青木が公園に辿り着いてみると、悪戯そうな少年たちが一本の木の幹を蹴りつけたり、揺さぶったりしている。間違いない―――あれだ。
緑の葉をいっぱいにつけた木が、両翼を広げた鳥のようにわさりと揺れる。青木は群がる子供らを散らすと、木陰に立ち、木の葉から漏れる日光の隙間にちらりと見える影を見上げた。枝に引っかかっている其れは、風で木々がざわめくたびに怯えた声を上げている。子猫のような可愛いものなら良かったのだが。
「益田君、益田君だろう?」
「そうですよう、そういう貴方はどちら様ですか。生憎僕ぁ下を見るのも恐ろしくて」
「君が言ったんじゃないのか、僕を呼んでくれって」
「青木さんですか!良かったぁ来てくれて、助けてくださぁい」
付近をパトロールしていた巡査が、署内で飯を食っていた青木に声をかけたのは数十分前の事だった。その巡査も公園付近で子供に声をかけられたのだと云う。木に知らない大人が登っていて、怖くて遊べないのだと。
巡査は彼らに導かれるがまま、木の上にいる不審な人物に呼びかけた。不審な人物―――前髪をぞろ長く伸ばしている痩せた男に見えた――は先ず此処の住所を尋ねてきた。答えてやると、「ならば青木文蔵という男を呼んでくれ、此処は彼の管轄内であるはずだ」と云ったという。続いて「これを見せたら解る」と樹上から何かを投げ落としてきた。地に倒れた其れを巡査は律儀に持ち帰り、青木の手に渡したのだ。前髪が長くて痩せていて情けない感じの男だというだけでほぼ間違いなく益田だと思ったが、革製の乗馬鞭まで見せられては無視する訳にもいかない。
「何してるんだいこんな所で。覗きと思われても仕様がないぞ」
「それは降りてからゆっくり説明しますから、どうか手を貸してください」
「登れたんだから降りられる筈だろう、子猫じゃあないんだから」
「いやぁそれがですね、登ったときに足場にした枝が」
折れてしまいまして、と弱々しい声が漏らした。見れば足下には若葉をつけたままの一本の枝が落ちている。まだ乾かずに白い断面が痛々しい。益田の態度から安全そうだと見抜いたものか、彼を遊び道具にしていた少年のひとりが枝を拾い上げて走り去った。
その背を何となく見送って、青木はもう一度樹上を見上げる。
「足場が無いんじゃ僕も登れないよ。そんな高さもないし、いっそ飛び降りれば?」
「いやいやいや、木登りをなめたらいけませんよ青木さん!僕ぁ箱根の山で鳥口君が松の木だったか杉の木だったか、まぁとにかく大きな木から落っこちたのを見てるんです。ずうっと尻が痛い尻が痛いと云っていて、それ以来僕ぁ」
強い風がびょうと吹き抜けて、益田の弁明は悲鳴に変わった。やれやれと思いながら、青木は靴先で木の幹をとんと小突く。子供の頃に遊び慣れた山で、こうして虫を捕っていたのを思い出した。
「益田君行くよ、良いね」
「えっ何がですか!?」
青木は左足を振り上げて、軸足に乗せた体重を一息に木にぶつけた。子供らによる遊び半分の行為とは年季が違う一撃は、幹から葉の一枚一枚にまで伝わって、枝に絡まる異物すら削ぎ落とした。
葉と小枝に擦られながら落ちてきた「異物」を、青木は慣れた所作で受け止めた。両腕と膝に衝撃が伝わる。受け止めた其れ――益田は、髪やら肩やらに引っ付いた葉や木片を払うこともせず、呆然としていた。
「やぁ」
「…や、やぁってなんですかあ、もう、何てことを…ハアァ寿命が縮んだ…」
靴先を大地に触れさせると、そのまま益田はへたり込んでしまう。そこそこの重量を支えた腕をぶらぶらさせて、青木は益田を見下ろす。
「で、なんで木登りなんてしてたんだい」
「あぁそうでしたね。ちょっとした捜し物です」
冷や汗を拭いながら、益田は首を反らせて空に目を向けた。雀の群れが羽ばたいている。
