、益田は暫く眺めてからやっと、満月であると認めた。酔いすぎたのか、足元がふらふらとして落ち着かない。未だしょぼしょぼして明瞭としない眼を擦ろうとして、益田はあっと気がついた。足が床に付いていない、というか、自分の足で歩いていない。目の前で柔らかく月光を跳ね返す其れは、慣れた栗色。
「榎木津さん?」
「遅いぞバカオロカ」
「あれ?青木さんと…鳥口君は」
きょろ、と見渡したが辺りには誰も居ない。自分の其れよりいくらか早い足音が、静かな夜の街にすたすたと響いているのを聞いて、益田は榎木津に背負われている事を自覚した。
「うわぁ…申し訳無い」
「引き摺って歩くよりよっぽど簡単だからな」
砂埃で汚れた靴先が揺れるのが見える。益田は酔いに任せて、一旦上げた頭を再び榎木津の肩口に埋めた。どちらにしても弛緩した身体には、無駄な抵抗をするだけの余分な力など残っていない。せめてずり落ちないように、両腕を首元に絡めた。
(誰かに背負って貰うなんて何時ぶりかなぁ)
こっそりと額を擦り付けると、一旦立ち止まった榎木津が、背から下がりかけた益田を背負い直した。下僕を背負って進む榎木津は何も云わない。弱った電球が明滅する度に立てる、奇妙なからからと云う音すらもよく響く程に静かな夜。
益田はさらりとした綿のシャツ越しに、榎木津の鼓動を聞いた。こんなにも近く、こんなにも勿体無い真似をしているのに、不思議と穏やかな心持ちだ。それなのに、耳の奥でか頭の中でか、或いは胸の裡でなのか、ちりちりと焦げるような音がする。回した腕に、知らず力が篭った。
(そうか、これが)
遅ればせながら自覚した恋情ごと捧げる相手が、海の向こうに居なくて良かった。この人で良かった。
目を閉じた益田の薬指で、月を宿す銀の輪が光る。
お題提供:『BLUE TEARS』様
――――
結婚週間は終わりましたが榎木津と益田の結婚生活はこれからだ!
長らくのお付き合いありがとうございました!(打ち切り漫画風)
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ご期待に添えず・・・などという勿体無いお返事をいただきまして・・・
ハネムーン云々は、軽い気持ちで書いたものですから、こちらこそすみません。
コメントレスはいりませんので、お気になさらずに・・・。
これからも作品を楽しみにしています。