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2024/11/23 08:24 |
6.尾灯
次は、―――

目的の駅名を告げる車掌のくぐもった声が車内に響き、益田は閉じていた瞼をゆっくりと開けた。眠っていただろうか。
認識はしていなかったが、意識の中にはがたんごとんと車輪が弾む音がずっと響いていたように思う。
目を開けた事で一層明瞭とした音と共に僅かに弾む車窓の外を、益田の知らない景色が流れて行く。
手持ち無沙汰だったので、片手に握り締めた切符をもう一度眺めた。幾つか目の乗り換え駅と、目的地の最寄り駅――神保町と云っていたから、恐らく此処が最寄り駅なのであろう――を結ぶもの。其処から先の事は、この小さな紙片には記されていない。線路の無い道を、益田が自分の足で進まなければならないのだ。
ごぉ、と音が大きくなり、益田は顔を上げた。トンネルに入ったようだ。硝子に見える物は流れる風景から、前髪を適当に切り揃えた冴えない男の顔に変わっている。
黒い瞳は唯ぼんやりとしていて、新世界へ挑む覇気などは全く感じられない。
これが自分だ。一度は決めた職を辞し、当て所無く―――無い訳では無いが、殆ど何も解らぬ場所で、よしんば辿り着けた処でその後の事は何も決まっていないのだから当て所無いのと変わらない―――電車に揺られる唯の男だ。
あの探偵も、電車に乗るのかなぁ――と考えているうちに、電車はトンネルを抜けた。街並みの上に広がる空の色は薄青い。今朝後にした神奈川の空と同じような色だ。箱根の空はもっと灰色がかっていたように思うが、あの時は真冬だった。雪はいつしか消え、代わりのように梅の木が紅白の花を付けている。
再び車掌の声が、同じ駅名を繰り返した。
益田は荷物を携えて、席を立った。電車は速度を落とし始め、覗き込んだ前方にはホームが見える。
帰りの切符は無い。数分も置かずに自分はあの場所に降りて、探すのだ。知らない街の中で、知らない世界の中で、唯一強く覚えている人物を。記憶の中では何時だって雪原に立つ彼を、雪の無い今探せるのだろうか。
不安とも期待ともつかぬつらつらとした想像を打ち切るように、電車は遂に止まった。乗り込んでくる男女とすれ違いに、益田の革靴がホームを踏む。
けたたましく鳴る発車のベルを聞いて、益田は振り向いた。自分が座っていた座席には何時の間にか他人が座り、嗚呼と思う間も無くドアは閉まる。ごとん、と云う重い音は、ゆっくりと、だが確実に速度を増す。
信号のように点滅したライトが両目を射抜き、益田は目を細める。益田の肌を撫でた尾灯の軌跡はぬくもりひとつ残す事無く、線路の向こうへと遠ざかって行った。



お題提供:『BALDWIN』様

――――
初対面以上再会未満。
(※最初「神保町駅」と書いてしまっていたのですが、調べたら「神保町駅」が出来たのは昭和47年だそうです。過去の作品でも神保町の駅が出ているかもしれませんがもうその辺はどうにでもなれ(暴論)ということで…すみませんでした…)



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2009/06/17 23:36 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

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