「迷い犬や迷い猫ならともかく、迷い鳥を探すのは、いやぁ骨が折れる」
「榎木津さんとこに依頼が来たからには飼い鳥だろう、翼切ってなかったの?」
「雛の時から飼ってて、慣れた鳥だったんですって。部屋の中に放しても肩に止まってるくらいで。でもこの所風が強かったでしょう、小屋掃除するのに開けてた窓から風に乗って、どうやらこう、ぱたぱたっと」
益田は手首をひらひらさせて、小鳥の真似をしてみせた。その手に乗馬鞭を返してやると、へらりと笑って話を続ける。
「そう遠くには行けないだろうと踏んで、依頼人の家の界隈を探してみたんですわ。そしたらこの木の梢でそれらしい姿を」
見かけたんです――益田が指さした先は、先ほどまで彼がしがみついていた太い枝だ。
「それで、捕まえられたのかい――そうは見えないけど」
「そうなんですよう、僕の姿を見るや否やふらふらぁと飛んでっちゃったんです!あっと思ったときに足場の枝を踏み抜いてしまってですね」
こうしちゃいられない、また追いかけなくちゃ。
聞いてもいないことまで喋っておいて勝手に話を切り上げた益田は、立ち上がった。青木に「じゃあどうも」とだけ云って立ち去りかける。どうやら助けられたという意識は無いらしい。
「飼い主の所に戻ってたりして。あるだろう、そういう御伽噺」
「うーん、残念ですけど僕が探してるのは金糸雀なんです」
甲高く歌う金色の鳥を追って、益田は公園を後にした。梢を震わせる木の下には、青木ひとりだけが立っている。
彼もまた踵を返して歩き出した。彼自身の帰る場所を目指して。腕の中に落ちてきた痩せた背中を思い出した。
そういえば彼の背には翼は無かったな、とらしくもない事を思った。
――――
あおいろお題なので久々に青木。
緑の葉をいっぱいにつけた木が、両翼を広げた鳥のようにわさりと揺れる。青木は群がる子供らを散らすと、木陰に立ち、木の葉から漏れる日光の隙間にちらりと見える影を見上げた。枝に引っかかっている其れは、風で木々がざわめくたびに怯えた声を上げている。子猫のような可愛いものなら良かったのだが。
「益田君、益田君だろう?」
「そうですよう、そういう貴方はどちら様ですか。生憎僕ぁ下を見るのも恐ろしくて」
「君が言ったんじゃないのか、僕を呼んでくれって」
「青木さんですか!良かったぁ来てくれて、助けてくださぁい」
付近をパトロールしていた巡査が、署内で飯を食っていた青木に声をかけたのは数十分前の事だった。その巡査も公園付近で子供に声をかけられたのだと云う。木に知らない大人が登っていて、怖くて遊べないのだと。
巡査は彼らに導かれるがまま、木の上にいる不審な人物に呼びかけた。不審な人物―――前髪をぞろ長く伸ばしている痩せた男に見えた――は先ず此処の住所を尋ねてきた。答えてやると、「ならば青木文蔵という男を呼んでくれ、此処は彼の管轄内であるはずだ」と云ったという。続いて「これを見せたら解る」と樹上から何かを投げ落としてきた。地に倒れた其れを巡査は律儀に持ち帰り、青木の手に渡したのだ。前髪が長くて痩せていて情けない感じの男だというだけでほぼ間違いなく益田だと思ったが、革製の乗馬鞭まで見せられては無視する訳にもいかない。
「何してるんだいこんな所で。覗きと思われても仕様がないぞ」
「それは降りてからゆっくり説明しますから、どうか手を貸してください」
「登れたんだから降りられる筈だろう、子猫じゃあないんだから」
「いやぁそれがですね、登ったときに足場にした枝が」
折れてしまいまして、と弱々しい声が漏らした。見れば足下には若葉をつけたままの一本の枝が落ちている。まだ乾かずに白い断面が痛々しい。益田の態度から安全そうだと見抜いたものか、彼を遊び道具にしていた少年のひとりが枝を拾い上げて走り去った。
