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2024/11/23 03:59 |
2.聴覚

きゅるる、と胃が鳴る音がして益田は手を止めた。時刻は午後3時。少々小腹が空いてくる時間である。
いつもなら和寅に言えば、自分は先生の秘書であって給仕ではないとかなんとか文句を言いつつも、蒸した芋だの貰い物の菓子(大概は榎木津が絶対に食べない落雁の類だ)などを出して貰えるのだが、生憎今は不在だった。本家に何やら付け届けがあるというので、益田は事務所の留守番をもついでに任されている。外に買い物に行くわけにも行かない。
空腹というのは意識すると得てして強まるものである。とは言え若干大袈裟に、益田は応接机に上半身を投げ出した。

「参ったなぁ~…和寅さん何時帰ってくるのかなー…」

茶でもがぶ飲みして空腹を紛らわせられればいいのだが、そのためには勝手場に入って湯を沸かさなければいけない。給仕じゃないと言っている割に、台所を弄られると和寅はえらく怒るのだ。
またきゅる、と胃が鳴り、益田は情けない声をあげた。

「嗚呼もう駄目だ、和寅さんすみませーん、後で洗い物でも何でもしますから勘弁してください」

益田は力なく立ち上がり、歩を進める。何か駄菓子の類でもあればしめたものだ。
勝手場は薄暗く、ひんやりとしていた。逆さまに伏せられている薬缶を取り、水を注ぐ。益田は鼻歌交じりにその水面を眺めていた。そう言えば茶葉は上の棚だったと思い出し、上体を反らして手を伸ばす。

「それは苦いから嫌だ、右のがいい」
「え!? うわああああ」

音もなく現れた背後の気配に驚いて、戸棚に詰まった荷物が崩れそうになった。慌てて両手で支え、首だけで振り向くと、思いのほか近くに榎木津が立っていた。着ているシャツはいつもより柔らかそうな生地だ。よれよれで、皺が寄っているので余計にそう見える。栗毛の髪はぼさぼさで、目は据わっている。如何にも寝起きの様相である。

「榎木津さん、今起きたんですか。台所入ってきたら和寅さんに怒られますよ」
「ぼくはお腹がぺこぺこなんだ。マスカマこそ何でここにいる。鍋釜に挨拶か?」
「鍋釜に親戚はいませんよゥ。でも奇遇ですねェ、僕もお腹空いたんですけど和寅さん出掛けてて。仕様がないのでお茶でも飲もうか、と」

益田はぐいぐいと荷物を持ち上げ、無理やりに棚を閉めた。次に誰かが棚を開けたら、確実に雪崩が起きる。これは絶対に怒られるなァ、と思ったものの先ずは榎木津の機嫌をとらねばなるまい。榎木津はというと、何やら棚の影でごそごそやっている。ぺーこぺこ、とかなんとか謎の節も聞こえてきた。歌だろうか。益田もつられてしゃがみこむ。

「何探してるんですか」
「食べ物に決まっているだろう。和寅の奴、菓子の類はこの辺に隠しているのだ」
「ぼそぼそしないもんが残ってるといいですねェ」

薄暗がりの中、大の男2人が菓子を漁っている。益田はなんとなく可笑しさを感じると同時に、ふと自分が榎木津と2人きりだということに気づいた。
彼が菓子を見つけ出したらお茶を淹れよう、榎木津さんに文句を言われながらでもお茶が出来るなら少し幸せだ。近い未来の光景を想い、益田は膝を抱えなおした。

そんなささやかな空想を破ったのは、カウベルの音。あれは事務所のドアのものに間違いない。

「只今帰りましたよー、なんだ益田君いなくなってるじゃないか」
「げっ、和寅さんだ!」

台所でコソコソ盗み食いしようとしてるところを押さえられたら現行犯だ。益田は立ち上がろうとした、が、突然襟首をぐいと引かれて、ぺたんと座り込む羽目になった。

「え、榎木津さ」
「シーッ、静かに」

そのままずるずると引き上げられ、背後から榎木津に抱き込まれる形になる。2人の姿は食器棚の陰に隠れ、入り口から一見した位では見つけることは出来ないだろう。だが台所は和寅の領域なのだ。きっと早晩発見され、しかもその時には自分は榎木津に熊の縫い包みか何かのように抱えられている。盗み食いは不問になるかもしれないが、この状況は笑い話にもならない。
ちゃんと留守番を頼んだのに、とぼやく和寅の声と、紙袋をがさがさする音が聞こえてくる。それらが遠くに思えるほど、心臓の音ばかりが耳の中でばくばくと響いている。
必死に息を殺す益田の背中に、どさりと覆いかぶさる体温。それ――榎木津は耳元に顔を近づけてきた。

