冒険の果てに、主人公は見事金銀財宝を見つけ出しました。
高い塔に幽閉された美しい姫君を救い出しました。
悪政で民を苦しめる悪い王を打ち倒しました。
世に物語は数あれど、結びの言葉は大抵決まっている。それはある意味では、最も望まれる展開へと帰結するための、魔法の呪文とも云えた。
わずか一行で物語に幕を下ろし、見えない未来までも保証する。
―――彼らはいつまでもいつまでもしあわせにくらしました。めでたしめでたし。
益田もまた、電車に乗って上京してきた程度の『冒険』の果てに、神保町界隈で一番『高い塔』で眠っていた男のもとに辿り着いたものであるので、もしかしたら幸福な呪文の恩恵を受けることも可能であったかもしれない。
しかし益田の物語はまだ終わっていない。ハッピーエンドどころか、やっとスタートラインに辿り着いたところだった。20余年にわたる前書きを終えたばかりの彼には、毎日が激動過ぎて終わりどころか明日も見えない有様であった。金銀財宝に勝るとも劣らない男を目の前にして、自分などやはり脇役に過ぎないのだと益田は思う。
普段は思い出されることすらないその意識は、時折表層に浮上しては、益田を背景の一部に溶け込ませるような気持ちにさせる。例えば、中禅寺の憑物落としに立ち会った時などがそうだ。物語は彼らを中心にして一挙に収束し、ある一点の「終わり」へと駆け抜けて行く。それが幸福な終わりであろうとそうでなかろうと、多くは益田の人生に繋がるものでは無かったし、現に幾つもの「終わり」を見送りながら益田の物語は続いている。
物語は時に探偵小説であったり、時に馬鹿馬鹿しい喜劇であったが、時折どうしようもない悲劇に立たされる場合があった。云うなれば、秘書も寝静まった事務所の長椅子で、頬やら額やらに榎木津の無邪気な唇を受けている現在。
暖かく心地よいのは一瞬のことで、唇が離れるたびに皮膚は外気に触れ、触れる以前よりもはっきりと冷たさを憶える。それが益田にとっては悲劇だった。どのような形かなど知らないが、確実に迫る離別の時を想起させる。榎木津の気紛れが終わるのが先か、榎木津に触れるたびに暴走して制御が効かない感情によって益田が限界に達するのが先か。どちらにしても、砂時計の中身は確実に目減りしていっている。警察を辞めてまで頁を進めたのは他ならぬ益田自身なので、誰を恨む事も出来ない。
啄む合間に、榎木津がふと益田の瞳を覗き込む。暗がりの中、鳶色の瞳に自分の情けない顔が映っているのを見つけ、益田は前髪の陰に視線を隠した。
「びくびくするなよ」
「び、びくびくなんかしてませんよ。僕ぁもう榎木津さんの出鱈目な言動には慣れちゃいましたから」
榎木津にとって、益田の見え見えの虚勢には興味も無い。
ただ、黒い瞳が時折何処か遠くを彷徨うのが気に食わず、唇を瞼に落とした。やや乱暴な仕草に、尖った肩がびくつく。
目が開かない程度に微妙な距離をとって、榎木津は「マスヤマ」と呼んだ。
「今の事だって満足に視えていない癖に、先の事なんか視えるわけないじゃないか。バカだなぁ」
「見える見えないじゃないですよ。なんだって期待したらバカを見るのは世の常人の常です。僕ぁ未来に傷つかないように心の準備をしてるだけなんです」
ですからもう、焦らさないでください。
そう云うと益田は、榎木津の肩に縋る振りをして唇から離れた。怯える子供の所作そのものだ。
ならばと、榎木津は益田の頭を抱え込む。つまらない過去から引き離すように、望まぬ未来が彼を浚わぬように。
「口答えをした罰だ。神たる探偵に仕えたバカでオロカでカマな男は、幸せな人生を送ったと未来永劫語り継いでやる」
ぎゅうと抱き込んだ腕の中で「勘弁してくださいよう」と答えた声は、それでも僅かに希望を宿していた。
――――
久しぶりなので短め…って最近いつも久しぶりなので申し訳ないです。
久々ついでに榎→益団の活動を。
高い塔に幽閉された美しい姫君を救い出しました。
