忍者ブログ
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


2024/11/23 04:10 |
1.この身体も、心も、命も、血の一滴まで全ては


「ひゃあああああ」

カウベルの音色と同時に、情けない声をあげながら益田が飛び込んできた。
シャツもタイも、くたびれた靴もびしょびしょの濡れ鼠だ。
書類ケースを胸に抱えたまま、ぶるぶると犬のように首を振った。

「和寅さぁん、手ぬぐいか何か貸してくれませんかー?」

顔に張り付いた前髪を掻き分けて、明かりの消えた事務所の中へ歩いていく。
その足跡にはぽたぽたと雫が落ち、雨雲を引き連れているようだった。
天を裂く轟音に、榎木津ビルヂングの窓が揺れている。

「和寅さ…」
「遅いぞ下僕ッ!」
「ヒッ」

やや遅れて雷が落ちる。

「おお、今のは近いな!うはは」
「え、榎木津さん!?」

榎木津は窓にへばりついていた。
うす暗い中でも両の瞳が爛々と輝いているのがわかる。
どうも大嵐に興奮しているらしい。
顔中で笑っていた榎木津だったが、濡れそぼった益田を見るや露骨に秀麗な顔をゆがめた。

「おお、これはひどい。そんなびたびたで入ってくるな!ちゃんと乾かしてから戻って来い」
「乾かせって、また無茶な。街中どこもかしこもこの調子ですよ。だから手ぬぐいか何かあったら貸してほしいんですが」
「ゴキブリ男ならいないぞ」
「え」
「買い物に出たっきり帰ってこない。日頃の行いが悪いから雨になど降られるんだ!」

榎木津はふん、と鼻を鳴らしてまた窓の外に目をやる。
身につけている綿のシャツは白く清潔で、水気を含んだ様子もない。
本当にねずみ色に見えるほどじっとりと濡れた自分が、硝子越しにそんな彼の隣に並んでいる。
益田は情けなさで半笑いになった。
どうせここまで濡れたなら、家に帰っても一緒だ。
慌しげに書類ケースを机に置き、顔を上げる。

「あの、じゃあ帰りま」
「脱げ」
「え」
「なにが え だ。濡れた服を着てたら気持ち悪いじゃないか」
「え、いやいや、ぼくもうこれで帰りますし」

後ずさりする益田を、榎木津の視線が射る。
影を縫い止められたように、それきり動けなくなった。

「オロカめ。そのまま帰ったらすれ違う人すれ違う人がみーんなお前を見てうわぁあのカマのような人はぬらぬら濡れてて気持ち悪いなーと思うだろうが」
「えぇー、気持ち悪いってそういう意味なんですか…」
「ぬらぬらするのはサルだけで十分だっ。あれは晴れててもぬらぬらしているけど」

遠くで空がゴロゴロと鳴く。
それを聞いた榎木津は、にゃんこみたいだなぁと再び窓に目を向けた。
榎木津はこちらを見ていない。戸口に向かって駆け出すこともできただろう。
が、益田は出来なかった。
水で固くしまったタイをようよう抜き取り、ぐったりと重いシャツを肌から引き剥がす。
置き場所に困ったので、とりあえずぐしゃぐしゃのまま腕に抱えておく。
痩せた腕を水滴が伝った。
榎木津は益田に目もくれないままで次々と指示を出す。
雨が窓を叩く音の中で、やけにその声がはっきりと聞こえた。

「靴も」
「は、はぁ」

革靴がごとごとと音を立てて床に落ちる。
靴下は丸めてその中に押し込んだ。

「ズボンも」
「え、は、はい」

片腕にシャツを抱えたままではズボンを脱ぐのにも難儀した。
足を抜き取る時によろよろと左右にぶれ、あちらこちらに水滴が飛び散る。
シャツと同じに丸めて抱き込む。もうこのズボンは折り目も消え、無残な姿になるだろう。
洗ったばっかりだったのに…まぁここまで濡れたらなんでも一緒か、と冷静な部分で思う。
硝子の向こうの榎木津が顔を上げた。

「あ、あの、下着は」
「…お前はどうしたい?」
「ど、どうしたいってそりゃあ」
「マスヤマがしたいようにしていいよ。ぼくはお前に構っている時間が」

ないの、という声にかぶせて強い光がフロアを包み、雷の音が轟いた。
榎木津はきゃーだかわーだかいう奇声を上げて手を叩き、はしゃぎまわっている。
もう興味を失ったようにしか見えない。
呆然と立ちすくんでいた益田は、水溜りの出来た足元を見下ろす。
思考が止まり、何も考えることができない。
身体が勝手に動き、唯一神が許した着衣までも脱ぎ去った。


雨の音が聞こえる。
それはますます強まったのか、益田の耳にがんがんと響いた。
益田を隠す薄暗がりは、時に無慈悲な白い閃光によって暴かれた。
顔が上げられない。が、見なくてもわかる。
神がその目で、自分を見ている。

「ふぅん」
「え、えのきづ、さん」
「顔を上げな」
「む、無理です」
「全裸になるのは恥ずかしくないのに、ぼくを見るのは恥ずかしいのか」

恥ずかしくないわけがない。
雨に洗われ冷めた肌が、羞恥に燃え上がるようだ。
それでも全てを暴かれることを、望む自分もいるのだ。
こんな感情は知らなかった。
全身をバラバラにされたような、そしてその中からひとつだけを掬い上げられたいような。

「恥ずかしがらなくていいよ」

靴音が近づいてくるのが聞こえ、益田は堅く目を閉じた。
榎木津の気配が裸の肌に痛いほどだ。
額に触れた手の平が暖かい。
掻き揚げられた前髪から落ちた雫が、榎木津のシャツに滲みた。


「全部ぼくのものだ」

雷すらも凌駕する神の声に、益田ははっと目を開いた。
光が走る一瞬、白と黒のコントラストが榎木津の輪郭を焼き付ける。
神を前にすると、いつも益田は雷に打たれた心地がする。
全身が痺れ、声にならない。また、声に出してもきっと聞こえない。
「全部あなたのものです」と言いたいのに。



 

お題提供:『ペトルーシュカ』様 



―――――
なんのプレイだこれ。
初手からあまり幸せじゃない件。精進します。

 

  

PR

2009/02/12 02:21 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

トラックバック

トラックバックURL:

コメント

コメントを投稿する






Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字 (絵文字)



<<2.誓いましょう、手の甲へと口付けて | HOME |
忍者ブログ[PR]