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2024/11/23 03:37 |
6.午後のスコール(1)
『5.嗚咽』の続きです。未読の方はそちらからお願い致します。




益田の声を聞きながら、鳥口は床に伏せられた益田の手を見つめていた。鍵盤の上を走る、男にしては華奢な手の甲に血管が透けて見える。この手が空を切り、陶磁の肌を張ったとは。仮に彼の手が鳥口と同じく、節の張った
形状をしていたとしても、俄かには信じがたい。
前髪に隠れながらも、糸のように細くなった目に、鈍い光がちらつく。強張った表情に帯びるのは、紛れも無く自嘲の気配。

「―――神様を、殴っちゃったんですよ。僕ぁもう碌な死に方はしません」
「益田君…」

鳥口は言葉を探したが、やはり見つける事は適わなかった。しんと降り積もる沈黙が室内を満たし、居心地が酷く悪い。じっとして居られなくて、痩せた背中にそっと手を沿わせた。シャツ越しに伝わる体温は、酒精も手伝って熱いほどなのに、間近で見つめる貌からは血の気が引いている。

「益田君」

呼ばれた益田が、ふっと視線を上げたのを見計らい、鳥口はにいと笑って見せた。場の空気にそぐわない程に。感情の伴わぬ笑顔は頬の筋肉を多少痛めたが、構ってはいられない。

「今日もう寝ましょうか」
「はい?」
「寝る前の事は、寝て忘れるに限ります。良く言うでしょう、解放は寝て待つんですよ」

座り込んだままぽかんとしている益田を押し退けて、部屋の中心にばさりと布団を広げた。

「一組しか無いんでちょっと狭いですけど、まぁどうぞ」
「ちょ、ちょっと、鳥口君」
「いいからいいから」

背を押せば、細い体は簡単に倒れ込んだ。その上から掛け布団を被せる。綿入りの布団はやや湿気を吸って重く、益田の抵抗を簡単に封じた。
脇に滑り込めば、一瞬戸惑った黒い瞳も「仕方ないな」と言いたげに伏せられる。抜き取ったタイが、ぱさりと枕元に落ちた。
頭から被った厚い布団は、大人2人をぎりぎりで閉じ込める程度の小さな闇を作り上げた。冗談めかして抱き込めば、慣れた布の匂いに混じって石鹸の香りがする。

「おやすみ、益田君」

後頭部に回した掌で黒髪を撫で、鳥口は先んじて目を閉じた。一層深くなった闇の中、小さく「おやすみなさい」と声がする。益田と情を交わす夜はおやすみの挨拶など交わした事が無かったので、不思議と新鮮な響きだ。
引き込まれるように急速に沈む意識は、益田の快復を願ったかもしれない。けれどそれを益田に伝える事は無く、鳥口自身直ぐに深い眠りに落ちてしまった。
よって彼は、腕の中に抱えた男が眠る事が出来たかなど知らないままに朝を迎える事になる。






「…君、鳥口君」

ゆさゆさと揺さぶられ、鳥口は目を開けた。室内が明るい。もう日は高く昇っているようだ。目覚めたのを確認すると、窓を背にした益田が、鳥口の胸から手を離す。

「…あれ、益田君、今、何日?」
「普通は今何時って聞きません?26日ですよう」

酷い時には何日だって起きて来ない鳥口である。現に彼の眠りは深かった。先に起きた益田が、いつまでも目を覚まさぬ家主に焦れて起こしたと云った所であろう。鳥口は身を起こし、通過儀礼のように目を擦る。ついでに大きな欠伸をした鳥口を見て、益田が苦笑を漏らす気配がした。

「わざわざ起こさんでも、勝手に帰っても大丈夫だったのに」
「はぁ、一応お礼を云っとかないとと思って」
「お礼?」

目をしょぼしょぼさせながら鳥口が益田を見やると、黒い頭がぴょこりと会釈する。

「どうも、昨夜は有難う。最初はどうかなぁと思いましたけど、お陰様でなんか気が楽になった気がする」
「そうすかぁ。そいつぁ良かった。僕もなんとなく良く眠れました」
「鳥口君はいつだって良く寝てるじゃない」

思わぬ口撃に、鳥口はうへぇと笑う。何だか妙に嬉しくなって、こちらにつむじを向けている益田の頭をわしゃわしゃとかき回した。

「益田君、今日どうするの?」
「どうしましょうかねぇ。昨日も仕事休んでるし、一回は事務所に顔出さないと。あーあ、榎木津さんと顔合わせづらいなぁ。都合良く出かけてたりしてないかな」
「そいつぁどうかなぁ、何せあそこは大将の、」

軽口の延長で顔を上げた鳥口と、益田の視線がかち合う。鳥口からは笑顔が一瞬にして消えうせ、言葉の続きも飲み込んでしまった。
逆光で影が落ちた顔は、目を僅かに細め、口端を僅かに持ち上げた微笑の『形』。
張り付いたような、あの。

「―――益田君、顔」
「えぇ、何かついてますか?目とか鼻っていうのはナシですよ」

けけけ、と云う笑い声とは裏腹に、益田の表情はぴくりとも動かない。
鳥口の焦る指は咄嗟に益田の頬をつまみ、左右に引っ張った。薄い皮膚が肉ごと引き伸ばされて、益田が情けない悲鳴を上げる。

「ひだだっ、痛いですよう。何すんですかもう」
「変わってない」
「? 何がですよ」
「顔がだよ!益田君、何で笑って……否」

―――何故、笑っていないのだ。
強張った益田の顔を前にした鳥口の背筋を、薄ら寒い震えが走り抜ける。
生き人形を前に喋っているようだ。人形のよう、と云えば人間離れした美貌を誇るあの男であるが、彼は違う。どちらかと云えば、夜な夜な髪が伸びる日本人形を思わせた。得体の知れない恐怖。
笑いながら笑わない男。髪の伸びる人形。妖怪狐狸の類。となれば―――つらつらと繋がる連想の果てに、鳥口は益田の腕を引く。

「な、なんですか?」
「中野へ、師匠の所へ行きましょう。君を診て貰わなきゃならん」

下宿の階段を駆け下り、大家への挨拶もそこそこに、鳥口は益田の手を引いたまま京極堂への道筋を辿る。
道行の間、鳥口は一度として益田の方を振り向く事が出来なかった。
前髪に隠れた彼の顔が、唇に朱を刷いた人形の其れに変わっていたら。或いは、自分が手を引いているものが怨念の篭った生き人形であったら。そう思うだけで、痩せた腕を握る力は強くなる。
その度に掌に伝わる慣れた体温だけが、鳥口の足を進ませていた。
竹薮に囲まれた、古書店へと。



お題提供:『BALDWIN』様

―――
長くなりそうなので一旦切ります。続きます。すみません…。
(「髪が伸びる人形」の初出は昭和30年代の雑誌記事という説がありますが、この話の中では大正8年説を採用しました。)


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2009/05/20 23:52 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

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