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2024/11/23 03:24 |
5.ブルー・ローズ

雨が降る夢を見た。


重く垂れ込める雲から落ちた雫は、地に向けて真っ直ぐに進む。其れは益田の目の前をすり抜けて、一輪の薔薇に受け止められた。雨は白い花弁に触れたことで真珠の如き丸みを帯び、一拍の休息の後、つるりと滑って花弁を束ねる中央へと向かう。水滴を飲み込んだ箇所から、薔薇は吸い上げるように青く染まった。この種の植物が持つ筈も無い、深い海の青だ。
益田は腰を屈め、薔薇の茎に触れる。僅かな棘が益田の指を刺した。痛みは無い、夢の中だからだ。夢ならば、この不思議な薔薇を手折った所で問題はあるまい。益田は指先にぐっと力を込めた。

「僭越だな」

薔薇が喋った。益田は目を瞬かせる。違う、薔薇では無い。睫に溜まった雨粒が散ると共に、青い薔薇は彼の知る男の顔に変わっていた。水を弾かぬ栗毛を伝い、益田の手にぱたぱたと水が落ちる。益田が手をかけているのも瑞々しい花茎ではなく、白い首筋だ。あっと思った時には既に遅く、益田の掌には、ぱきん、という感触が伝わった。
なんと言う事を!益田は夢である事も忘れ、恐慌のままに手を引いた。雨に濡れた大地に、榎木津の首がどさりと落ちた―――と思った。けれど水溜りに広がった波紋の中心には、手折られた白薔薇が横たわっているだけだ。不思議と泥に汚れることも無く、しらりと咲いている。ひっきりなしに注ぐ雨が、花弁を、葉を、折り取られた茎を、濡らしている。花の命の終焉に向けて。
益田は膝を折って、薔薇の前に座り込んだ。直接地に触れているズボンは言うまでもなく、痩せた体躯に纏う綿のシャツにも、棘が突き刺した細い指にも、長く下ろした前髪にも、青白い頬にも、水が伝っている。僅かに暖かい雫は、薔薇を避けて落ち、水溜りに消えた。

「えのきづさん」

雨の音に混じって、薔薇の名を呼ぶ声がぼうと響く。




はっと目を覚まし、寝台の傍らを確認する。
案の定其処は温度も残さず空っぽで、夢の主―――榎木津は後頭部をばりばりと掻いた。夜明け前の寝室は未だ暗い。榎木津は発条人形の勢いで立ち上がり、服も纏わぬまま扉を開けた。寝室と同じ青さの事務所に設えられた長椅子には、矢張り下僕が眠っている。

「起きロッ、バカオロカ!」
「ふぁ」

間抜けな声をあげて、益田は肩を竦ませた。眼をうっすらと開け、きょろきょろと空中を見ている。間もなく榎木津を視認すると、瞼を擦りながら起き上がった。

「な、なんですかぁ…?僕ぁなんか怒られるようなこと………したな…」

寝ぼけた頭でも数時間前の事を思い出し、益田は決まり悪げに外套に顔を埋める。ぴょこりと飛び出している前髪を、榎木津が掴み上げて無理やりに顔を上げさせた。

「痛っ」
「ヘンな夢を見た!」

顕になった額の下で、益田の眉が訝しげに歪んでいる。

「お前が僕を一人にするからだッ!」
「えぇー…いい大人が何言ってるんですか、子供じゃあるまいし。怖い夢くらいで」
「怖い夢じゃない、ヘンな夢だと言ってるだろう!」
「どっちだっていいですけど、まぁ榎木津さんが夜明け前に目を覚ますなんて普通じゃないですよねェ」
「普通じゃないからヘンな夢なんだ、何回言わせるこのネボケヤマ!」

要領を得ない問答が続くフロア内に、明け鳥のさえずりが忍び込んできた。夜明けも近い。
軽い抵抗を見せる益田の髪を握り締めたまま、榎木津は朝日を待っていた。雲が切れ、空の青さをこの目で見るまではこのもやもやとした気分は晴れないと知っている。
灰色の空には、顔を拭う事もせずに自分を見下ろす彼が似合いすぎていた。


雨の夢を見た。泣く男の夢を見た。


 

お題提供:『ペトルーシュカ』様


――――
『1.届かないから憧れて』となんとなく対比。これはひどい雰囲気小説…。
見上げる側はどちらだ。


 

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2009/04/21 15:00 | Comments(0) | TrackBack() | 益田

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