司×益田の性描写が中心の話です。苦手な方ご注意。
榎木津は我侭な男だが、その助手も大概だと司は思う。
玄関に足を踏み入れた途端、靴を脱ぐより先に云った言葉が「カーテン無いんですか」だったのには流石に驚いた。この部屋は立地や設備の割に家賃が安いのだが日当たりが酷く悪いので、日中僅かな時間しか光が入らない。なのでカーテンは不要なのだと懇切丁寧に説明したが、益田は不満そうだった。
部屋の明かりを全て消したとしても、人間の眼はままならぬ反射として僅かな明かりを集めてしまう。ぽたぽたと雫を落とす銀色の蛇口やシンクが、商売道具や換えの衣服を仕舞ってある骨董の箪笥が、丸まった掛け布団がそのまま乗っている寝台が、其れと解る程度のシルエットを闇に浮かび上がらせる。タイを抜き取られながら、諦めたように目を伏せている益田の痩せた肩も同様だった。
そうして司は、恐らく無駄とは知りつつも幾度めかの言葉を唇に乗せた。
「―――ねぇ、益田ちゃん、眼鏡返してくれない?」
「いっ…や、で す」
切れ切れの声が告げた回答は、それでも否定ばかりを強く伝えてきて、司は肩を竦めてくつくつと笑った。屈辱なのか快感なのか知らないが、レンズを介さず眼下に見下ろす肉の薄い背中が痙攣している。マットレスに付いた膝はもう身体を支えられないのか、生まれたての小鹿のように震えていた。
益田の顔は完全に枕に埋められて、結果として腰だけが高く掲げられた格好だ。浮き上がった肩甲骨には冷たい汗が浮いている。ただでさえ受け入れる側であるのに、ひと突き毎に男としての矜持を叩き折られるような姿勢であるように司には思えた。
「益田ちゃん、窒息しちゃうよ」
顔を覗き込むように身を乗り出せば、密着度が高まると同時に、益田は更に深くまで司を受け入れる羽目になる。益田は嫌嫌と首を振り、濁った水音に混じってくぐもった嬌声が聞こえる。枕に埋まるだけでは飽き足らないのか、重ねた両腕に突っ伏して呻く姿は、其処だけ見ればまるで泣いているかのようだった。
ねぇ、と強請る口調に混ぜてゆすりと揺さぶれば、裸の肩がぎゅうと竦んだ。裡を埋める質量から逃げたがるように丸めた背には背骨が浮き上がっている。女の肉とは明らかに違う、益田の場合は特に肉付きが悪い。その下の骨格にまで欲情する事があるのだと、司は初めて知った。
「ふぅっ、うっ…うっ」
「ねぇ、辛いかなぁ?気持ちよく無い?」
黒髪がふるふると揺れた。頷いたにしても、そうで無いにしても、了解の意味で無い事だけは間違いないだろう。誰に見せる必要も無いのに、司は業とらしく肩を竦めた。
「そっかぁ参ったなぁ、喜久さん傷ついちゃうよ」
益田の中心部を、司の指が掬い上げるように握りこむ。予期せぬ刺激に身体ごとびくりと跳ねた其れは確実に屹立していた。司が「あらら」と呟いて、益田自身の滑りを借りて上下に動かせば、枕の中からは最早奇声と呼ぶべき悲鳴が遡った。恐らく「厭だ」であるとか「違う」と云っているのだろう。
何が厭だ。何が違うのだ。此処まで来て。
けれど房中で其れをあげつらって詰問するほど司は若くは無かったし、余裕が無い訳でも無い。何よりも、今組み伏せている男の心まで欲しい等と、甘ったるい事を云う心算は毛頭無い。
ふっと息を吐けば細い髪が舞い上がり、耳殻が顕になった。直接吹き込むようにして、声を掛ける。
「しんどいんだったら、早く終わらせてあげようね」
其れが少しでも益田を安心させたのか、更に彼を追い詰める事になるかは司の知った事では無かったが。
