迂闊だった。
益田は只、己の手落ちを嘆くばかりだった。
頭を抱える彼の身を包むのはストライプ柄の綿シャツであり、彼は昨日も同じ服を着ていた。しかし違う点が一点。彼は今『素肌』にシャツを纏っているのだった。
夕べまでは確かに着用していた、白い紳士肌着。
それをうっかり忘れてきてしまっているのである。今は閉ざされた、彼の神たる榎木津探偵の居室に。
しかし不幸中の幸いと言うべきか、現在室内は無人だ。榎木津は朝からふらりと外出してしまい、これを好機と見た益田は和寅を――半ば無理やりに――使いに出すことに成功した。
榎木津の衣服と益田の衣服では、下着と言えど素材からして全く違うのだ。洗濯の時に気づかない筈がない。いい加減暗黙の了解とも言える二者の関係ではあったが、こういった形での露見はいかにもふしだらで宜しくない、というのが益田の見解であった。
誰も居ない今のうちに、どうにかして自分の痕跡を回収しなければ。
見る者もないフロアで、益田は慎重に榎木津の寝室に続くドアノブを回した。
差し込む陽光に、塵がキラキラと舞っている。
そう言えば日中この部屋に入るのは初めてだと益田は気づいた。昨夜もそうだったように、榎木津に手を引かれるのは決まって夜更けのことだ。そして朝日が昇る前にはいつも寝室を抜け出してしまう。知らない部屋の様だ。
気恥ずかしさを憶えるが、照れている暇はない。迅速に仕事をこなしてしまわねばならないのだ。
さっと室内に視線を配らせ、益田は「うわあ…」と声を上げた。
いつものこととは言え、寝台と言わず床と言わず、大量の衣服が散乱している。空き巣に入られた服屋です、と言われれば信じるだろう。着たものやら着ていないものやら、何もかも一緒くたにされている。
溜息をひとつつき、益田は床に膝をついて衣服の分類を始めた。量こそ多いが、色物や柄物さえはじいてしまえばあとは簡単だ。
何処にいても分かりそうに真っ赤なシャツ、榎木津以外誰が着るのかと思うほどの原色が眩しいジャケット。少女のように可憐な桃色の衣装まで出てきた。それを一番上に乗せる。
衣服の洪水に酔いそうな中、益田はふと一点で手を止めた。漆黒の、懐かしい艶のある生地。思わず持ち上げると、金釦が光を跳ね返してきらめいた。
「学生服」
それは正しく学生服だった。校章らしきものもそのまま付いている。行儀の良い詰襟から一直線に連なる金色の釦。長らく眠っていたものか少し吊り癖がついていたが、すっくりとした仕立ての中で袖口が少し擦り切れているのを見て、着用者の気配を感じた。
「あのおじさんにも学生のころがあったんだなあ、当たり前だけど」
肩口を持って目の前にかざし、少し榎木津の顔を想像してみたがイマイチ上手に決まらなかった。彼がこの服を着ていた時から十何年の時を経ているのだから当然と言えば当然だが、新鮮な驚きがあった。何の気なしに身に添わせてみると、腕はぴったりだったが肩が少し合わなかった。いつのものだろうか。まさか中学ということはないだろうが。
「高校ダッ」
「へえ、物持ちいいです…ね…」
あっと思った時には遅かった。事務所の内鍵を落とすのを忘れていたことに気づく。
恐る恐る振り向けば、いつから其処に居たものか、開け放っていたはずのドアにもたれ掛かった榎木津がにやにやと笑っている。
散らばった榎木津の衣装に囲まれて、学生服を抱きしめている――ように見える――この状況。誰にも申し開き出来ない。ましてや神になど。血の気が引いたが、条件反射的に浮かべた卑屈な笑顔を解くことが出来ない。
笑みを崩さぬまま、榎木津の爪先が益田の膝を軽く蹴った。
「カマだカマだとは思っていたが加えてヘンタイだったのか」
「ちが、ち、違います」
「違わなぁい!」
言うが早いか、積み上げられた衣服の海に埋められた。原色の波と、榎木津の残り香にくらくらする。
倒された拍子に本当に抱きしめる形になった制服の上から、榎木津の掌が胸を押さえた。
厚い生地を通しているにもかかわらず、着忘れた肌着の分彼の体温を近くに感じる様な気がして、瞼が熱くなる。
「ここで問題だ、変態下僕」
そうだ、この部屋は明るかったのだ。
「これを着た僕と、お前がこれを着るのと」
もう負けです。負けでいいです。言わないでください。その先を聞いたら、きっと。
目の端に写る桜色に、益田は桜吹雪の中に立つ若き榎木津の幻影を見た気がした。
――――
自家チャット宿題「学ラン」。本番誰か書いてください。
小さな幸せ=榎木津と益田に学ランを絡められたこと ということで…
益田は只、己の手落ちを嘆くばかりだった。
