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2024/11/23 09:15 |
そのぬくもりに用がある

雲がゆっくりと流れる空を目指して、榎木津ビルヂングが聳えている。
その入り口の前で、益田龍一は困窮を極めていた。中に入りたくても入れないのだ。鍵が閉まっている訳ではない、益田の足を止めるものは他にあった。
その柔らかい生き物は、益田の脛の辺りに絡み付いている。右足を抜き出せば左足に、左足を進めようとすれば右足に。螺旋を描くような動きで、彼の歩みを妨げているのだ。うっかりすればそのしなやかな尾を踏みつけてしまいそうで怖い。結果前にも後ろにも進めず、益田はその場でたたらを踏んだ。

「ちょっ…あぁっ!危ないなぁもう!」

泣き声交じりの声を聞きつけたのか、暗い階段の上から白い貌がひょこりと飛び出す。榎木津礼二郎は眉を寄せて階段下の様子を観察し、「あっバカオロカが変な踊りをやっているのか」とだけ呟き、階段を降り始めた。その足取りはさも面倒そうであったが、益田の足元に纏わり付くものを見つけると、鳶色の瞳を見開いて駆け下りてくる。
うははは、とご機嫌な笑い声に益田は尖った肩をびくつかせたが、足元の生き物―――大きな猫は、構う事無く益田のズボンに首の後ろを擦り付けた。

「おお、にゃんこじゃないか!全体黒いのに足先だけ白くて、靴下を履いているみたいだぞ。かぁわいいなぁ。そら、こっちに来なさい」

喜色満面とはこのことか。整った容貌にとろけるような笑顔を浮かばせた榎木津は、白い指先をひらひらと猫の鼻先に躍らせた。
しかし猫の丸い目はちらりと一瞥だけしたものの、榎木津には興味を持たず立ち竦む益田の左足に長い尾を絡めている。榎木津はきょとんと目を丸くして、行き場のない指先を見つめている。

「あれ」
「助けてくださいよぅ榎木津さん、こいつ昼からずっと付いてきてるんです。足にまつわりついて全然離れなくて、僕ぁ何回もこけそうになりました」
「転ぶのはマスヤマが下ばっか見て歩いてるからだろうが、にゃんこの所為にするんじゃないっ」
「酷いなあもう。下ばっかり見てて気づいたんすけど、この猫首輪も何もしてないんですよ、野良かな」

まだ若いであろう猫の被毛はしっかりと強そうではあったが、確かに野良めいて埃っぽく薄汚れていた。身体も大きくはあるが、腹のあたりなどは肉付きが薄い。そんな身体が何度も密着した所為で、綿のズボンの膝から下は心なしか煤けている。
榎木津は眉間に皺をこしらえて何事か考えていたが、すくりと立ち上がると益田の脇を擦り抜けて歩き出した。

「榎木津さん、何処へ」
「今夜は和寅が居ないから、京極の所で何か食べて来る」
「あっ良いなぁ、僕も仕事終わりでお腹空いたし御相伴した、うわっ!」

軽い悲鳴に榎木津が振り向けば、追従しようとした益田の足を、黒い背中が引き止めている。ちょっと、とか、もう、などと云ってもがく声に交じって、みゃあと高い泣き声が上がった。
痩せた男と痩せた猫の奇妙なやりとりを、道を行く人々がちらりと見てはくすくす笑って通り過ぎて行く。
榎木津の革靴の先がたんたんと石畳を打ちつけた。

「鈍臭い!ご飯作るのは僕じゃないけど迷惑だからもう置いていく!」
「えぇー待ってくださいよ!仕様がないなぁ」

益田は身を屈めて両手を伸ばし、猫を掬い上げた。それなりにずしりと重い。赤子を抱き直すように猫を腕に収めると、榎木津の横に並ぶ。

「やっとちゃんと歩ける。お待たせしました、行きましょ」
「マスヤマはにゃんこを抱くのが下手すぎる、そんな抱き方じゃ居心地悪いぞ」
「その時は車通りの少なそうな道に離してやりますよ。事務所に閉じ込める訳にもいかないでしょう」

眉を下げて笑う益田の顔をちらとだけ見て、榎木津はすたすた歩き出す。
白いシャツの腕に抱かれた猫は益田の予想を裏切り、逃げようともせず平たい胸の前でごろごろと喉を鳴らしていた。