■
事が終わって直ぐに気を失ってしまった益田の身を清め、服を着せ、布団をかけてやる。何事も起きなかったかのような姿で、目を閉じてか細い呼吸をしている益田の頬を、司がぺちぺちと打った。
「おはよう、益田ちゃん」
一度ぎゅっと瞼を強く締め、其れから薄く開いた益田の眼前に、グラスに入った水が差し出された。水道から直接注がれた其れは多少薬臭かったが、冷たすぎない事で逆に益田の傷んだ喉にすうっと沁みて行った。空になったグラスを受け取った司の顔は、まだ眼鏡を掛けていない。益田が半ば無理やりに奪い取ってた其れは、ベッドサイドに置かれたままだ。
益田の身体を避けてベッドに座り込んだ司に、益田はぽつりと云った。
「ありがとう、ございます」
「いえいえ」
司はにこりと微笑んだ。
「酔っ払っちゃったんだもんね。あれだけ酔ってたら電車乗って帰るの大変だもの。そろそろ酔いも覚めただろうけど、電車が動くまで寝ていくと良いよ」
予定調和な台詞だった。
それだけでも益田は少し免罪された気分になり、僅かに胸を撫で下ろす。
酔ってはいたが、飲み屋から此処へ来るまでの道順も朧げながら記憶しているし、司の部屋に入ってから意識を失うまでの嬌態に至っては完全に憶えていた。真っ暗な視界の中で、与えられたあらゆる衝撃の事も。
「一生懸命だったねぇ、益田ちゃん」
「え」
「きっと益田ちゃんの目には、さっきの事は何にも映ってないよ。良く頑張ったじゃないの」
日に焼けた大きな手が益田の頭を撫でる。酔った来客を看病しているように見えない事も無いだろう優しげな手つきに、益田は本格的に安堵した。
「なんか、すみません。我侭な事ばっかり云って」
「良いの良いの。僕も楽しませて貰ったし」
良かったよ、と明け透けな事を云われ、益田は僅かに頬を赤らめて肩を竦めた。
黒髪に添えた手が下ろされ、ベッドサイドに伸びる。折り畳まれたフレームを掴んだ司は、眼鏡を掛け直すでもなく、鈍く光る弦の先端を弄んでいる。
「それじゃあ僕も益田ちゃんに教えてあげないとね」
司は弦を左右に開き、益田の顔にそっと掛けた。金縁の眼鏡が尖った印象の強い容貌に不思議な艶を添える。
眼鏡を掛けた益田は不思議そうな顔をしていたが、黒い瞳が何かを悟ったように大きく見開かれたかと思うと、自らの手でゆっくりと顔周りを触り始めた。その指先はがくがくと震えている。まるで何かとても恐ろしいものを「視てしまった」かのように。
「そんな…此れ、どういう」
「見ての通りさぁ」
硬直している益田の鼻に引っかかっているブリッジをゆっくり持ち上げて、黒い瞳からレンズが取り除かれた所で手を離す。すとんと落ちた硝子は誰の視線も遮らない。
益田は聡いので、此れが何を意味しているかもうすでに知っているだろう。けれど司は敢えて教えてやった。誰にも視られぬ記憶の深層に、叩き込んでやる意味で。
「僕の眼鏡、伊達なんだよ」
ずれた眼鏡は滑り落ちて、音も無くベッドに受け止められた。
補正を必要としない司の視界には、益田の顔が見る見る色を失っていく様子が、はっきりと映っている。
―――
無記名でのリクエスト「性的な司と益田」でした。ありがとうございました。
眼鏡属性を有効に使いたいシリーズ(勝手に)、「司の眼鏡は伊達」編でした。
設定面などでいつもの作品と齟齬が起こっておりますが、「これはこれで」という事で宜しくお願い致します。
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