頭を抱える彼の身を包むのはストライプ柄の綿シャツであり、彼は昨日も同じ服を着ていた。しかし違う点が一点。彼は今『素肌』にシャツを纏っているのだった。
夕べまでは確かに着用していた、白い紳士肌着。
それをうっかり忘れてきてしまっているのである。今は閉ざされた、彼の神たる榎木津探偵の居室に。
しかし不幸中の幸いと言うべきか、現在室内は無人だ。榎木津は朝からふらりと外出してしまい、これを好機と見た益田は和寅を――半ば無理やりに――使いに出すことに成功した。
榎木津の衣服と益田の衣服では、下着と言えど素材からして全く違うのだ。洗濯の時に気づかない筈がない。いい加減暗黙の了解とも言える二者の関係ではあったが、こういった形での露見はいかにもふしだらで宜しくない、というのが益田の見解であった。
誰も居ない今のうちに、どうにかして自分の痕跡を回収しなければ。
見る者もないフロアで、益田は慎重に榎木津の寝室に続くドアノブを回した。
差し込む陽光に、塵がキラキラと舞っている。
そう言えば日中この部屋に入るのは初めてだと益田は気づいた。昨夜もそうだったように、榎木津に手を引かれるのは決まって夜更けのことだ。そして朝日が昇る前にはいつも寝室を抜け出してしまう。知らない部屋の様だ。
気恥ずかしさを憶えるが、照れている暇はない。迅速に仕事をこなしてしまわねばならないのだ。
さっと室内に視線を配らせ、益田は「うわあ…」と声を上げた。
いつものこととは言え、寝台と言わず床と言わず、大量の衣服が散乱している。空き巣に入られた服屋です、と言われれば信じるだろう。着たものやら着ていないものやら、何もかも一緒くたにされている。
溜息をひとつつき、益田は床に膝をついて衣服の分類を始めた。量こそ多いが、色物や柄物さえはじいてしまえばあとは簡単だ。
何処にいても分かりそうに真っ赤なシャツ、榎木津以外誰が着るのかと思うほどの原色が眩しいジャケット。少女のように可憐な桃色の衣装まで出てきた。それを一番上に乗せる。
衣服の洪水に酔いそうな中、益田はふと一点で手を止めた。漆黒の、懐かしい艶のある生地。思わず持ち上げると、金釦が光を跳ね返してきらめいた。
「学生服」
それは正しく学生服だった。校章らしきものもそのまま付いている。行儀の良い詰襟から一直線に連なる金色の釦。長らく眠っていたものか少し吊り癖がついていたが、すっくりとした仕立ての中で袖口が少し擦り切れているのを見て、着用者の気配を感じた。
「あのおじさんにも学生のころがあったんだなあ、当たり前だけど」
肩口を持って目の前にかざし、少し榎木津の顔を想像してみたがイマイチ上手に決まらなかった。彼がこの服を着ていた時から十何年の時を経ているのだから当然と言えば当然だが、新鮮な驚きがあった。何の気なしに身に添わせてみると、腕はぴったりだったが肩が少し合わなかった。いつのものだろうか。まさか中学ということはないだろうが。
「高校ダッ」
「へえ、物持ちいいです…ね…」
あっと思った時には遅かった。事務所の内鍵を落とすのを忘れていたことに気づく。
恐る恐る振り向けば、いつから其処に居たものか、開け放っていたはずのドアにもたれ掛かった榎木津がにやにやと笑っている。
散らばった榎木津の衣装に囲まれて、学生服を抱きしめている――ように見える――この状況。誰にも申し開き出来ない。ましてや神になど。血の気が引いたが、条件反射的に浮かべた卑屈な笑顔を解くことが出来ない。
笑みを崩さぬまま、榎木津の爪先が益田の膝を軽く蹴った。
「カマだカマだとは思っていたが加えてヘンタイだったのか」
「ちが、ち、違います」
「違わなぁい!」
言うが早いか、積み上げられた衣服の海に埋められた。原色の波と、榎木津の残り香にくらくらする。
倒された拍子に本当に抱きしめる形になった制服の上から、榎木津の掌が胸を押さえた。
厚い生地を通しているにもかかわらず、着忘れた肌着の分彼の体温を近くに感じる様な気がして、瞼が熱くなる。
「ここで問題だ、変態下僕」
そうだ、この部屋は明るかったのだ。
「これを着た僕と、お前がこれを着るのと」
もう負けです。負けでいいです。言わないでください。その先を聞いたら、きっと。
目の端に写る桜色に、益田は桜吹雪の中に立つ若き榎木津の幻影を見た気がした。
――――
自家チャット宿題「学ラン」。本番誰か書いてください。
小さな幸せ=榎木津と益田に学ランを絡められたこと ということで…
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