悪政で民を苦しめる悪い王を打ち倒しました。
世に物語は数あれど、結びの言葉は大抵決まっている。それはある意味では、最も望まれる展開へと帰結するための、魔法の呪文とも云えた。
わずか一行で物語に幕を下ろし、見えない未来までも保証する。
―――彼らはいつまでもいつまでもしあわせにくらしました。めでたしめでたし。
益田もまた、電車に乗って上京してきた程度の『冒険』の果てに、神保町界隈で一番『高い塔』で眠っていた男のもとに辿り着いたものであるので、もしかしたら幸福な呪文の恩恵を受けることも可能であったかもしれない。
しかし益田の物語はまだ終わっていない。ハッピーエンドどころか、やっとスタートラインに辿り着いたところだった。20余年にわたる前書きを終えたばかりの彼には、毎日が激動過ぎて終わりどころか明日も見えない有様であった。金銀財宝に勝るとも劣らない男を目の前にして、自分などやはり脇役に過ぎないのだと益田は思う。
普段は思い出されることすらないその意識は、時折表層に浮上しては、益田を背景の一部に溶け込ませるような気持ちにさせる。例えば、中禅寺の憑物落としに立ち会った時などがそうだ。物語は彼らを中心にして一挙に収束し、ある一点の「終わり」へと駆け抜けて行く。それが幸福な終わりであろうとそうでなかろうと、多くは益田の人生に繋がるものでは無かったし、現に幾つもの「終わり」を見送りながら益田の物語は続いている。
物語は時に探偵小説であったり、時に馬鹿馬鹿しい喜劇であったが、時折どうしようもない悲劇に立たされる場合があった。云うなれば、秘書も寝静まった事務所の長椅子で、頬やら額やらに榎木津の無邪気な唇を受けている現在。
暖かく心地よいのは一瞬のことで、唇が離れるたびに皮膚は外気に触れ、触れる以前よりもはっきりと冷たさを憶える。それが益田にとっては悲劇だった。どのような形かなど知らないが、確実に迫る離別の時を想起させる。榎木津の気紛れが終わるのが先か、榎木津に触れるたびに暴走して制御が効かない感情によって益田が限界に達するのが先か。どちらにしても、砂時計の中身は確実に目減りしていっている。警察を辞めてまで頁を進めたのは他ならぬ益田自身なので、誰を恨む事も出来ない。
啄む合間に、榎木津がふと益田の瞳を覗き込む。暗がりの中、鳶色の瞳に自分の情けない顔が映っているのを見つけ、益田は前髪の陰に視線を隠した。
「びくびくするなよ」
「び、びくびくなんかしてませんよ。僕ぁもう榎木津さんの出鱈目な言動には慣れちゃいましたから」
榎木津にとって、益田の見え見えの虚勢には興味も無い。
ただ、黒い瞳が時折何処か遠くを彷徨うのが気に食わず、唇を瞼に落とした。やや乱暴な仕草に、尖った肩がびくつく。
目が開かない程度に微妙な距離をとって、榎木津は「マスヤマ」と呼んだ。
「今の事だって満足に視えていない癖に、先の事なんか視えるわけないじゃないか。バカだなぁ」
「見える見えないじゃないですよ。なんだって期待したらバカを見るのは世の常人の常です。僕ぁ未来に傷つかないように心の準備をしてるだけなんです」
ですからもう、焦らさないでください。
そう云うと益田は、榎木津の肩に縋る振りをして唇から離れた。怯える子供の所作そのものだ。
ならばと、榎木津は益田の頭を抱え込む。つまらない過去から引き離すように、望まぬ未来が彼を浚わぬように。
「口答えをした罰だ。神たる探偵に仕えたバカでオロカでカマな男は、幸せな人生を送ったと未来永劫語り継いでやる」
ぎゅうと抱き込んだ腕の中で「勘弁してくださいよう」と答えた声は、それでも僅かに希望を宿していた。
お題提供:『キンモクセイの泣いた夜』様
――――
久しぶりなので短め…って最近いつも久しぶりなので申し訳ないです。
久々ついでに榎→益団の活動を。
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