鳴釜の内容を含みます。ネタバレ注意。
…あれだな。
煙ったような雰囲気の店内で、益田は直ぐに其れと解る連中に目を留める。
琥珀色の酒を湛えたグラスを眺める振りをして、首のチーフの形を気にした。大丈夫、其れっぽい。
視線の配り方にも、靴音ひとつにも気を配る。すう、と吸った息と共に、葉巻の先端が赤く灯った。
調査対象がこちらに意識を向けたところで、口に銜えた其れを外し、紫煙と一緒に慣れない言葉を吐き出す。
「―――兄さん達楽しそうだねェ。俺も混ぜちゃあくれねえかい?」
あの時飲み干した洋酒に似た色の瞳が、中空に浮かんでいる(らしい)記憶を捉えている。ぶつぶつと口の中で何事か呟いてから、片眉を上げて益田を見やった。
「ほんっっっとうにつまらん真似をするなぁ、流石バカオロカ」
「つまらないなら見なきゃ良いじゃないですかぁ」
「しかも自分の顔なんか見てだらしなく笑っているじゃないか!自分が大好きなのかお前は。おいマスカマ、カマの人は男なら誰でも良いのか。男なら自分でも良いのか?」
「良い訳じゃないじゃないですか、ホントのカマの人はどうか知りませんが、僕ぁ自分の変装が上手く行ったのでちょっとほくそ笑んだだけですよ」
敵を騙すなら先ずは味方から。自分の最大の味方は、結局自分だ。
自分でもちょっと有りかも、と思ってしまった位なので、案の定相手は簡単に騙されてくれた。アクセントに飾った赤いチーフなどは自信作で、とっぽい兄さんじゃねえかなんて云われたものだ。褒め言葉かどうかは、さて置いて。
さらに榎木津はずいと身を乗り出し、益田を睨みつける。
「葉巻なんか153年は早いぞ」
「小道具ですよ小道具。殆ど持ってただけです。喋るのに夢中で吸う暇なんか無いです」
そう云えば吸いさしの葉巻は何処へやっただろうか。混乱の現場から逃げ出す時に置いてきてしまったのかもしれない。
勿体無かったかなぁ、結構高価かったのに。
益田がなんとなくぼんやりとしていると、半分開いた唇に榎木津が食らいついた。
「うぐ」
益田は面食らったものの、抵抗しなかった。驚いた所為もあるが、両目をかっ開いたまま口内を荒らす榎木津の動きには、性的な気配を一切感じないのだ。大きな犬が人懐っこく飛び掛ってきたのに似ている。参ったなぁと思いはすれど、気分が盛り上がったりはしない。
案の定榎木津は一通り「検分」を済ませた後、余韻も残さず唇をもぎ離した。
「味しないぞ」
「だから持ってただけだって云ってるじゃないですか、もう… しかも何日前の話を」
「匂いがするんだ」
榎木津の鼻先が、益田の顎裏に触れる。下瞼や頬に触れるふわふわの髪がこそばゆい。
じゃれ合いのような接触に、益田は少し困りはしたが悪い気はしない。榎木津のさせたいようにさせてやろうと思い、喉奥で笑いながら成り行きを見守る。
「僕ぁそんなに着替え持ってないですから、多分その時着てた服じゃ、っ」
突然笑み交じりの声が止まり、益田の黒い瞳が収縮した。
首筋に突然、濡れた温度を感じたのだ。直ぐ近くから、軽い水音が聞こえる。更にはちくりとした痛みを残して離れた榎木津の瞳を見て、ようやく事態を察した益田は、遅ればせながら顔に熱が登るのを知覚した。
「ざまあみろ」
「ちょっ、何を」
吸われた箇所を掌で押さえ、益田は洗面所に駆け込んだ。恐る恐る手を剥がせば、青白い血管が浮かぶ首筋に、場違いな痣がありありと残っている。血が昇ってほの赤い頬よりもまだ赤い。なんということだ。
駆け込んだ勢いと同じに飛び出した益田は、そ知らぬ顔でそっぽを向いている榎木津に泣きついた。
「な、な、なんてことをするんですかぁ!いきなり!脈絡無さすぎじゃ」
「下僕如きが自分ひとりで何でも出来る気になっているから、立場を教えてやったんだ。子どもだって自分の持ち物には名前を書くだろう。失くさないように目立つ所に」
「持ち物の気持ちも考えてくださいよ!ああぁ恥ずかしい」
しきりに痕の辺りを摩っている益田を見て、榎木津が鼻を鳴らす。
「榎木津礼二郎の持ち物だと周知させてやっているのに、何が恥ずかしいんだ?」
「え」
―――其れと此れとは、話が別なのだが。
榎木津礼二郎の、持ち物。
もはや人間だか文房具だか解らない響きではあるが、何だか胸の奥がじわりと温もり、いともたやすく絆されそうになってしまう。
傍に居させて貰えるなら、持ち物でも何でも構わない。
とは言えしょんぼりと眉尻を下げた益田は、うっすらと窓に映る自分を見て、どうしても首筋に目が行くのを情けなく思った。とりあえずシャツの襟を立ててはみたが、物凄く変だ。
硝子の中の自分の横に立つ所有者の白面が、ようやくにこりと微笑んで、哀れな下僕に啓治を授けた。
「赤いチーフでも巻いておけば?」
お題提供:『ペトルーシュカ』様
――――コスプレ が だいすき です。
導=葉巻の火の予定でしたが全然違う話になったのは鳴釜の益田が可愛い所為です。
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