その背を何となく見送って、青木はもう一度樹上を見上げる。
「足場が無いんじゃ僕も登れないよ。そんな高さもないし、いっそ飛び降りれば?」
「いやいやいや、木登りをなめたらいけませんよ青木さん!僕ぁ箱根の山で鳥口君が松の木だったか杉の木だったか、まぁとにかく大きな木から落っこちたのを見てるんです。ずうっと尻が痛い尻が痛いと云っていて、それ以来僕ぁ」
強い風がびょうと吹き抜けて、益田の弁明は悲鳴に変わった。やれやれと思いながら、青木は靴先で木の幹をとんと小突く。子供の頃に遊び慣れた山で、こうして虫を捕っていたのを思い出した。
「益田君行くよ、良いね」
「えっ何がですか!?」
青木は左足を振り上げて、軸足に乗せた体重を一息に木にぶつけた。子供らによる遊び半分の行為とは年季が違う一撃は、幹から葉の一枚一枚にまで伝わって、枝に絡まる異物すら削ぎ落とした。
葉と小枝に擦られながら落ちてきた「異物」を、青木は慣れた所作で受け止めた。両腕と膝に衝撃が伝わる。受け止めた其れ――益田は、髪やら肩やらに引っ付いた葉や木片を払うこともせず、呆然としていた。
「やぁ」
「…や、やぁってなんですかあ、もう、何てことを…ハアァ寿命が縮んだ…」
靴先を大地に触れさせると、そのまま益田はへたり込んでしまう。そこそこの重量を支えた腕をぶらぶらさせて、青木は益田を見下ろす。
「で、なんで木登りなんてしてたんだい」
「あぁそうでしたね。ちょっとした捜し物です」
冷や汗を拭いながら、益田は首を反らせて空に目を向けた。雀の群れが羽ばたいている。
「迷い犬や迷い猫ならともかく、迷い鳥を探すのは、いやぁ骨が折れる」
「榎木津さんとこに依頼が来たからには飼い鳥だろう、翼切ってなかったの?」
「雛の時から飼ってて、慣れた鳥だったんですって。部屋の中に放しても肩に止まってるくらいで。でもこの所風が強かったでしょう、小屋掃除するのに開けてた窓から風に乗って、どうやらこう、ぱたぱたっと」
益田は手首をひらひらさせて、小鳥の真似をしてみせた。その手に乗馬鞭を返してやると、へらりと笑って話を続ける。
「そう遠くには行けないだろうと踏んで、依頼人の家の界隈を探してみたんですわ。そしたらこの木の梢でそれらしい姿を」
見かけたんです――益田が指さした先は、先ほどまで彼がしがみついていた太い枝だ。
「それで、捕まえられたのかい――そうは見えないけど」
「そうなんですよう、僕の姿を見るや否やふらふらぁと飛んでっちゃったんです!あっと思ったときに足場の枝を踏み抜いてしまってですね」
こうしちゃいられない、また追いかけなくちゃ。
聞いてもいないことまで喋っておいて勝手に話を切り上げた益田は、立ち上がった。青木に「じゃあどうも」とだけ云って立ち去りかける。どうやら助けられたという意識は無いらしい。
「飼い主の所に戻ってたりして。あるだろう、そういう御伽噺」
「うーん、残念ですけど僕が探してるのは金糸雀なんです」
甲高く歌う金色の鳥を追って、益田は公園を後にした。梢を震わせる木の下には、青木ひとりだけが立っている。
彼もまた踵を返して歩き出した。彼自身の帰る場所を目指して。腕の中に落ちてきた痩せた背中を思い出した。
そういえば彼の背には翼は無かったな、とらしくもない事を思った。
お題提供:『ペトルーシュカ』様
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あおいろお題なので久々に青木。
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