「ひゃっ、こそばゆい」

大人しく運ばれているのに飽きたのか、猫は揺れる益田の前髪に前足を伸ばしたり、鼻先を益田の襟足に突っ込んだりして遊び出した。その度に長い髭が首や耳元をくすぐり、益田はけけけと笑い声を上げる。少し陽が傾いたために丸みを増した猫の瞳孔にじっと見上げられ、益田としても悪い気はしない。

「どうしましょうねぇ榎木津さん、こいつ僕にやたら懐いてますよ。野良がこんな懐くなんて知りませんでした、捨て猫かなぁ。うちの下宿動物飼うの駄目だしなぁ、事務所で飼ったら駄目ですかねぇ。和寅さん怒るかな…うわっ、口舐めた。吃驚したぁ。ざらっとしましたよざらっと」

組んでいる両腕の指先で顎下をくすぐってやれば、耳に心地よい鳴き声が聞こえる。
少し後ろを歩いているために知らなかったが、眩暈坂を上るにつれて、榎木津の眉間に刻まれた皺が深くなっていった。坂の先にある古本屋の主人もかくやと思しき不機嫌さだ。その足が砂利を思い切り踏んだかと思うと、勢い良く益田の方を振り向く。

「おい、マスヤマ…」
「あっ!」

と、猫がぴくりと鼻先を擡げたかと思うと、前触れもなく益田の腕を飛び出した。音も無く地面に降り立ち、榎木津の横を走り抜けていく。
探偵の肩越しに見送る先には京極堂があり、掲げられた「骨休め」の向こうからはもうもうと煙が上がっていた。

「なんだろうあの煙…あっまさか大量の本が燃えているんじゃ」
「バカオロカめ、今は夕食時だぞ。庭先が燃えるなんてアレに決まっている!」

軽い足取りで駆ける猫に続いて、榎木津も駆け出す。益田もよろめくような足取りで後に続いた。




2人を出迎えた中禅寺の顔は、本当に店が焼けたのかと思う程の仏頂面である。襷で纏めた藍色の袖から痩せた腕が伸びていた。背後で立ち上り続ける煙の根元には七厘が置かれ、じりじりと焦げる魚が香ばしい匂いを放っている。

「やぁやぁ京極!美味そうだな!」
「美味そうだからって君らには関係無いだろう。自分達だけじゃなく」

あんなものまで連れて来て。
中禅寺がつい、と流した視線の先には2匹の生き物。燃え上がる炎を遠巻きに見ているのは、先住者である石榴と、益田が抱きかかえて連れて来た猫だった。
きらきらと輝く緑の瞳を見て、背を丸めた益田が恨めしそうに呟く。

「あんなに僕に懐いてたのにい」
「あの様子じゃ益田君に懐いてた訳では無いね、益田君からする魚の匂いに懐いてたんだ。大方昼に鯵の開きでも食べたんだろう」

益田のシャツの首元を、骨ばった指がとんと突いた。

「醤油が飛んでるぜ」
「うわあ…」

うなだれる益田の横顔を見下ろして、榎木津はふふんと笑う。

「絶対可笑しいと思ったんだ、マスヤマににゃんこが懐くなんて。お前だけにゃんこを抱いて歩いてずるいぞ」
「にゃ…猫だって僕に懐くことくらいあるかもしれないじゃないですかぁ」

いつの間にかそこら中に付いていた猫の毛を払い落とす益田の耳元に、榎木津が尖った鼻朶を埋めた。

「うん、本当に魚臭いな!鱒山だな」
「だから誰なんですかそれはぁ、もおぉ、急にご機嫌良くなっちゃうんですから」

耳元に触れる栗毛がくすぐったくて、益田は身を捩った。
そんな彼らを見て、店どころか中野一帯が焼失でもしたように恐ろしい顔をしていた中禅寺は庭に降り、焼きあがった魚を皿に取っている。2匹の猫がその周囲を取り巻いているが、下駄履きの足先は慣れているのか事も無げに歩いて戻ってきた。

「丁度七輪も出ているし、君達にも馳走してあげよう。魚は無いけどね」

人の悪い笑みを浮かべた中禅寺が、ぐるりと2人を見回して、最後に益田の前で視線を止める。

「益田君、餅は好きか」

榎木津の眉がぴくりと動く。
良いですねぇ醤油まぶして海苔なんか巻いてあったら最高、と答える途中の黒髪を、神の拳がぽかりと打った。




――――
真宏様リクエスト「やきもちを焼く榎木津」でした。ありがとうございました。
また猫の話か…!引き出し少なくてすみません。タイトルはサンボマスターです。



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2009/03/29 22:35 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

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