「益山静かに。かくれんぼは終わってないぞ」
「へっ!?」

驚きのあまり甲高い声が出てしまい、慌てて両手で口を覆う。目を丸くしている榎木津に、益田は涙目で囁き返した。

「す、すみません。僕ぁ耳ダメなんですよ、急に声かけられて吃驚しちゃって」
「ふぅん?」
「今何て仰ったんですかね」

榎木津は目を細め、「じゃあもう一回だけ言ってやる。耳を貸せ」と顔を寄せた。
益田も恐る恐る耳をそちらに向けた。意識を集中しすぎたせいか、榎木津の前髪が後頭部に触れる感触すら感じられる。今度は聞き逃さぬよう、目を閉じて榎木津の声をより拾おうとした。そのせいで、榎木津の口元がにやりと歪められたのに、不幸にも気づくことが出来なかったのだ。


…ふっ。

「うひゃぁぁぅ!!」
「何ですか、誰かそこにいるのかね」

悲鳴を聞きつけて入ってきた和寅が見たのは、耳を押さえて這いつくばっている益田だった。口元は何か言いたげに開閉してはいるが、その顔は熟した林檎のようだ。

「益田君、台所をあちこち触ったらいかんと言ってあるじゃないか」
「み、みみみ…耳ッ… 息ッ… 息が…!」
「うはははは、女の子みたいな声をあげたな!さすがカマ!」
「あっ先生まで。何やってんですかそんなところで」

あーあ見つかった、と言いながら榎木津は立ち上がった。

「おやつを探していたんだ。お前も出かけるなら出かけるで握り飯の一つも置いていけ!ぼくが起きた時が朝なんだから、朝ごはんが食べたい」
「嗚呼それは気がつきませんですみません。今作りますから外で待っててください」

益田君そこにいたら邪魔だよ、と掃きだされるように追い出された。未だに腰に力が入らず、這う様にして外に出る。榎木津も長い脚で益田をひょいとまたいでいった。

「おやつは見つからなかったな!実に残念だがまぁいいか、面白いものが見つかった」

にやにやと見下ろしてくる榎木津を、益田は恨めしげに見上げる。下僕としてはお楽しみ頂けて光栄ですとでも言うべきか、実際明日からは耳当てをして通勤すべきなのか。
榎木津は身を屈め、へたりこんだままの益田の耳を引っ張った。笑い交じりのその声は震え、鼓膜ごと脳を揺らす。

「ぼくの弱いところも探してみるといい」


お盆に茶と握り飯を乗せて出てこようとした和寅に、「だから邪魔だと言ってるじゃないか」と小突かれるまで、益田はその場を動くことが出来なかった。


――――
YES YOU CHANGE THE WORLD!』様の「榎木津と益田語り場」よりイメェジを拝借しました。
本当にお言葉に甘えるやつがあるかと。

因みに2月15日付けの絵をお借りしています。全然違う何かになって申し訳ないことしきり。


 

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2009/02/17 02:04 | Comments(2) | TrackBack() | 益田

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コメント

きゃー! すごいかわいいですうれしーー!!
なななんですかこの榎木津さんの隣で膝を抱えて幸せを感じている愛らしい益田は…!! 愛らしいくせに耳が弱いなんて、なんていやらしい!!(机バンバン)榎さんでなくとも一緒に狭い所に潜りたい! (そこかよ)
ありがとうございます〜。ひっそりと榎さんと益田描いててよかった〜。またよろしくおね(殴)
posted by 真宏れい URL at 2009/02/18 00:29 [ コメントを修正する ]
こんにちは、お許しを真に受けて、うれしさにまかせて書いてしまいました。
真宏様の榎木津と益田があまりにもかわいいから…っ!
丁度お題が「聴覚」だったのであの内緒話絵をお借りしましたが、本当はアレもコレもソレも書きたいです…(自重)
ま、またやったらすみません。
コメントありがとうございました。
posted by ハム星 at 2009/02/18 09:13 [ コメントを修正する ]

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